119.穏やかな日々
「かーさんみて!ナイフ回しできた!」
「見てくださいかあさま、氷のうさぎ...」
令嬢達への手紙を書き終わり、訓練場でセリウスと励む二人の様子を見に来てみれば子供達は駆け寄ってあたしの手を取る。
ついに6才になったミラとユリウスは二人ともすくすくと背が伸びて、あたしのヘソくらいまで頭が届くようになった。
夕焼け色の髪を高いところでくくったミラと、艶やかな黒髪を背中まで下ろしたユリウス。大きな金の瞳と切れ長のエメラルドの瞳があたしを見上げた。
あたしとセリウスの目の色を入れ替えたように受け継いだというのに、形はそのままそっくりなのだから不思議なものである。
「ねえさまずるいです。いつもかあさまといる癖に」
「ユリウスはとーさんで我慢すればいいだろ!かーさんはあたしの!」
「ぼくのかあさまですっ」
「うるさい!あたしのかーさんだってば!」
やれやれ。父親であるセリウスに何かを見せた時の反応があまりにも薄いために、こういう“褒められたい時”はいつもあたしの取り合いになる。
あたしの手を引っ張りながら「べーっ」と舌を出すミラと「むーっ」とむくれるユリウスは、怒り方まであたし達に似ていて可愛らしい。
しかしそもそもの性格が真反対なせいか、最近はやたらと喧嘩ばかりするようになってしまった。
そしてこのまま行けば、大概はミラがユリウスを殴って泣かせ、泣きじゃくるユリウスをあたしが宥めてミラが拗ねてしまう展開になる。
はあまったく、どうしたものか...。
「あのなあ、いつも順番だって言ってるだろ?どっちもちゃんと見てやるから...」
「やだ!かーさんはあたしの!!」
「ぼくのです」
丁寧に宥めてやってもちっとも譲らない二人。あたしがため息をつきかけた時、その様子を見ていたセリウスがこちらに歩み寄った。
「お前達、いい加減にしないか」
低い声で見下ろす彼に、二人はびくっと肩を上げてあたしの手を離す。
おや、いいタイミングじゃないか。おそらく父親らしくきちんと仲裁してくれるのだろう。あたしは少し頬を綻ばせて彼を見上げた。
「まったく、毎度言っているだろう。彼女はお前達どちらか片方のモノではない」
うんうん、そうだな、頼むぞセリウス。
彼は二人の頭をぽんぽんと撫でて、こちらに近づく。そして二人にほんの少し笑顔を向けると———
「残念だが、俺の妻だ」
ひょい、と自慢げな顔であたしを抱き上げた。
「はあ!?なにそれ!!」
「とうさまずるい...!」
「狡くなどない。そもそも俺のものだからな。後から産まれたお前達に勝機があるとでも思ったか」
「いや我が子と張り合うなよ」
あたしが呆れて見上げると、彼はあたしの額にキスを落とす。
「もう手紙の返信は終わらせたのですか?であれば気分転換に遠乗りにでも...」
「あーっ!!またとうさんが“二人の世界”にしようとしてる!!」
「やかましい。お前はいつも海で二人だろうが」
「ぼくとおんなじ事言ってる...」
「俺の勤務中にべったりなお前と一緒にするな」
「お前もそれ以外はべったりだろうが...」
呆れ切ったあたしの反応も意に介さず、彼はあたしを抱いたまま厩の方向へ足を向ける。
「まって、ずるい!ひとりじめしないで!」
「ねえさまの言うとおりです!」
「ついて来たいならアイネス達に頼むんだな」
「アイネスーッ!」「ら、ラウール!はやくーっ!」
慌てて大きく叫んだ二人に苦笑しながらアイネスとラウールが「はいはいただいま」と鞍を持ち出した。
「行き先は領内のハルター高原で宜しいですか」
「ああ。あそこなら二人も駆け回れるだろう。...厨房に菓子が残っていたな、持たせてやれ」
二人に聞こえないようにアイネスへと言葉を返すセリウスに、あたしは抱かれたまま肩をすくめる。
まったく、「家族で出かけよう」くらい素直に言ってやればいいのに。どこまでも不器用なやつなんだから。
————
以前、よかれとセリウスが用意した“ピクニックバスケットに詰まったサンドイッチ“にあたしがぞっと顔を引き攣らせてから、遠乗りの食事は店で買うと決まっている。
こちらも無駄に気を遣わせまいとかじってみたものの、味は全くもって違うのにどうしても飲み込めなかったのだ。仕方なくイスティアの件を話すと彼は蒼白になってしばらく沈んでしまい、あの日はずいぶん悪いことをしてしまったな...。
そんなわけで、この領地の特徴である編み込んだパンと小ぶりな林檎、瓶入りのシードルなんかを適当に見繕ってかごに乗せ、高原へと馬は到着した。
「ついたーっ!!」
「ああこら、馬から飛び降りては危ないですよ!」
「まってねえさま!」
「はいはい、いま下ろして差し上げますから」
馬からぴょんと飛び降りたミラを追って、わたわたとユリウスがラウールの手で草原へと降りて追いかける。先ほどのセリウスへの文句もどこへやら、二人はもうすっかり遊ぶことに夢中だ。
馬の鞍を外してやり、あたしたちは涼しい木陰に腰を下ろす。馬はブルル、と頭を振ると嬉しそうにもそもそと緑の草を食んだ。
気温が低めのイズガルズの初夏。
草原は涼しく風が吹き渡り、少し濃くなった緑に穏やかな午後の日差しが注ぐ。その中で笑い声を上げ、転がるように駆け回る子供達。
「ふふ、いい眺めだ」
「...ええ」
シードルの栓を開けて薄い翡翠色の瓶を手渡すと、セリウスが少し口を付ける。そして瓶をひと撫でして「どうぞ」とこちらに返されると、ひんやりと飲み頃に冷えていた。
「おっ、気が効くね。やっぱ炭酸は冷えてないとな」
冷えた炭酸を喉に送り、「あーつめたい」なんて瓶を頬に当てると彼は愛おしそうに金の瞳を細める。
するとアイネス達がにこやかに自分たちの瓶を持ち上げて見せる。
「旦那様、私どものぶんも...」
「自分でやれ」
「氷魔法は不得手でして」
「......」
眉を顰めながらも指を鳴らし、彼らの瓶を冷やしてやるセリウスにあたしは肩を震わせる。
「いやー、冷たいシードルは格別ですなあ」
「うむ、旦那様のおかげでより美味に感じますな!」
「黙って飲め」
実際のところ、夜中に寝室から這い出たあたしによく冷えた手拭いなんかを渡してくれる彼らは不得手でもなんでもないのだが。
そんなアイネスやラウールにとって彼は、父親となってもまだまだ愛しい“セリウス坊ちゃま”なのだろう。
そんな風に微笑ましく眺めているとこちらを振り向いた彼が咳払いをし、あたしをふわりと抱き寄せる。
「やっと俺だけの時間が回って来ましたね」
「乗馬の時間は換算されてないわけ?」
「それはそれ、これはこれです」
元々あたしにべったり甘えていたセリウスだが、家令はおろか子供達の前でもそれを隠さなくなった。
まあ、プライベートで彼の安心できる時間が増えるのは悪くないが、これで部下に“弛むな”なんて言っているのだから笑えてしまう。
その上、騎士団の面々が「あっ!ステラさん!」「奥方様が戻られましたよ」などと言って彼を緩ませ、「勘違いでした」なんてぬか喜びさせる遊びが流行ったとファビアンからこっそり教えられた日のおかしさときたら。
かつて“剣聖”だなんて畏れられた彼の父親と違い、強さを置いても部下達から愛される伴侶の姿は悪くない。
いつかあたしが海で散っても、きっと彼らはセリウスを支えてくれるだろう。
セリウス、不器用は変わりませんがだいぶ父親としてこなれて来ました。子供相手にも(わかりにくい)冗談を言ったり、お出かけで喜ばせようとしたり。ただの厳格な父親像から素を見せられるように。そんな彼を見て来たステラも家族の前ではだいぶ丸くなっていたり。




