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09_泣き虫王女と拾われ騎士

 

 前回の人生で、エトワールはポセニアに功績を奪われてしまった。

 そして、国の命運に関わる大切な舞台を放棄しただめな王女、大役を見事に務めた気高く勇敢な聖女、という二項対立が人々の中に植え付けられたのである。


 あの日、屈辱を味わったエトワールは舞が終わったあと、控え室の建物の裏でひとり泣いていた。


「うっ……うぅ……ひぐっ、何よ! 私は舞のことなんて、知らされてなかったのに……っ。私にだってあの程度の舞、絶対、ほぼ確実に、いや多分、きっと……! 踊れるのに……っ」


 家庭教師ポセニアのことは大好きだし、信頼している。きっと彼女の言う通り不手際があって、エトワールに情報が伝達されなかったのだろうが、ポセニアのことを恨めしく思う気持ちがどこかにあった。先生のことを疑いたくはないが、自分の中でもどかしさを処理しきれずにいる。


「どんどん自信がなくなってますけど。やれやれ、王女殿下は泣き虫であらせられますね。目が真っ赤に腫れてうさぎのようになっていますよ」

「うるさい! レイの馬鹿! 今はひとりでいたいの。ほっといて!」


 ひとりきりで感傷に浸っているところにからかいに来たのは、新人騎士の――レイだった。しばらく前、孤児だったところをエトワールが拾ってきて、騎士団に入れるよう斡旋したのだった。レイは今日、この宴の警備をしている。


 彼を助けたのは、悪党から盗んだ金で、貧しい子どもたちを支援していたと知ったから。

 やり方は悪かったかもしれないが、彼を気に入ったエトワールは、活躍できる場所を用意してやりたくなったのだ。


 彼は、いつか武勲を重ねてエトワールの近衛騎士になると大層なことをのたまい、日々鍛錬に励んでいる。


 エトワールは、レイが持っているワイングラスを指差して言った。


「職務中に飲酒?」

「ただの預かり物です」

「ならそれ、寄越しなさい」

「え……これは酒ですよ?」

「分かってるわ。今は感傷に浸りたい気分なの」


 レイはワイングラスを見つめ、少し沈黙したあと、ワインを飲み干した。


「あっ――」

「子どもにはまだ早い」

「……意地悪」


 エトワールがむぅと頬を膨らませば、レイはからかうように目を細めながら、くつくつと喉を鳴らした。そして、空になったグラスを地面の上に置き、彼自身もエトワールの隣に腰を下ろす。


「お前もどうせ思ってるんでしょう? 私は意気地なしのだめな王女だって……」

「思っていませんよ。薄汚れた野良犬だった僕を、人間らしい生き方に導いてくださったのは殿下です。殿下は、僕が知る中で最も勇敢で、高潔なお方です」

「レイ……」


 レイは掴みどころのない男だった。けれど有能でユーモアがあるということで、騎士団の者たちからさっそく好かれているようだ。

 めそめそと泣きべそをかくエトワールに反して、レイはにこにこと柔和な笑みを湛えている。エトワールは嫌味っぽく言った。


「お前はいつもそうやって笑っているわね。その明るさをちょっとくらい分けてほしいわ」

「泣いていても嘆いていても、どうせ困難な状況は変わらない。そう気づいたときから決めたんです。どんな時でも、笑顔とユーモアを忘れずにいようと。殿下も、眉間に皺を寄せているより、笑ったお顔の方が素敵ですよ。お日様みたいに」

「ふっ、何よそれ」


 エトワールが思わず微笑むと、彼も釣られたように目を細めた。


「ほら、やっぱり」

「……っ」

「笑いは百薬の長ですよ、殿下」


 そして、冗談ばかり言う彼だが、エトワールへの忠誠心だけは――本物だった。




 ◇◇◇




 懐かしい記憶を振り返りながら、エトワールは控え室で着替えをしていた。

 鏡の前に立つエトワールの後ろで、ルティを含む侍女たちが背中の紐を解いていく。エトワールの陶器のようななめらかな肌があらわになったとき、突然扉が開いた。


「失礼いたします。殿下に至急ご報告したいこと……が……」


 聞き馴染みのある涼やかな声。その声の主、そして女性の着替え中に許可なく部屋に入ってきた不届き者は――レイだった。


 彼は、ドレスがはだけて柔肌がさらされたエトワールを、上から下まで目でひと撫でする。

 エトワールは慌ててドレスを引っ張って、身体を隠した。


「ちょっと! ノックくらいしなさいよ」


 そして、赤らんだ顔に怒筋を浮かべて、近くのテーブルに置いてあったブラシを投げつける。


「やれやれ、レディーが物を投げてはいけませんよ」

「お前が言うんじゃない」


 彼は額にぶつかる前にブラシをキャッチして、爽やかに微笑む。覗きをしたにもかかわらず、随分と余裕たっぷりな態度だ。

 エトワールは呆れながら、侍女たちに指示を出す。


「お前たちは下がっていなさい。着替えはひとりでできるから」

「「かしこまりました」」


 侍女たちは恭しく頭を下げて、控え室を出て行った。部屋にふたりきりになったところで、レイがへらへらと笑いながら改めて謝罪を口にした。


「いや、本当に申し訳ありませんでした。まさかお着替え中とは思わず。どうぞご安心を、僕は何も見ておりませんので」


 バッチリ見ていたような気がするが……。


「前から言ってるわよね? 剣を覚える前に、礼儀を覚えなさいって」

「はは、でもおかげで良いものが見れました」

「やっぱり見ているんじゃない。着替えの続きをするからほら、あっち向いてて」


 レイが向いている方向の逆を指差しながらきつく睨みつけた。


 大人しく彼が背を向けたのを確認したあと、鏡の前に立ったまま、ドレスの背中の紐に手を伸ばす。侍女たちにひとりで着替えられると言ってしまったものの、なかなか紐が解けずに苦戦する。すると、いつの間にか真後ろまで歩いてきたレイが、耳元で囁いた。


「――僕がお手伝いして差し上げましょうか」

「きゃあああっ!?」


 囁きと一緒に吐息が耳たぶを掠めて、びくんっと肩を大きく跳ねさせる。のぼせ上がるように顔が熱くなって、頬や耳が赤く染まり、心臓は早鐘を打つ。鏡越しに視線がかち合った彼は、相変わらずにこやかな表情のままだ。


「ちょっと。あっち見ててって言ったでしょ」

「ご安心を。僕はどこかの国王と違って、十二歳に欲情したりしませんので」

「絶対……変なことしないでね」

「はい」


 どこかの国王とはつまり、あの舞で人一倍興奮していたプトゥゼナール国王のことだろう。

 エトワールは結局、彼に手伝ってもらいながら着替えを済ませた。


 新しいドレスに身を包み、ひとり掛けのソファに腰を下ろす。それから、目の前でひざまずいているレイを見下ろした。


「それで? 私に報告したいことって――この模造剣のこと?」


 エトワールが指差した横長の鏡台の上には、先ほど舞台の上に飛んできた模造剣が置いてある。飛んできた模造剣は、エトワールの額にぶつかる直前に不自然に停止して、地面へと落下した。


「あのとき、剣を止めたのはお前?」

「……はい。恐れながら」

「そう。助かったわ、ありがとう」

「殿下に礼を言っていただくようなことは何も。当然のことをしたまでです」

「それは殊勝なことね」

「ですが、犯人の特定には至らず、ここに来た次第です。いかんせん、あの会場には人が多かったもので」

「大体の予想はついているわ」


 おもむろに剣を手に取り、磨かれた剣身を指で撫でる。模造剣といえどもそれなりの重さがあり、当たっていたら怪我をしていただろう。


 エトワールは剣をレイに預けながら、犯人候補の名前を告げる。


「――ポセニア・ビレッタ」


 その名前を聞いた瞬間、レイは形の整った眉を寄せる。


「清廉潔白なはずの聖女様がするにしては、おいたが過ぎますね」

「あれは見せかけだけの性悪女よ。お前も、ああいうタイプの女にだけは、騙されないようにね」

「肝に銘じておきます」


 彼はそう言って、剣の柄をぎゅっと握り締める。ポセニアは狡猾だ。自分の立身出世のために、十二歳のエトワールをまた踏み台にしようとするかもしれないが、決して負けない。


 心配そうに眉をひそめているレイを宥めるように、エトワールは微笑みかけた。


「私がまた意地悪されないか心配してくれているの? そう不安そうな顔をしなくたって平気よ」

「絶対などということは、この世にはありませんよ」

「なら、お前の私への忠誠心も、絶対ではない?」

「……それをおっしゃるのは、ずるいです」


 ふてくされたように顔をしかめるレイ。拗ねている姿は、年齢にそぐわずいとけなさがある。


「お前は、騎士団で成果を上げて、私の近衛騎士になるのを望んでいたわね」

「はい。必ずや実現してみせます」


 王族の護衛は、騎士の中でも花形だ。たとえ評判が悪い王女の護衛だったとしてもそれなりに競争率が高く、おまけにレイは元孤児という不利な出自。

 それでもなお、彼は瞬く間に戦地で功績を重ね、三年後にはエトワールの近衛騎士となるのだ。


(レイは、私が信頼できる唯一の騎士。でも、国一と言われる実力がある彼を、ただの近衛騎士にするのは惜しい)


 エトワールは少しの思案のあとで、レイに言う。


「ねぇ、ちょっと変なこと聞いてもいい?」

「なんなりとお聞きください。無人島に持っていくものをひとつ挙げるのなら、殿下の彫像ですかね。毎日拝んでいたら寂しさも紛れそうなので」

「そんなこと聞いてないし気持ち悪いからやめて」

「冗談です」

「当たり前よ」


 そして、ひと呼吸置いてから尋ねる。


「お前、王国騎士団団長になれる?  ――三年後までに」

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