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17.我が家

 目を覚ますと見慣れた天井がそこにあった。

赤い天蓋の付いた、ツヤのある太いオークの柱は天井まであり強固に固定されている。あたしは船長室のベッドに寝かされてしっかりと厚手の毛布がかけられていた。

 昼間に寝たはずだが、やけに部屋が暗い。

起き上がりカーテンを開けると外はもうすっかり日が落ちていた。


「いっ...つッ!」


 頭が重くズキズキと痛む。流石に飲み過ぎたか。

今は何時だ。机の上にある懐中時計を見る。午後6時...ほぼ6時間も寝ちまったのか!?


 城での生活と夜会の疲れがそんなに体に響いてたんだろうか。それともこの船があたしにとって落ち着きすぎるのか。


 産まれた時から乗っている船。

何度か改修はしたが、この船こそがあたしの家で帰る場所だ。


 船長室もあの時の砲撃でほぼ焼けてしまったが、机からベッドまでほぼ同じ物を作らせた。

 母がいないので一つベッドは減ってしまったが。それでもここにはあたしの24年の思い出が全て詰まっている。


 焼け残った東国の豪華な赤い絨毯、銀の燭台、海図の端を固定する鉛の人魚の文鎮。文鎮はあたしがワガママを言って母さんに買ってもらったっけ。


 港につけば大概の船員達は宿を取るが、あたしはずっとこの船だ。海が長過ぎて陸の揺れないベッドの方が落ち着かないのだから。


 腹がきゅる...、と音を立てる。

そういえば朝からほとんど酒しか飲んでいなかった。この時間ならギャレー(厨房) に行けば何か作っているだろう。 


 中甲板から砲列甲板の下のギャレーに降りると何やらいい香りがする。焦がしたバターと小麦粉、肉の香り。これはブラウンシチューだな。


「よお、今日はシチューか?」


 あたしが木のドアを開けると、赤い口髭を蓄えてずんぐりした料理番のジャンがこちらを振り向く。奥では忙しなく若衆達が皿やカトラリーを運ぶなどして騒がしく音を立てている。


「船長、起きたか!随分よく寝てたな。お察しの通り今日はブラウンシチューだぜ」

「少し寝過ぎた。ふふ、そろそろ温かい物が食いたかったんだ。城じゃ熱々のスープは出てこないからな」

「そうだろう、そうだろう」


 ジャンは満足そうに頷くと鍋をかき混ぜる。

うちの料理番は曜日交代で3人いるがその中でも食料庫の管理を任されている最年長だ。


 ジャンはあたしが6歳ぐらいの時に乗り込んだ仲間だが、子供の頃から何か辛いことがあるとここで温かく迎えてホットミルクなんかを作ってくれた。


 そしてあたしが泣き止むまでの間に、だんだんとエルドガやアルカ爺さん達も集まって自分たちのコーヒーなんかを淹れながら話を聞いてくれるのだ。あたしはそんなこのギャレーが大好きだった。


「ほれ」


 ジャンがシチューを木の小皿にほんの少し入れてこちらによこす。こくりと飲むと、香ばしい風味と野菜と肉の旨みが舌の上に広がる。


「ん、うまい」


 あたしが笑うとジャンも片目をばちんと瞑る。


「もう出来上がると皆に伝えてくれ」

「わかった」


 あたしはそう答えると中甲板への梯子を登り、下の甲板にいるやつらに声を掛ける。


「おい、お前ら飯だぞ!」


 ロープの整理をしていた若衆達が振り向いて笑顔を見せる。


「お前ら!船長のお目覚めだぞー!」 


 リックが船員達に呼びかけた後、嬉しそうにこちらに叫び返す。


「船長!今日の晩飯何ー?」

「ブラウンシチューだとよ!」


あたしがまた叫び返すとフィズも叫ぶ。


「俺、白いやつの方が好きー!」

「知るか!」


 そう言って笑うとあたしはまた降りて、別の船室の一つを開ける。大量の樽や木箱が並び、天井にはハンモックが所狭しと掛けられている。倉庫兼船員達の寝室だ。


「ビクター、いるか?」

「はいはい、ここに」


 ビクターと呼ばれた三十路の男が奥から姿を現す。細身の長身に整えられた栗色の髪、丸眼鏡。声も柔らかく海賊らしさとは程遠い。


「飲み過ぎた。頭痛薬をくれ」

「まったく、いくら強いとはいえラムを一人で3本も空けるなんて自殺行為ですよ。もうしないと約束するなら差し上げます」


 ため息をついて腕組みをするビクターに、あたしは頭を掻いて答える。


「わかったわかった、“先生”には頭が上がらないな。約束するから頼むよ」

「言質取りましたからね。船長」


 苦笑しながら戸棚から薬を出して、あたしに渡すビクターは船医だ。元は町医者だったが、大病院が町にできたおかげで廃業して海賊になった。海賊らしくないその穏やかな立ち居振る舞いは若衆達に優しい先生として慕われている。


「助かるよ」


 あたしはそう言って粉薬を一気に喉に流し込むと、差し出された水と共にごくりと飲み込む。


「そうだ、もう飯だってよ」


 あたしが思い出してそういうと、ビクターは鞄の整理をしながら頷く。


「ああ、もうそんな時間ですか。今日はシチューでしょう?」

「なんだ、知ってたのか」

「ええ、昨日ちょうど鎮痛剤の調合用にオレガノを借りましてね。その時に教えてもらいました。いやあ、楽しみですね」

「ジャンの煮込み料理はハズレがないからな」


 あたし達はそう笑い合うと甲板へと上がる。



「あ!船長ー!遅いぜ!」

「なくなっちまうぞー!」


 甲板へ上がると大鍋の前に船員達が木の皿を持って列をなしていた。ジャンとその部下がせっせと器を受け取ってはパンとシチューをよそっている。


「おっ、今日は堅パンじゃないのか」

「せっかく港に着いたからな。食える時に食わにゃ」


 ジャンはにっと笑って、積み上げられた丸パンの山から一つとってあたしに差し出す。


「いいねえ、貴族の白パンも好きだがこれくらいのライ麦入りのが美味い」

「ほれ、あといつものな。しっかり食えよ」


 拳ほどもある潰した芋を大鍋からどんと皿に盛られる。船の生活では芋は毎日の事だ。


 そう、この船には常に大量の芋が積んである。

芋は日持ちがする上、船乗りの頭を悩ませてきた壊血病を防ぐ。壊血病は栄養不足により歯茎や皮膚から血が流れ毛髪が抜け落ちる船乗りの天敵だ。


 どうにもその栄養とやらは他の食物では火を通した途端消えてしまうらしく、芋なら消えないのだという。つまり芋なしでは長い航海には耐えられない。

 芋は船乗りにとって必要不可欠だから、毎日毎日大量に飽きるほど出るのだ。


 慣れきった身からすると、もはや芋がないと食べた気がしない程だ。


 木箱の上に腰掛けてシチューを口に運ぶ。


「ん、うまい」

「お貴族様の食事よりもか。さぞいいもん食ってきたんだろ?」


 隣の木箱に腰掛けたジャックが笑う。あたしはもう一口頬張って微笑んだ。


「うん、こっちの方がうまいよ」




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