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110.航海




出港からおよそ二週間後、早朝6時。


 時間通りに目が覚めたあたしは、うーんと伸びをしてベッドから足を下ろす。

顔を洗って布で水気を取っていると、側のベッドからリゼももぞりと起き上がって一つあくびをした。


 揺籠の中の双子はまだすやすやと眠っている。

リゼが顔を洗う横であたしは手早く着替え、鏡台に向かってきゅっと紅を塗る。髪を香油を纏わせた手櫛で整えると腰で結んだ。


「はい香油」


 使い終わった香油の瓶を顔を拭く彼女に渡してやると、「ありがと船長」とリゼが微笑んで受け取り、数滴顔に伸ばす。


「よし、代わろうか」

「ええ」


 支度を終えたあたしが立ち上がると、彼女が鏡台に掛けて紅を取り出す。蓋を開けて指に取るのは、薄紫色の紅。

 元々あった朱色の紅は彼女にまったく似合わなかったので、あたしが買い与えたのだ。

 化粧は女の鎧とはよく言ったもので、たかが紅一つでも男の中で気を張っていられるものだ。


 リゼが化粧をする姿を尻目に、あたしは船長室の外へ出る。

 水平線には日が出たばかりで、朝焼けが暗い空を端からゆっくりと染めていく。海域を南下した為に風は昨日よりも暖かい。


 上甲板の柵に手をかけ、甲板を見下ろす。

そこにはセリウスが剣を片手に、少し上がった息を吐いていた。彼の結われた黒髪は少し乱れ、額の汗を手の甲でぐいと拭う。


「朝から鍛錬か。精が出るな」


 中甲板から降りながらあたしが話しかけると、彼は顔を上げて頬を綻ばせた。


「習慣ですから」

「毎朝よくやるもんだ」


 あたしはそう言って笑うとセリウスの隣を通り過ぎ、船首へ向かって歩いていく。


 そして船の先まで辿り着くと、コートの内から羅針盤を出し、波間から顔を出す太陽と手の中の針をじっと見比べた。

 ...今のところ方位のズレはないな。先導するミケリアの船と、後に続く保有船もおそらく問題は無さそうだ。


「...ステラさん」

「ん?」


 呼ばれて振り向くと、セリウスがゆっくりとこちらに歩み寄る。


「少し、よろしいですか」


 彼はそっとこちらへ手を伸ばす。

彼の指先があたしの頬へと触れかけ、あたしが近づいたその時。


「船長!!朝飯できたってよ!」


 掛け声と共にリックとジェイドが甲板に顔を出し、あたしは慌てて「今行く!」と彼らを振り向く。

 セリウスは何事もなかったように手を引くと咳払いをした。


「ほら、ルカーシュを起こしといで。飯にしよう」


 あたしがにっと笑いかければ、彼は何かもの言いたげな顔をした後に「...はい」と目を背けた。




————



 その後、集まった船員達と和やかに朝食を摂ると、ルカーシュが座って見守る中で甲板の掃除を終える。


 それから50人余りの全員の点呼を済ませれば、毎朝の走り込みの開始だ。

 この主艦は砲台を140台も乗せる大戦艦。

船尾から外周を三周も走れば、並の騎士でもしばらく息を上げる程の距離となる。


 いつも通りあたしは先頭を走りながら、歌うように後方へと掛け声を掛けた。


「アガルタの売女を撃ち殺せ」

「「「アガルタの売女を撃ち殺せ!」」」


「血潮を燃やせよ(あだ)を取れ」

「「「我らが緋色の復讐号!」」」


「お前は!」

「「「海賊!!」」」

「死ぬ日は!」

「「「船上!!」」」

「血の色は!」

「「「赤!!赤!!赤!!」」」


「愛する彼女は鉛玉!一、ニ、三、三!」

「「「四、五、六!!」」」

「おい、ビクター!!遅れてるぞ!」

「はひぃ、すみませんッ!」


 最後尾をへろへろと走るビクターに喝を入れると、右隣のコンラッドが「気張れよビクター!」と楽しそうに笑う。

 そしてあたしの左を走るセリウスが呆れたような顔で「なんと野蛮な歌詞...」と呟いた。


「お前んとこには唱歌(ケイデンスコール)はないのか」

「ありますが、もう少し品が良いかと」

「聞きたいな!3周目は頼んだ団長殿!」


 あたしが彼の背をパンと叩くと、セリウスは“仕方ない”と言わんばかりの顔をする。


「では、復唱部分だけで」

「次は軍隊式で行くぞ!お前ら復唱だ!」

「りょうかーい!」

「俺らもこれで騎士団入りだな!」


 あたしの言葉に船員達が面白がって返事を返す。

セリウスは少し咳払いをしてから口を開いた。


御国(みくに)の護りは我らの務め」

「「「御国の護りは我らの務め!!」」」

「骨を埋めしは戦の土よ」

「「「骨を埋めしは戦の土よ!!」」」

「己の命を余さず捧ぐ」

「「「己の命を余さず捧ぐ!!」」」

「我がイズガルズに栄光あれ」

「「「我がイズガルズに栄光あれ!!」」」


「...以上です」

「おっ堅ぇ〜!」

「なんだ、お前んとこもそこそこ物騒だな!」


 走りながらコンラッドが冗談めかし、あたしがあはは!と笑う。セリウスも「そちらほどでは」と釣られて笑みを返した。



————



 嵐でない限りは、走り込みの後には鍛錬と決まっている。


「ほらほら受けるだけかお前は!」

「まずは一撃入れてから煽れっての!」


 甲板上でコンラッドの振り上げたカットラスとあたしのカットラスが激しく何度も打ち合う。


「おら、隙あり!」

「おっとぉ!」


 あたしが足払いを仕掛けると、コンラッドはダン!と後ろに手をついて飛び避ける。そしてマストの柱を強く蹴り、こちらの背後へと降り立った。


「貰った!」

「させるか!」

 

 あたしはカットラスの柄で背後の剣を受け止めると、そのままその手首をガッと掴んで彼の方向へ体を回転させ、強く捻り上げた。


「いってぇ!降参!」

「547連勝!」


カランとカットラスを取り落としてコンラッドが叫び、あたしが勝ちどきと共に手を離す。

10代の頃は体格の違うコンラッドに全く勝てなかったが、今やあたしが負けることはない。


「お見事です」


 木箱に腰掛けて眺めていたルカーシュか感嘆と共に拍手をする。彼の隣にかけたセリウスは、顎に手を当てて「ほう...」と驚きの声を上げた。


「副船長殿にそのような動きが出来たとは」

「ふふん、俺ぁステラとずっと組んできたんだぜ?軽技くらいできるさ。伊達に副船長やってねえのよ」


 コンラッドは腰に手を当てると自慢気に胸を張る。


「負けてんのに偉そうにすんな」とあたしが笑えば、「そうだぞ副船長!一度くらい勝ってみせろよ!」とリック達が囃し立てた。


「うるせえ!俺はずっと勝ってたんだよ!お前らこそ一度も勝てたことねえだろ!」


 コンラッドが怒鳴り返すのを見てあたしはあはは!と笑う。そして笑い終わると、座ったセリウスの方へと視線を向けた。


「お前もやるか?魔法は禁止だけど」


 彼がこちらを見上げて口を開きかける。

するとリック達がわっ!!と声を大きく上げた。


「ずるい!!船長、俺と組み手して!」

「次俺!次俺な!」

「ああっお前ら!俺も捻りあげられたい!!」

「ジェイドお前やめとけ!まじで痛ぇぞ!」


 リックやフィズ達がうるさく騒ぐのを「わかった一人ずつな。ジェイドは腕を大事にしろ」とあたしはぽんぽんとそれぞれの頭を撫でて宥めた。


「大人気ですねえ」

「ステラはあいつらに優しいっすからね。比べて俺の扱いの酷さと来たら」


 ルカーシュが微笑み、コンラッドは右手首をさすりながら口を尖らせて彼らをじとっと睨む。


 それもそのはず、彼らを拾ったのは八年前。その当時はあたしが17でリック達はまだ10歳だったのだ。

おかげで、どうにも彼らへの子供扱いが未だに抜けない。


「ほらリック、おいで。あの酷い太刀筋はちょっとは治ってるんだろうな」

「おう!見てろよ船長!」


 あたしがリックを指で呼び、少し開けた甲板の奥へと足を向ける。セリウスはそんなあたしをじっと見ると、何やら首を振って瞼を伏せた。



————



そして昼過ぎ。

 

「やる事が終わってしまいましたねえ...」

「ええ...」


 セリウスとルカーシュが海を眺めて呆然と呟く。

どうやら彼らは船上に持ち込んだ書類仕事を、この二週間で全て終わらせてしまったらしい。


 伝書鳩があるとはいえ、一度に送れる枚数は限られている。重要な国の機密をやり取りするには鳩はリスクが高すぎる上に、単純なやり取りにしたって、いくら速いとはいえ間が空いてしまう。


 これ以上の執務作業も出来ず、船上では魔法を使った鍛錬も本気では出来ない。

 だからと言ってセリウスはともかく国王陛下に船の掃除をさせるわけにもいかないし、他の雑用は手が足りている。


「困りましたね...」

「全くです...」


 普通なら余暇に喜びそうなものだが、常日頃から激務だった彼らは“何もしない事”が落ち着かないらしい。


「じゃ、釣りでもしてれば?食料確保だ」


 あたしが樽の中に立てかけていた釣竿を渡してやると、彼らはそれらを手に持って目を丸くする。


「釣り...」

「初めてですねえ」

「ついでに子守も頼んだ。ミラはやたらとルカーシュが好きみたいだからさ」


 そう言ってセリウスの膝にユリウスを、ルカーシュの膝にミラをぽん、ぽん、と乗せてやる。

 乗せられたユリウスはいつも通りぽやんとしながらセリウスの袖口を吸い初め、ミラはルカーシュの腕の中で暴れもせずに大人しく収まった。


 「本当によく懐いてるな。あんなに普段はやんちゃなくせに」


 なぜだかミラはやたらとルカーシュが好きだ。

誰が抱いても活発に動き回るミラが、ルカーシュの膝の上だと動かない。なんなら引き離すと「うー!」と怒るくらいである。


 あたしがミラの頬をつついて笑うと、ルカーシュはふふ、と微笑んだ。


「小さいのに見る目があります。どれ、第二夫人の枠を空けておきましょうか」

「陛下!」

「ふふ!冗談ですよ。親友の娘を娶るわけがないでしょう」


 セリウスが厳しく眉を寄せると、ルカーシュがおかしそうにくすくすと笑った。


 するとそこに通りかかったコンラッドが、彼らの釣竿を見るなり機嫌を良くして歩み寄る。


「おっ!釣りっすか陛下!俺はこう見えて釣りの天才っすよ!」


「ほれ、貸してみろ!」


 コンラッドはセリウスに近づくとひょいと竿を取り上げ、糸を巻くと振りかぶる。

 急に取り上げられたセリウスが眉を顰める前でビッ!と竿を振ると、綺麗に弧を描いてぽちゃんと遠くにウキが浮かんだ。


 そして何度かリールを巻きながら竿をしゃくって見せると、いきなりビン!と糸が張り「来た!」と嬉しそうに声を上げる。


 竿が重みでしなり、コンラッドが腰に力を入れてリールを巻いていく。すると波の間を飛沫が走って近づき、勢いよく魚が水面から顔を出した。

 飛び上がるように魚は甲板上へ引かれ、コンラッドの手が糸を掴む。


 そして見事、またたく間に釣り上げた大きな魚に、ルカーシュとセリウスが「おお...」と感嘆した。

 

「俺の実力を見たか!」


 魚を手にしたコンラッドが自慢げに、にかっ!と笑う。

 またしてもルカーシュが拍手を送り、セリウスは顎に手を当て、しげしげとコンラッドと魚を眺めた。


「...朝の組み手といい、海賊としては実力があるのか...」

「あん?俺だって色々特技くらいあるっつーの!」

「いやあ、お見それしました。あの竿を振る動きには何の意味があるのですか?」

「エサを生きてるみたいに見せるんすよ。魚も活きがいいほうが食いたくなるでしょ」

「なるほど...」


 すっかり三人で話し込む姿に、あたしは微笑んで船長室へと足を向ける。一瞬セリウスがまた何か言いたげにこちらを見た気もするが、コンラッドに「ほら、こうやって持つんだ!」と竿を持たされて彼は頷く。


 航海は長い。たまには国の仕事を考えず、男同士で楽しくやるのもいいだろう。

あたしはくるりと後ろを向くと、海図の確認へと戻った。




情けない扱いばかりだったコンラッドは、こう見えても副船長。ステラには勝てませんが身軽で戦闘も強い上に、航路の演算や積荷の集計などの計算は大得意。その上釣りでは右に出るものがいません。なのに舐められがちなのはきっと性格のせい。セリウスはステラに何か言いたげなようですが...?


いつもお読みいただきありがとうございます!

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