118.家令騎士の日常 後編
つつがなくお食事を終えられ、奥様はヴィオレッタ様と庭園で食後のお茶を。
旦那様はそこから望む訓練場へ「軽く食後の運動しよう!」とファビアン様のお誘いを受けられました。
バスタードソードやクレイモアのような大柄の両手剣を片手で扱う事を好まれる旦那様に対し、レイピア、エペ、エストックのような細身の優雅な刺突剣を好まれるファビアン様は実に対照的。
しかしながら御二方とも剣技は鮮やかで、旦那様の重い剣は風に低く唸り、それを軽やかに躱されるファビアン様も実にお見事。
「君、部下にもたまには笑顔見せたら?最近ますます威圧感増しちゃってさ!アイザックは喜んでるけど」
「俺は変わったつもりはないが」
「眉間の皺といい、見下す目つきといい、もう元団長殿にそーっくり!君がそんなんだから“今日は奥様は兵舎にいらっしゃらないのか”って皆待ち侘びてるよ!」
「なぜ彼女を」
「そりゃ、ステラさんが来た瞬間に君が嬉しそうに花を背負うからね!お花畑の団長殿は怖くないもの!」
「なっ!?」
「はい、隙あり!」
「させん!」
咄嗟にレイピアを慌てて跳ね飛ばした旦那様の勝利とはなりましたが、お心の面ではどうみてもファビアン様の勝利でございましたね。
笑いながら剣を拾いに行くファビアン様に、お耳が赤くなっているのを仏頂面でごまかされているご様子は、完全に旦那様の負けでございます。
「俺は、花を背負っていますか...?」
「急にどうした。お前が背負ってんのはお国の重圧だろ」
少し離れた庭でヴィオレッタ様とお茶をされていた奥様が、急にそんな事を尋ねた旦那様をさらりとあしらいます。
ますます下唇を噛む旦那様に笑ってしまい、軽く睨まれましたが今は全く怖くありません。残念でしたね。
「アイネス!君も参加してくれ!こいつはしばらく使い物にならないからさ」
ご自分の部下からの見え方に動揺する旦那様を審判代わりに、私もファビアン様とお手合わせ致します。
いやはや、真っ直ぐぶつかるだけの剣技だったあの頃から、優美で洗練され、本当にお強くなられた。団長補佐として旦那様の背中をお任せするには十分過ぎる成長でございましょう。
と、刃を交わし思っていれば、あれよあれよと追い詰められ華麗に剣を突きつけられます。
「そこまでだ、戦闘止め」
おや、審判ができる判断力は残っておられましたか。旦那様の合図を受けてファビアン様がシャッと納刀し、こちらに手を差し出されました。
「いやあ、相変わらず忠実で端正な剣だ!楽しいねえ!」
「ふふ、お褒めに預かり光栄にございます」
少々本気を出しても勝てなくなってしまったことに誇らしさを感じつつ、ファビアン様と握手をいたします。ああ、優雅なお姿からは想像を上回るほどしっかりと硬い、騎士の手ですね。思わず頬が綻んでしまいます。
「ねえセリウス見てた?10年越しでアイネスに勝っちゃったよ!いやあ嬉しい!」
「当たり前だろう。団長補佐が家令に負けるようでは困る」
「そういう事じゃないでしょ!ロマンがわかんないやつだな君は」
...ふふ。旦那様、本当に良いご戦友をお持ちになられましたね。
「リュシィ、みて!かーしゃんのまね!」
旦那様達が休憩なされているのを尻目にご様子を見に近づけば、お庭で遊ばれているミラ様が葉っぱを投げてくるくると回っておられます。おそらく、奥様のナイフ投げの真似をされているのでしょう。なんとも微笑ましいことです。
「ぼくもおとうさまのまねしよっと!」
リュシアン様も木の枝を拾ってファビアン様の剣技を真似られます。おや、構え方が少し似ておられる。
「すごい!リュシィそっくり!」
「えへへ、おとうさまにおしえてもらったんだ」
すっかり楽しそうなミラ様とリュシアン様に、ユリウス様が輪に入りたそうに見つめられます。
「ねえしゃま、リュシィ、ぼくも...」
もじもじと声を掛けながら枝を振るわれますが、ああっ、目をつぶって振るわれたおかげでご自分の足につまづいてぽてんと転けてしまわれました。
それでもミラ様達はすっかり盛り上がってしまわれて、気づいてもらえないユリウス様は次第に涙目に。
ううむ、そろそろお声をかけに行くべきでしょうか、それともご成長のためにこのまま見守るべきか...。
なんて思案しているとユリウス様が起き上がられます。むうっと頬を膨らましながら、ご自分の両手を見て、そして...
「ぼくも、できるもん...、とーしゃまのまね」
おもむろに右手を上げて、パチパチッ!と火花が散ります。これはまずい!!奥様がガタンと立ち上がり、魔力音に旦那様が勢いよく振り向かれます。 私は考える前に慌てて庭に飛び込み、滑り込むようにユリウス様を抱きかかえました。
途端に驚いたユリウス様の手から火花が消え、同時に旦那様の低い怒声が響き渡りました。
「ユリウス!!勝手に魔法を使うなと言っただろう!!」
びくん!!とユリウス様が腕の中で跳ねて、瞳に涙が溜まります。そして、「うう、」と小さく声を上げた後に「ふわぁああああん!」と泣き出してしまわれました。
旦那様の恐ろしい剣幕とユリウス様の泣き声に固まってしまうミラ様とリュシアン様。
ああ、これは良くない...!空気が冷えているのがひしひしと伝わってまいります。今すぐユリウス様を撫でて差し上げたいが、旦那様のお叱りを中断するわけにも参りません。
そんな様子に、立ち上がっていた奥様がゆっくりと近づくと、抱きかかえられたユリウス様の前にしゃがみ込まれました。
「ユリウス、ユリウス。落ち着け。いいか、よく聞け」
しゃくり上げるユリウス様をそっとお離しすれば、奥様がユリウス様の手を優しく握られます。
「今、お前はこの手で火花を出したろ。火を出そうとしたな?」
こくり、とユリウス様が頷かれます。
「父さんも子どもの頃に同じことをやったんだ。それで失敗して大火傷をした。すごーく痛かったんだって」
「すごーく、いたい...?」
「そうだ。すごーく痛いこと、お前やそこの二人に起こってほしくない。だから父さんはあんなに怒った。...わかるか?」
丁寧に諭される奥様の隣に、遅れて歩み寄られた旦那様も並んで頷かれます。
その姿にユリウス様は怯えつつも、こくこくと必死に頷き、小さな声で「ごめんなしゃい...」と申されました。
ああ、よく言えましたね...!
そして大変助かりました。実にタイミングばっちりのフォローでございます、奥様。
黙っておられた旦那様もユリウス様を見下ろして低くゆっくりと、声を掛けられます。
「...魔法の使用は、訓練で許可された場合のみ。勝手な発動は許さん。...わかったな」
「はい...」
目に見えてしょんぼりされるユリウス様。その様子をじっと見下ろす旦那様が咳払いをなされました。
「...三時だ。菓子でも出そう」
ぽん、と頭を撫でて、旦那様が厨房へと足を向けられます。不器用な旦那様の優しさに、奥様もにっこりと微笑まれました。
「さ、今日はスコーンだ!紅茶を入れて、クリームとジャムをたっぷり挟もう!あとまずーいサルミャッキもな!」
それを聞いた途端、ミラ様が嬉しそうに「すこーんとさるみゃっき!」と歓声を上げられました。
「リュシィ、まずかったらべってしていいよ!」
「そんなにおいしくないの?」
「うん...、すごい、あじ」
すっかり雰囲気が柔らかくなって、ほっとこちらも息をつきます。
かつてクラウス様の頃には重く終わっていた叱責も、もしセレスティア様がご存命であれば、同じようになっていたのでしょうか...。
ユリウス様のお姿といい、まるでかつての小さな旦那様が育て直されているようで...いけませんな、目頭が熱くなってしまいます。
「アイネス、助かった。怪我はないか」
「...ああ!はい。お気になさらず」
奥様にお声をかけられ、気を取り直してお答えすれば、あえて黙っておられたファビアン様がくつくつと肩を震わせられます。
「ふふふ!セリウスってば部下に怒鳴る時より怖い声出しちゃって!すんごい焦ってたねえ」
「初めて大きなお声をお聞きしましたわ。迫力満点でしたわねえ」
おかしそうに笑われるファビアン様に、感心したように口元に手を当てるヴィオレッタ様。奥様は苦笑してヴィオレッタ様を気遣う視線を向けられます。
「悪いな、ヴィオレッタ。うちのが驚かせた。怖かっただろう」
そしておもむろに服の内に手を入れると、なにやら赤黒の洒落た缶を取り出されました。
「お仕置きしとくからさ、許してやってくれ」
そう片目を瞑っておっしゃるなり、ちょうどスコーンを詰めたカゴを持って戻られた旦那様に近づかれます。そして、いきなりずいと距離を詰めて旦那様の頬を優しく撫でられました。
「セリウス」
「ん、な、」
突然色っぽく撫でられて、みるみるうちに赤く染まられる旦那様。
そのまま奥様の指で唇をゆっくりなぞられたかと思うと、肩をびびっ!!と震わせてカゴを取り落とされました。
わかっていたようにぱしっとカゴを受け止める奥様、その瞬間に目を見開いたまま冷や汗をドバッとかいて真っ青になる旦那様。
「うえっ、む......ぐ、う、う...!!!」
何かを吐き出しかけて慌てて口元を抑える旦那様に、奥様が弾けたように笑い声を上げられました。
「あっははは!!酷い味だろ、それ!」
「む、...う、う...!」
えずきながら涙目で見下ろし、何やら文句を言っておられるらしき旦那様。
やりましたな、奥様。おそらくあの鮮やかな動きでサルミャッキとやらを口に押し込められたのでしょう。油断してお忘れの旦那様が反応できない事もしっかり見越して。
そしてその結果、背中を丸めて震えるこの情けないお姿でございます。
先ほどの怒声の迫力とかけ離れたあまりの不憫なご様子に、ファビアン様も私も腹が捩れてたまりません。
「あははは!セリウス泣いてる!そんなに!?僕にも一つくださいよ...、うわはは!!何だこれ!!」
あまりの不味さに笑ってしまわれたファビアン様に、ヴィオレッタ様までくすくす笑って震えておられます。
「あはは!とーしゃん、すごいかお!」
「リュシィ、たべたら、ああなるよ...」
「わあ、ぼくはやめとこうかな」
味を知っているミラ様とユリウス様が笑い、リュシアン様は笑顔のまましっかりお断りになられます。即決の英断、お父上のファビアン様より聡明かもしれません。
私も勧められて覚悟を決めて口に入れれば、まあ何とも例え難い!強烈な塩味と甘さと苦味、そして薬品のような酷い匂い...!笑えるほどに不味いというのも頷けます。
「どうする?いるか?」
「やめとけヴィオレッタ、ほんととんでもないよコレ」
「いえ、せっかくですから!...んん、まあなんてこと!」
ファビアン様の静止を振り切って口にされたヴィオレッタ様が、目を見開いて口元をばっと抑えられました。ああ、お可哀想にまた犠牲者が。こんなものを口にされたばかりに...。
「...不思議なお味!わたくし、好きかもしれませんわ!」
予想外の嬉しそうなお声に、悶絶していた私達全員が驚いて彼女を振り返ります。
「嘘だろヴィオレッタ!」
「ヴィオレッタ、無理しなくていいんだぞ」
「ええ、どうして?美味しいわ」
「おお、お見それ致しました...」
「大袈裟ねえ、ひと缶頂きたいくらい」
感嘆する私達、そしてその端でえずいて震える旦那様。
そんな中でただ一人、ヴィオレッタ様だけが未知の味覚にご機嫌で、優雅に微笑んでおられるのでした。
そのまま穏やかに時間は流れ、夕暮れ時。
馬車をお見送りになられた旦那様が奥様を振り返り、にっこりと笑みを向けられます。
「さて、...覚悟はできているのでしょうね」
あの低音で囁かれ、奥様がみるみる赤くなって狼狽えて...
おっと、蛇足でございましたね。どうぞお忘れ下さいませ。
というわけでアイネス視点の家庭描写でした。
書きたいものを書きたいだけ書いちゃおー!




