16.仲間
「船長の無事の帰還を祝って!」
「「「「乾杯!!!」」」」
甲板の上で乾杯の音頭が取られ、皆がラムの茶色い瓶を高らかに掲げると唇に当て、豪快に喉を鳴らし息を吐き出す。
皆それぞれにフィドルやマンドリン等の楽器を持ち出し楽しげな音楽を奏で始める。
船員達は歌い踊り、皆あたしの無事を祝って温かい声を掛けてくれる。朝日がだんだんと高く昇るにつれて酒瓶と皿は見る間に空き、甲板は賑やかさを増していった。
皆の歌声を聞きながら、ラムに口をつけてゆっくりと喉に通す。
やはり3日ぶりだが変わらず美味い。
かつて若かりし母が開拓者から奪い取った砂糖の一大産地エルバとその工場。
母はその土地の先住民が不当に強制労働を強いられていた事に憤り、そこで精製を独占されていた白砂糖とラム酒を自らの船団と傘下の海賊に全海域へと流通させる事で彼らに働きに応じる対価を与えた。
労働者の環境だけでなく製造環境も改善されたおかげで今では最も質の高いラム“ゴールデン・バルバリア・ラム”と称され、ワインに引けを取らない高値で取り引きされるうちの主力商品だ。
あたしにとって、料理をしなかった母が唯一手をかけた特別な飲み物。
その甘い香りは母の香りのようなものだ。
あたしはラムを一気に煽り、飲み干すと打ち捨てて次の瓶を開ける。
歌い踊る喧騒の中に、母のあの屈託のない笑顔を思い出す。あたしを厳しく叱りながらも最後には笑顔であたしの頭を撫でた、あのロープ傷と潮風でガサガサの長い指。
またもう一本、ラムの瓶を開ける。
甘さともに強いアルコールが喉を焼く。
ああ、母さん。あんたの仇討ちがまた遠くなっちまった。
あの王をなんとかしない事には、イズガルズの領海から出られない。運良く領海内にあの金の鷲が迷い込んで来たとしてもとどめを差すまで追い詰められるとは思えない。
別海域にある保有船の中にいくつか戦艦もあるが、砲台の数はいいとこ100台弱だ。金の鷲が常に一隻のみで行動しているとは考え難い。
あれと同等の戦艦が共にあるとすれば140台ある主艦が一度押し負けている以上、奇襲でもかけない限りは勝ち目はないだろう。
大海賊イヴァノフなんて更に望めるわけもない。
船を受け継ぎ、ようやく直したらこれだ。
母さんならきっとこうはならなかった。
母さんが生きていたら...。
深いため息をつき苛立ちからこめかみの髪をぐしゃりと握ると、コンラッドが隣にどかっと座った。
「おう、お前いくらなんでもペースが早すぎないか。死ぬぞ」
あたしの側に転がる空き瓶の数を見て、コンラッドはため息をつく。
「なあ...ステラ、なんとかなるさ。これまでもどうにかして来ただろ」
そう言ってあたしに優しく笑いかける。
ああ、こいつ。
あたしが落ち込んでるといつもこうだ。一番トラブルに狼狽えやすくて、対して喧嘩も強くないくせにこう言う時だけ兄貴面しやがって。
でもなぜか、今のあたしには悪態をつく気力は湧かなかった。
「...イズガルズに戻ると決めたあたしが考えなしだった。主艦の自由を奪われ、船員達を巻き込んだ...」
「ステラ...」
「母さんは天才だった。頭も良くて戦上手で、勘が冴えてて...。比べてあたしは一度の航海でこのざまだ。母さんに合わせる顔がない。...船長失格だ」
あたしがそうつぶやくと、ぴたりと音楽が止まる。そんなに大きな声を出した訳でもないのに。
「おいおい、馬鹿な事言っちゃいけねえよ」
音楽を止めさせたらしい乗組員の男があたしの前にしゃがみ込む。
エルドガ・ディルズ。肩が盛り上がるほどの筋肉に覆われた焼けた体に、真っ黒で刺さりそうな剛毛の見事な顎鬚の男。緋色の復讐号の7本あるマストの中でも最も帆の引き上げが困難なメインマストを担当するマスト長だ。
「イズガルズに戻るのは先代の最期の願いだ。戻らねえ選択肢はなかっただろう」
エルドガは優しげな目であたしを見る。
「そうさ、それに俺たちもお前を止めなかった。結局どうあってもこうなっていたんだ」
そう言いながらまたもう一人、屈強な男がどっかと向かいに座る。
ジャック・デイム。傷だらけのガタイのいい身体に片目には眼帯の、いかにも海賊と言った風貌の男は、火薬庫の管理と砲撃手を指揮する砲手長だ。
ジャックの言葉に頷きながら白髭の小さな老人が座り込む。そして俯いたあたしの顔をそっと両手で支えた。
「いいか、ステラ。わしらは何があってもお前と共にある。それはお前の母の願いでもあり、わしら自身の願いでもあるんじゃ」
アルカ・マズラ。その齢に加え低身長と弱々しい見た目とは裏腹に、若かりし頃には斬り込み隊長“投げナイフのアルカ”として単身で敵艦の乗組員を全て制圧したという伝説すら持つ。
未だその腕は衰えず、その技術はあたしを含めた船員にも受け継がれている。言わばこの船の戦術顧問だ。
「なんてったって、お前は俺たちの可愛い娘なんだからな」
「そうだ、今やこの船の女王はお前だ」
「クイーンは堂々としてやがれ」
そういうと男達はあたしの帽子を取ると、わしわしとあたしの頭を撫でる。
「や、やめろよ、ガキ扱いしやがって」
回らない舌であたしは悪態をつく。
こいつらはあたしがこの船で生まれた時からずっと側にいる家族のような存在だ。父親のいないあたしにとっては全員が父親代わりと言っても過言ではない。
すると若衆の一人も声を上げる。
「俺たちもだ!ドブから拾ってくれた船長に文句のあるやつなんかいるかよ!」
「そうだ、女王様はのたれ死にかけてた俺たちを一度救ってんだ。今更どうなろうとかまわねえ!」
リックにフィズ。
まだ10代の彼らは数年前にあたしがイズガルズの路地裏で拾った元孤児だ。そもそもこの船に乗っている50人余りの船員達はほとんどが孤児か没落貴族、または元傭兵など食い扶持のないやつばかりだ。
魔法国家イズガルズにおいて一つも魔法を持たない人間には、厳しく儲からない肉体労働ぐらいしか与えられない。
大抵の人間は農民であっても蝋燭ほどの火を起こしたりまたは土を盛り上げたり、何かしら一つは魔法が発現する中で、まったく魔法が発現しない人間はまともな扱いを受けられないのだ。
だが、そう言った人間は一定数生まれてくる。そして大概は忌み子として捨てられる。
あたしを含め、この船には魔法を使える者はほとんどいない。稀にいても没落した貴族であったり、前科者として堅気には戻れないような人間だ。
つまりこの船はそんな彼らの受け皿であり、真っ当に食っていける唯一の居場所なのだ。
「船長、あんたの下で一生働くって決めたんだ。俺たちはみんなあんたに首っ丈さ!」
「俺たちの女神様が下向いてたら、どこ向いて歩けばいいんだよ!」
他の若衆たちも声を上げる。
コンラッドはそれを見てふっと笑った。
「ま、そういう事だ。ステラがどう思おうと俺たちはついて行くし、船長失格だなんて天が落っこちても思うもんかよ。それに、昨日までも俺らの為に働いて来たんだろ?胸張れよ、船長」
コンラッドがあたしの背中をポンと叩く。
「お前ら...、ありがとな...」
あたしが目頭が熱くなるのを堪えながらそう答えると、船員達は顔を見合わせて一同に笑う。
「今日の女王様はやけに素直だなあ」
「拍子抜けしちまうぜ」
「...悪い、帰って来て、気が...抜けた...」
あたしはなんとかそう答えた途端、慣れ親しんだ船で温かい仲間達の反応に安心したのか、猛烈な睡魔が襲いくる。
「おう、ちったあ休め。運んでやる」
コンラッドと笑い合う仲間の声がかすかに聞こえる中、眠りに落ちていった。