108.ミケリアの魔力
「あたしの船一つでミケリアまで行くだと!?」
あたしが素っ頓狂な声を上げ、手をついた机の上のカップが揺れて音を立てる。
使者達の謁見後。彼らに王城内郭の別棟に滞在するように告げたルカーシュの呼びかけに応じ、あたしとセリウスは彼の部屋に移動していた。
「王家の船で陛下の護衛に当たっていては、貴女と子供達をいざという時にお護り出来ません」
「どうせなら纏めてしまった方が楽でしょう」
セリウスに真剣な目で見つめられ、ルカーシュに微笑まれたあたしは言葉に詰まる。
「ぐっ...、だからって国王陛下の為の広い船室なんか無いぞ。いいとこ船首楼の帆布倉庫で二人一部屋だ」
「構いませんよ。寝台はこちらで用意させますし」
「そもそも陛下の護衛ですから。同じ部屋の方が都合が良い」
ルカーシュはともかく、セリウスの言葉は確かに言えているところではあるが。
だがうちの船は海賊船だ。お抱えの召使いを何人も連れていけるような余裕はない。
「こっちで世話してやれるのは洗濯と飯くらいだ。特別扱いはできねーぞ。芋と豆と干し肉、硬いパンの食事に耐えられるのか」
「まあ物は試しですよ。調味料は豊富なのでしょう?」
「陛下の身の回りの事であれば煩わせません」
余裕のある笑みで返すルカーシュと、こちらを真っ直ぐ見つめる彼にあたしははあ、と観念してため息をついた。
「後で文句言っても聞かないからな。ったく、まさかあの話が本当になっちまうとは...」
いつかセリウスの口からルカーシュがあたしの船で外遊したいだとか言ったと聞いてはいたが、こんなタイミングでその機会がやってくるとは。
「なに、特級大規模結界もある事ですし、心配には及びませんよ」
ルカーシュのその言葉にあたしはぴくりと反応する。
「結界...セリウス、お前まさか」
「誤解です。そのような他意はありません」
振り返ってギッと睨むも即座に返され、どうやら嘘ではないらしい。セリウスはあたしを見たまま続けた。
「むしろ、結界に加えて防護魔法も施したく。あちらの罠でないとも限りません」
「そう、それだ。ルカーシュ、奴らの言ってることは信用できるのか?」
実際、国王を国の真裏の自国まで連れて来いなどと何らかの裏が無いとも限らない。
あたしが眉をひそめてルカーシュを向き直ると、彼は頷く。
「ええ。彼らの持ち寄った聖典は、我が王家に伝わる物と対となる本物でした。そして事実、祭祀の内容は一致していた」
彼は机の上に置かれていた二冊の古い聖典を持ち上げる。それぞれ月と太陽を表紙に描かれた本、その同じページを彼は開いて見せた。
「あちら側の一方的な拒絶により国家間の交流は絶たれ、永らく忘れられていた儀式です。互いの神鏡に触れ、二神の魔力の均衡を図る...術者に危険がないというのもおそらく真でしょう」
「赤ん坊を巫女扱いするやつらが正気ならいいがな」
「幼子を半球を渡る航海になど...良い気は致しません」
あたしが吐き捨て、セリウスが低く唸る。
ルカーシュはその言葉に眉を寄せると、こちらに膝を向けて深く頭を下げた。
「そこについては、私からも巻き込むことを謝らせて頂きたい。幼い命を、ましてや友である君達の娘を国家間の問題に関わらせるなど...」
「やめてくれ。お前は悪くないだろう」
「臣下に頭を下げるなどおやめ下さい。致し方ない事です」
彼は王国の全ての責任を背に負っているのだ。
ミケリアのみならず自国の魔力の衰退が関わっていると知って見過ごせる訳もないとあたし達だって理解している。
「感謝します、二人とも」
ルカーシュは顔を上げると、あたし達の目をじっと見つめた。
—————
それからは実に早かった。
元々帆布とロープの収納に使っていた船首楼に王城からルカーシュ達の寝台やクローゼット、長机、絨毯などが運び込まれ、見る間に倉庫は客室へと様変わりした。
そして現在、出立1日前。
ミケリアまで使者達の帆船に先導を任せるにあたって、彼らを会議室に呼び込み海図の確認をしていた。
側には副船長であるコンラッド、そして船に防護魔法を施す為に訪れていたセリウスも前回と同じくあたしの側に控える。
「我々はこちらに来る時、エセリア諸島を西に迂回する形でルシアス海を抜けてきた」
「はあ!?エセリア諸島を西に迂回したら“帆船の墓場”だろ!?」
「お前ら馬鹿か!?ケーン岬なんか通ってたまるか!」
同時に声を上げたあたしとコンラッドに、ハリアル以外の使者達が思い当たるように苦々しい顔をした。
「やっぱソウだったんダ...。渦みたいな波に船がミシミシ言ってマストが折れるかと思っタ...」
最年少のアリケーが思い出しながら青くなって震える。
「だからアタシ言ったじゃなイ?海流がぶつかるトコなんて通れないっテ」
「ナタリアの言う通りだ。よく船が木っ端微塵にならなかったな」
両手を上げてため息をつくナタリアにあたしが頷くと、彼はこちらを驚いた目で見た。
「なんだ?希望通り呼んだだけだが」
「...団長に見習って欲しいワ」
ナタリアに目を向けられたハリアルは意にも介さずこちらに尋ねる。
「しかし他に航路など見当たらない。諸島の間に帆船が通れる幅はないだろう」
あたしは海図に記された、岬の内を横断する海峡を指で差し示した。
「ここを見ろ。ケーン岬の内側、海峡が通ってる。操舵技術は必要だが“墓場”を突っ切るよりは安全だ」
「我が船ノ操舵士は手練だガ...コのヨウナ海峡、通れるのカ」
「...嘘は言ってなイ。何度もこの船長はそこを通ってル」
屈強なマウレシオが顎に手を当てて唸ると、灰色の髪のバシリオが静かに告げた。
「そりゃ、嘘は言わんが...」
「まるで見た事でもあるように言うな」
あたしとコンラッドが目を見合わせて驚くと、バシリオがふい、と目を逸らす。
するとハリアルが頷いてこちらを見た。
「バシリオは“聴声”の魔力持ちだ。意識せずとも心の内が聴こえてしまう」
心の内が聴こえてしまうだと!?
こいつ、あたしの考えた事が筒抜けってことか...。
ミケリアの魔術、侮れんな...。とバシリオを眺めるとそれが伝わったらしい彼はフン、と鼻で息を吐いた。
「いい機会だ。我々の力の開示をしておこう」
ハリアルが机の上に両手を組み、促されたアリケーが頷く。
「オレの魔力は“遠耳”ト“鋭鼻”ダ」
「要するに、犬ヨ。鼻が聞いて遠くや小さな音も聞こえちゃうってわケ。その癖、一番うるさいのよネ」
「だれが犬だトこのカマ野郎!!」
アリケーがナタリアに掴みかかると、ナタリアが彼の耳元で何やら囁く。するとアリケーは力を緩め、へなへなと椅子に座ってしまった。
「アタシの魔力は“令歌”。歌声で人を惑わせる事ができるノ」
「おっそろしい魔力だなおい...」
コンラッドが思わず後退ると、ナタリアはにっこりと妖しげな笑みを浮かべる。
「我が魔力ハ“増筋”“憤怒”。怒りヲ解き放チ、この身体を増強サセ力を解放スルのダ」
マウレシオが自らの腕をパンパン、と叩きながら自慢げな顔をする。
なるほど、力強い彼に似合いの能力と言うわけだ。
「...じゃ、団長殿の魔力もお教え願おうか?」
あたしが眉を上げてハリアルを見やると、彼は頷いた。
「私の魔力は“瞬間予知”。相手の動きを一瞬速く読み取る事が出来る」
「予知だと!?そんなの反則だろう」
「我々としては火や水をその場に出現させる方が反則的だと思うがな」
「それもそうか...」
しかし、一瞬前の動きを予知できるならば、一対一の戦闘ではおそらく敵わないだろう。
予知、人を従わせる歌、遠耳に筋力、そして人の心を読むとは...。イズガルズの外に力を放出する魔力とは違い、身体や五感に関わる魔力というのは事実のようだ。
「そしてもう一つ。我々は皆、金獅子の加護を受けている」
「金獅子の加護?」
「お見せするのが早いだろう」
そう言うや否やハリアルが自らの真紅のローブに手をかける。パチパチと胸元ばかりか下半身までボタンを外していく彼にセリウスが一歩前に出て、あたしとコンラッドが思わず後ずさった。
「貴様、何を...!」
セリウスが眉根に皺を寄せて声を発したその瞬間、ハリアルはまばゆい金の光に包まれる。
思わずその光に目が眩んだ瞬間。
ハリアルの居たはずの場所に、突然金のたてがみの巨大な獅子が現れた。
「なっ...!?」
「ステラさん、お下がり下さい」
あたしとコンラッドが驚愕に声を上げ、セリウスが剣の柄に手を掛ける。
「剣を収めたまえ、危険はないとお約束する」
獅子の口からハリアルの声が発され、あたし達が同時に目を見開く。
「喋...っ!お前、ハリアルか」
「いかにも。我が国の男は皆巫女の守人にしてヴァルカの使い魔。ここにいる全員が獅子へと姿を変えることが出来る」
ここにいる全員、そして男の全てが獅子になれるだと!?
確かに残る彼らは自らの上司が目の前で獅子へと変貌しても眉一つ上げず、さも当然と言わんばかりに頷いた。
「以前一度訪れた時には気付かなかったが...」
「当然だ。獣の姿などそう易々と見せるわけが無い。有事でない限りこの姿を取ることは法で禁じられている。今回は特例だ」
なるほど、それもそうか。他国の人間も訪れる港や公共の場で獅子になんてなられたら騒ぎどころでは済まない。
ハリアルは自らが着ていた衣類を咥えると「倉庫をお借りしたい」とコンラッドに話しかける。
大きな獅子にずい、と近づかれたコンラッドは後退りしながら「待て待て!人払いをする!」と言って慌てて出て行き、ハリアルもゆっくりとその後を追いかけた。
「...驚いたな」
「随分と、あちらの魔法は違うのですね...」
プロットを突然変更してしまい、申し訳ありません!
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