112.ミケリア
「あっちいな!昼にはミケリアに着きそうだ」
上甲板からステラさんが降りながら、朝の眩しい日差しを手で遮る。
鍛錬を終えたばかりの俺はその姿を目るやいなや、大きく目を見開いた。
「ステラさん!?なっ、...なんという格好を!!」
「んだよ、こう暑くて革なんて着てられるか」
言葉を詰まらせ、思わず大きな声を上げた俺を面倒そうに躱す彼女の姿。
それはいつもの黒い革の上下ではなかった。
袖を肘まで捲り上げ、胸元の開いた麻のシャツ。
その裾は豊かな膨らみの下できゅっと結ばれ、引き締まったくびれと臍を露わにしている。
そしてあろうことか、ズボンは太ももで短く切られ、長い素脚を晒しているではないか。
「何ですその不埒な服装は!」
俺は焦って近づき、彼女の胸の下の結び目を解こうとする。...が、かあっ!と顔を赤くしたステラさんにぱしん!と手の甲を叩かれてしまった。
「こら!なにすんだスケベ!」
「違います!!せめて腹を...特に臍を隠しなさい!」
「はあ?腹くらい好きにさせろ!」
「ダメです!破廉恥過ぎる!お慎み下さい!!」
「腹が破廉恥に見えんのはお前だけだこのヘンタイ!」
服を直そうとするもひょいひょいと捕まらない彼女に苦労していると、甲板にリックとフィズが顔を出す。
「せんちょー朝飯...、おっ、夏着だ!!」
「おお!!やっぱいいなあ〜!」
二人は嬉しそうに目を輝かせる。
彼らのこの見慣れた様子...、
まさか今までもこの格好で過ごして来たのか!?
「えっまじで!?うわほんとじゃん!!」
リック達の声にジェイドまで顔を出し、ひときわ嬉しそうに歓声を上げる。
リックやフィズはともかく、このジェイドとやらは彼女を女として見ている節がある...。
くそ、鼻の下を伸ばすな。俺の妻を見るんじゃない!
まったく、ステラさんは日頃から危機感のない人だとは思っていたが、これほどであったとは...!!
「ステラさん!!直ちにその服をやめて、足と腹を隠しなさい!」
「うるせえ!誰が聞くか!」
俺の怒鳴り声にステラさんはべ、と舌を出すとギャレーへと軽やかに飛び降りて行ってしまう。
呆れた俺が眉根に指を当ててはあ...!と苛立ち混じりのため息をつくと、それを見ていたリック達が目を丸くした。
「あれ?団長さんは見るの初めて?」
「当然だ!知っていたら許すわけがないだろう!あまりにも危険すぎる...!」
若干の八つ当たりを込めてリックに言葉を返すと、彼らは顔を見合わせ、おかしそうにくつくつと笑う。
「あはは!心配しなくても、ここにゃ船長に手ぇ出すやつなんていねえよ」
「ぜってぇ無い!安心してよ」
「なんだと?なぜそう言い切れる」
美しい彼女にあれほど扇情的な姿で周りをうろつかれるなど、まともな男であれば触れたくならないはずがない。
ましてや女がほぼいない、閉ざされた海の上だぞ。
いったい何を安心できると言うのか。
俺が怪訝な顔をして聞き返すと彼らはまた笑う。
「だって手ぇ出したら殺されちまうもん」
「俺たちは特に身に染みてるよなあ」
「身に染み...!?貴様ら...」
ぎろりと睨んで見下ろすと、彼らは「違う違う」と揃って顔の前で手をひらひらと振る。
そして俺を見上げると「まあ聞きなよ」と腰に手を当てた。
「昔、俺たちと同じ時期に入った奴がいてさ。二十代くらいの結構気のいい奴で、船長とも気が合ってた」
「でも入ってすぐくらいかな...、宴の最中に船長が“厠”っつって立ったらそいつも居なくなったんだよ。逢い引きかなって、俺たち子供ながらにソワソワしてさ」
「やっと戻って来たと思ったら、船長に引きずられてデコにナイフ刺さってんの。“個室に押し入って来た。捨てとけ”って」
予想外の内容に、俺は思わず言葉を失う。
「そんで何事もなかったみたいに先代と飲み直してんだもんなー」
「先代も“バカな奴だ”なんて笑ってるしさあ」
彼らは俺が絶句する側で、まるで世間話のように笑って続けた。
「死体担いだジャックに“お前らも変な気を起こせばこうなるぜ”なんて軽く言われてさ。怖くて俺泣いたよ」
「フィズはちょっとちびってたし」
「あれは洗礼だったよなあ」
そう言ってまるで懐かしい思い出とばかりに頷き合う。
「ま、ふだんは副船長と古株達が勝手にやるんだけど」
「いつだったか、酔い潰れたとこを狙った馬鹿は舌抜かれて沈められてたっけ?」
「ほーんとおっかねえ保護者だよな!」
そこまで言ってわはは!と笑いあった彼らは、俺に向き直るとにっと笑みを向けた。
「つまりさ、それを知って手ぇ出す船員なんているワケないってこと」
「だからありがたーく拝んでんのよ!」
「俺らの女王様は今日も強くてキレーで最高だなあってさ!」
なるほど...。
しかし、なんと物騒な経緯だ。
強力な身内の存在、そして彼女自身がいざとなれば仲間すらも躊躇なく殺せてしまう。
日頃から奔放すぎて危機感に欠けると思っていたステラさんの身の振り方は、そんな余裕から生まれていたものだったとは。
思えば彼女は、あれほど愛でていたイスティアにいきなり敵を差し向けられても、傷一つなく敵を排除してあの女を捕らえていた。
冷淡なほどの割り切りと容赦の無さ。
おそらくそれが海を統べる女王たらしめ、その身を守って来たのだろう。
「そんな船長に持ち帰られたあんたはすげーよ」
「なんてったってこの顔に国最強だもんなあ」
「女王様の相手だもん。むしろこれくらいじゃなきゃ納得できねーよな」
そう言って彼らは、俺を見上げて感心するようにうんうんと頷く。
どうやら、俺が泥酔して介抱されたあの夜の事を言っているのか。しかし、俺は彼らの言うような理由で“持ち帰られた”わけではないのだが...。
あの日の俺は、ただただ子供扱いをされていた上に泥酔して無害だと思われていただけだ。
事実、俺は同じ布団でおとなしく眠り、湯浴みをする彼女を前に必死に耐えるばかりだった。
...もしも俺がベッドで無理やり抱き込もうものなら、彼女の手で同じ末路を辿らされていたのだろうか。
であればあの日、誘惑に負けなくて良かった...。
などと考えて、少し背筋が冷える。
「リック!フィズ!お前ら何してんだ、配膳手伝え!」
はっと目を上げると、ステラさんが重ねた皿を抱えて戻り、こちらに歩きながら響く声を掛ける。
リック達は振り向くと「へーい」と返事をして彼女へと駆け寄った。
「ほら!セリウスも突っ立ってないで、ルカーシュを起こしといで」
ステラさんは先ほどまで俺の説教に苛立っていたと言うのに、もう機嫌を直してこちらへ微笑みかける。
...強さを感じさせる普段の黒革に比べて、実に健康的な色気。服装の開放感といい、朝日を受ける溌剌とした笑顔といい...。
今すぐ船長室へ連れ込みたくなる、なんてこちらの脈を乱している事などきっと彼女は気付きもしない。
そんなこの装いははっきり言って即刻やめさせたい。誰にもこの姿を見せたくはない。
しかしリック達の言う通りなら、既に何度もこの格好で当たり前に振る舞い、この船においては至極安全であるのは疑いないのだろう...。
そして屋敷ならまだしも、彼女の領域であるここで俺が厳しく言っても聞くわけがない...。
はあ、と諦めるようなため息と共に、頭を軽く振って俺は陛下の部屋へと足を向けた。
————
太陽が高く真上へと昇った頃、船は予定通りミケリアへと到着した。
ミケリアの気候は、ステラさんに聞いていた通り非常に暑さが厳しい。風と氷の魔法がなければ、おそらく俺と陛下は礼装に耐えられなかっただろう。
港から見える広大な砂漠。頭上からは眩しく日差しが照りつけ、熱く乾いた風は細かな砂を含んでいた。
「ああ、なんと...」
「これは...」
「予想以上にひどい状態だな...」
王宮までの移動の為にと、ハリアルの手配によって用意された六頭立ての豪奢な幌馬車。
その内から見える惨状に陛下と俺達は息を呑んだ。
砂塵の巻き上がる王都。
そこはまさしく荒廃と言える様相であった。
寄りかかるようにして倒壊した家々、流れた土砂の跡、亀裂が至る所に走る石畳、そして砂埃に塗れた、疲れた顔の人々。
「降り続く雨で大規模な洪水が起こり、地盤が緩んだ。そしてその後の干ばつによって地震が何度も引き起こされたのだ」
車内の先頭の椅子に掛けた、ハリアルの言葉に我々は目を見開く。
王都全域を脅かすほどの洪水に干ばつ、地震による地割れ。この惨状を作り上げていたのが、それほどの大災害によるものだったとは。
「それもこれモ、全ては過剰な加護による暴走のせいヨ」
「雨を乞えば洪水、晴れを乞えば干ばつダ。扱いきれない強大な幸運が願いを叶え過ぎタ」
「まさか、これらは全て幸運の加護によって引き起こされたってのか...!?」
ナタリオとアリケーの言葉に、幸運を持つステラさんが焦って声を上げる。
マウレシオが顎に手を当て、彼女に向かって頷いた。
「ソモソモ女王陛下の幸運は全能に近ク、巫女や貴殿とは比べモノにならヌ。生き物意外の事象において“全ての望みを叶える力”だっタ」
「全ての望みを叶える力...」
幸運を賭博で活かしてきたステラさんによれば、“当たれ”と願えば当たり、直感で正解を選ばせ、カードにおいては“こうあればいい”と思った通りに役が配られると言う。
女王はそれをさらに強力にした...まさに願う事象が全て現実となる力ということか。
そしてそれが暴走し、叶い過ぎて災害を引き起こしたと。
「偏り注がれ過ぎた力は御身を病ませ、望まぬ形で溢れ出してしまった。陛下は己の責任にあると心を痛め、懺悔と悔恨の底に沈んでおられる」
ハリアルは視線を落とすと、硬く拳を握って震わせる。
彼はこの俺と同じく、王の傍付きなのだ。
君主の嘆きや苦しみを最も近くで見てきたとあれば、その感情は想像に難くない。
「ああ、騎士団が戻ってきた...!」
「幸運の髪の母娘だ...!」
「見よ、病に侵されていないぞ!ついに儀式が...」
白亜の美しい王宮へと足を踏み入れると、至る所からこちらを見て声を震わせ、感極まるような声を拾う。
ハリアルは彼らを手のひらで制すると、険しい顔で足早に進んでいく。
「さあ、こちらへ。陛下のお許しは既に賜っている」
ハリアルが先導し螺旋階段を上り切った部屋。
その室内は広く、美しい模様の絨毯で埋め尽くされ、色とりどりのガラスのランプが下がる。
金と紅を基調とした調度品、目元だけを見せる黒い装束に身を包んだ多数の侍女たち。そして彼女らに囲まれた、薄く透ける天蓋が重なる豪奢な寝台。
「ealihozrat, man dar ...」
ハリアルがひざまずき、天蓋の奥へと静かに声を掛ける。
...ここは、おそらく女王の居室か。
謁見のための玉座でなく、異国の人間を寝室まで通すとは。おそらく女王は起き上がれぬほどまでに弱っているのだろう。
「... Hariarl...。khos、barashti...」
天蓋の奥から女性の声がハリアルの名を呼び、苦しげな息遣いと共に言葉が返される。
「...Hariarl. bidaram soa...」
「fatan ecta ...!」
何やらハリアルが焦ったような声を掛ける。
しかしまた同じ言葉が女王から返され、ハリアルは眉を寄せてため息をつくと侍女に合図を送った。
侍女が紐を引くと天蓋がするすると開かれ、ハリアルが寝台へと膝を乗せる。
そして恭しい手つきで、女王の上半身をゆっくりと起き上がらせた。
侍女ではなく男である彼に身を触れさせるとは、よほどハリアルは信頼されているのだろう。
「fal...、....我が名はアレハンドラ・レメディオス・ミケリア...。月の国の王、遠く血を分つ娘よ...よくぞ、参られた...」
ハリアルに背を支えられながら、息苦しそうに、途切れ途切れのイズガルズ言葉を紡ぐ女王。
その姿はステラさんと、どことなく似ていた。
毛先の跳ねた、鮮やかな夕焼け色の長髪、白い紋様の入った褐色の肌。そして意志の強そうな大きな吊り目に、髪と同じ色の燃えるような瞳。
おそらく、ステラさんよりは少し年上だろう。
しかし金の長髪のハリアルを従えた姿はまるで俺と彼女の———
——色を変え影をうつした、鏡のようだった。
あの日ベッドで触れていたらステラに殺されていたのでは...?とぞっとするセリウスですが、しっかり抱き枕にしていました。誠実さをアピールしていてよかったね!
ミケリアに到着しましたが、国も女王も崩壊寸前。
次回に続きます〜!
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