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111.心積り

※ここから先は直接的な描写はありませんが、軽い性的表現が含まれます。成人向けではありませんが苦手な方はブラウザバックをお願いいたします。





 その日の夕方、食堂にて。


「さあ飯だぞ!」


 どうやらコンラッドの釣り講座は効果があったらしい。

 料理番のジャンが意気揚々と大皿で出してきたのは、大量の焼き魚に煮魚、そして生のまま薄造りを美しく盛られた赤身の切り身たち。

 

「うわ、すごいな!ご馳走じゃないか」


 食堂に足を踏み入れたあたしが思わず歓声を上げる。すると、先に料理を配られていたセリウスとルカーシュが皿の中身を見つめて言葉を失っていた。


「生の、魚...」

「調理前...と言うわけでも無さそうですね...」


 彼らは生魚の乗った木皿を置いたまま、手をつけずにただ座っている。

 分かりやすく困惑を顔に浮かべる二人がおかしくて、あたしはセリウスの隣に座ると笑って彼の肩を叩いた。


「東国の言葉で“サシミ”っつーんだ。釣りたてじゃないと食えないんだぞ」

「“サシミ”...」


 セリウスが繰り返しながらフォークで掬い上げ、眉を寄せて魚を見つめる。


 その姿にコンラッドもニヤニヤと笑いながら、おもむろに小さな陶器を持ち上げる。

そして「ほれ」と彼の魚の上に中身をぴっとかけた。


「な、何を...、というか何だこれは」

「“ショーユ”っていう豆を発酵させたソースだ。味は濃いけど美味いぞ」

「...黒過ぎる上に、妙な香りが...」

 

 真っ黒な液体にたじろぐセリウスにあたしとコンラッドは笑いつつ、自分の皿の魚を口にした。


「んーっ、やっぱ釣りたては美味いな!」

「これであの酒がありゃ最高なんだがなあ」


 新鮮な赤身の魚は身が引き締まっていて実に美味だ。コンラッドの言う通り、東の国の冷たい酒なんかがあれば言うことなしなのだが。


 二人して唸ると、セリウスとルカーシュは顔を見合わせる。

 そしてじ...、とルカーシュに穏やかな微笑みの圧で促されたセリウスは、意を決したようにフォークを取った。


「...元よりお毒見も任務の内」


 言い聞かせるようにそう言いつつも、生魚がよほど受け入れられないのか彼の顔は険しい。


「大袈裟だな、死にゃしないって。せいぜい寄生虫に当たるだけだ」

「......」


 深刻な顔で魚に向き合う彼に呆れて言えば、セリウスはあからさまに嫌そうな顔で唇を結ぶ。

寄生虫ったって腹が痛くなるだけで時間が経てば勝手に死ぬし、別に大したことはないのに。


 そして彼はぐっと目を瞑ると、あたし達が見守る中で身の一切れを口に入れる。

それから眉にしわを寄せたまましばらく咀嚼すると、ゆっくりと目を開き、心底驚いたような顔をした。


「...意外に、食べられます。生臭くもない」

「だろ?東国じゃ当たり前に食われてんだ、不味いわけない」


 あたしが彼の背を叩いて笑うと、セリウスは「なんとも未知な食感ですが、悪くない...」と信じられないと言わんばかりに口元を抑えた。


「ふむ、何事も経験ですね。頂きましょうか」


 セリウスの反応を待っていたルカーシュもフォーク取ってひときれ口にする。

そして上品に口元を隠して味わう。


「...おや、これは驚きました。これほど美味とは」


 彼は驚いた顔で呟き、もう一口食べると頬を綻ばせた。

 

「その場でしか食べられない珍味。実に旅らしいではありませんか。航海も悪くありませんね」

「でしょ?パンに合わないのだけが残念っすけどね」

「せめてコメがありゃねえ」


 あたしとコンラッドは頷きあう。

美味いことは確かなのだが、どうにもこの味はパンにもこちらの酒にも合わない。

 やはり、その土地に合った酒や主食でなければということなのだろう。


「セリウス、もう食べないのですか?」

「やはりまだ、焼いたものの方が口に合います...」

「じゃあよこせ!言っとくけどこれ高級魚なんだからな!」


 彼らの会話を聞きつつ、あたしは皿の中身を口に収めていく。そしてもくもくと食事を進めながら、思考はまだ残る仕事へと移る。


 昼に見回った修繕箇所のチェックは済んだ。あとはバルトロ海域でドンパチやりあって流れた商品の補填をどうするか、それから...、


 そして最後の一口を食べるとぐっと水を飲み、あたしは皿を置いて立ち上がった。


「どちらへ?」

「ん、船長室。バルトロ海域のやつらに鳩を返してくる」


 そう言って背を向けようとすると、セリウスがあたしをじっと見る。


「なんだ?」

「お忙しいのですね」

「まあな。...で?何か言いたいことがあるんじゃないのか」

「...いえ」


 彼はそれだけ言って口ごもる。そういえば朝も釣りの時もなにか妙な視線をくれていたが、船の生活に不満でもあるのだろうか。


「言いたいことがあるなら言っとけよ。王国の戦艦とは造りも違うし遠征とは生活も違うだろ」

「いえ、不満など。部下の目もありませんし気楽な程です」

「そうか?ならいいけどさ」


 あたしがそう返すと、コンラッドとルカーシュが意味ありげに視線を交わす。


「なんだよ?」

「いや、こうも鈍いと苦労しますねえ」

「船長やってる時は船長だからな、こいつは」

「はあ?」


 どういう意味だ?「船長だからな」と言われても、事実、船長なんだから当たり前だろうが。

半ば呆れたような目を向ける二人にあたしは首を傾げて、そのまま背を向けて歩き出す。


 暖かな夕陽を受ける上甲板に上がると、船長室の扉を開ける。机の前の椅子にかけて帽子を脱ぎ、引き出しから便箋を取り出すと羽ペンにインクを付けた。


 そして手早く手紙を二、三したためると鳩を窓から離す。

ついでに航海日誌も付けてしまうか...、とあたしは引き出しの奥から赤い革表紙の手帳を取り出した。

 

 たかが日誌と思われがちだが、記録付けは航海に大いに有用だ。

 どの季節のどの海域の、波の高さがどうだったか、風向きや雲はどう動いたか。それだけでも書き付けておけば次の航海でトラブルを回避できたりする。

日誌を付けるのは日々の習慣であり、船長の義務だ。


 ———ルシアスを抜けエステオス海域へ。メルキア半島の西を通過中。晴天、波は穏やか。東からの風、およそ風速は4メートル程度。南に近づき、日の入りは遅く18時...。


 時々羽ペンにインクを付け足しながら、すぐ読み返せるようなるべく簡潔に書き付けていく。

 

 そしてひと段落してふう、とため息をつくと、コンコン、と扉が叩かれあたしは顔を上げた。


「セリウスです、よろしいですか」


 なんだ?わざわざルカーシュの元を離れてここに来るなんて、何か問題でもあったのだろうか。


 あたしが「入れ」と促すと、カチャリと扉が開けられセリウスが姿を現した。

 後ろ手に静かに扉を閉める彼は、何故かなんとも言えない気まずそうな顔をしている。


「どうした?足りないものでもあったか」


 あたしが座ったまま彼に問いかけると、彼は少し言いづらそうに唇を噛んだ。


「足りないもの、と言えばそうなのですが...」

「下着の替えとかか?悪いが船員達の使い古ししかないよ」


 あたしが首を傾げて返すと彼は首を横に振ってから少し黙る。

 そして困ったようにこちらを見つめると、しばらくしてぼそぼそと呟いた。


「...その...。陛下から“気が詰まるので就寝時まで(いとま)を与える”と。船員達に“いいから船長室へ行け”と押し出されまして...」

「...はあ?」


 あたしは意味がわからず怪訝な顔をする。

すると彼は顔を赤くして、ぼそぼそと小さくこぼした。


「...つまり、俺に貴女が足りない事を見透かされてしまったようで」

「足りない?いや、毎日会ってるだろ」


 あたしが疑問符を浮かべると、彼は扉の前に立ったまま言葉をこぼした。


「...ええ。貴女は船長としてお忙しく、こちらも陛下の護衛の身。共に過ごす事は元より望んでおりませんでした」


 そこまで言って、彼はあたしをじっと見る。


「しかしどうにも...、そこにいるのに指一つ触れられないと言うのは...側に居ないよりも耐え難い」


「なんだ、つまり寂しかったってわけか?」

「...肯定します」


 彼がそう言って恥ずかしそうに俯くので、あたしはぷっと笑ってしまう。何かと思えば、それであいつらに妙な気を使われてここに追いやられたってのか。

 

 確かにこの二週間、あたしは海図の確認に補修箇所の点検、他海域の船との連絡などで常に動き回り、セリウスの隣に一刻たりとも居ることはなかった。


 常に護衛としてルカーシュの側に控える彼に触れたとしても、せいぜい肩や背中を叩くだけ。会話も走り込みや鍛錬を共にする時ぐらいだ。

 あとは二、三言葉を交わしても誰かに呼ばれてすぐに離れるばかり。


 あたしが何処かに行こうとすると、彼がくれていた、もの言いたげな視線。

あれは“もう行くのか”という意味合いだったのか。

 

「まったく、しょうがないやつだなお前は」


 あたしは笑って立ち上がり、ベッドに腰掛けるとぽんぽんと隣を叩く。

セリウスはむず痒そうな顔をして隣に腰を下ろした。


「俺自身、気付かれる程とは無様だと思っています」


 そうしてあたしをじっと見つめ、ぐい、と抱き寄せた。


 彼の腕が背中に回され、ぎゅうと抱き締められる。


「だが...、ずっと貴女に触れたかった」


 彼はあたしの髪に顔を埋めると、はあ...と深くため息を吐いた。

 そもそもセリウスは、人目さえなければ屋敷でも馬車でも常にあたしにべったりだったのだ。目の前にいるのにひと時も捕まらない妻に、もどかしさを感じていたのだろう。


 いつもの厚い軍服でなく、薄いシャツ越しの彼の肌から熱が伝わる。

 大きな手がぐ、と腰を引き寄せ、あたしの髪を撫でる。


「...不思議と、随分久しぶりに感じるな」


 彼の肩越しに小さく呟くと、セリウスはあたしを抱き締めたまま「ええ、本当に」と返した。

そして彼はゆっくりと身体を離すと、あたしの頬を長い指で優しく撫でる。


「目で追っていたのに、なかなかこうして見られなかった。...やはり、貴女は美しい」


 彼はうっとりと見つめると、唇をそっと重ねる。

柔らかさを確かめるように何度か喰んで、隙間を割って熱い舌が滑り込む。そしてあたしの舌を捕えるように絡めた。


「...んっ、...」


 唾液を送り込まれ、口内が彼で満たされていく。

ゆっくりとなぞりながら蕩されて、吐息が漏れる。

 なんとかこちらも応えれば、舌先をじゅ、と吸われて脳がぴりりと痺れてしまう。


「はぁ、...っ、」

 

 長い口付けの合間に息を吸えば、さらに抱き込まれ逃げ場を奪われる。彼の手に力が込められ、そのままあたしごとベッドへと倒れ込んだ。


「...っ、止まれそうにない」


 彼は唇を少し離すと、は...っと息を吐きながら低く押し殺した声を出す。途端にガチャンと閉まる鍵、消える環境音。


「まっ、流石にバレるって...!」


 ただでさえ夫婦の時間を作れるように、と気を遣われたのだ。

長く戻らなければ“そういうこと”になっているなんて気付かれてしまうだろう。

 あたしが焦って彼を止めるも、セリウスは聞こえないように首筋にキスを落としていく。


「本当に...回りの良い毒のようだ、貴女は。ひとたび口にすれば、抗えなくなる」

「んっ、何言って...こら、止まれ!」


 彼の肩を掴んで押しやっても、覆い被さる身体はものともしない。鎖骨から胸元へと指が滑り、ボタンをパチパチと外されていく。


「このまま悶々として任務に支障をきたすのなら、貴女を抱いて戻った方がいい」

「そう言う問題じゃ...、あっ」


 露わになった肌を長い指で撫でられ、彼の舌が這う。びくり、と勝手に跳ねて熱を持っていく身体。

 その隙にズボンの編み上げを解かれするりと下ろされていく。


 肌に受ける、余裕の無い彼の息遣い。


 けれど手つきは慣れたもので、いとも簡単に剥かれてしまう。もはや抗ったところで意味はない。


「どうか、愛していると」


 見下ろす彼の口から発される言葉は、懇願するような台詞。けれどその低い声はもはや脅しのようで、金の瞳は捕食者のようにぎらりと光る。


「...愛してるよ」


 あたしが諦めたような口調で返してやると、セリウスは嬉しそうに口の端を上げ、深く口付けた。


奪われる呼吸、重なる身体。


貫く熱、浮き上がる腰。


彼の長い黒髪が揺れるたび、肌の上で汗が混ざり合う。


「...っ、どんな、顔してっ、戻るつもりだ」

「それを考える余裕が...っ、今の俺に、あると思いますか」

「ったく、この馬鹿っ!」


 ぎゅ、と爪を立てれば彼は金の瞳を細める。

覆い被さられた身体は、より深くシーツの海へと沈み込められていく。






————



「...やはり、戻ってきませんね」

「...クソ野郎が」


 ルカーシュとコンラッドがラム酒のグラスを片手に、不自然なほど無音の天井へと視線を向ける。

同じく視線を向けていたビクターがやれやれと立ち上がった。


「さて、リゼと双子の為に救護室を開けますかね」

「帰りもあるんでしょう?もう救護室を部屋にしてくれないかしら」


 リゼが呆れたようにため息をつく。

コンラッドはグラスをぐっと煽るとリゼを振り向いた。


「はーあ、腹立つ。俺もそっちで寝ていい?リゼちゃん」

「最低!絶対入れないから!」





結婚前から割とリゼは何回か救護室で寝る羽目になっているのでもはや「はいはい」と言った様子。この後セリウスは朝方になって部屋へと戻り何事もない顔を取り繕いますが、明らかにすっきりした顔を馬鹿にされたり。


リアクションや感想をいただけますと大変喜びます!

いつもお読みいただきありがとうございます〜!

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