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07_聖女様の引き立て役は御免ですので

 

 ポセニアの甘い花のような香水の匂いが鼻を掠めたとき、エトワールと話していたイザールがそちらを振り向く。


 ポセニアはイザールの視線に気づき、ふわりと会釈をする。その瞬間、イザールがうっとりとした表情を浮かべたのをエトワールは見逃さなかった。彼も彼女に会釈する。

 そういえば彼は、一度目の人生のときのこの宴でも、舞台で優雅に舞うポセニアを見て、こんな表情をしていた。


 分かりやすいくらいに惚れた男の目をしているのに、エトワールは死ぬ時までふたりの関係に気づかなかった。


「お二人はお知り合い?」

「はい。彼女は王国騎士団の医療奉仕部隊に所属していて、とても世話になっているんです」

「ははーん、なるほどなるほど。甲斐甲斐しく尽くされるうちに好意を抱くようになったって訳ね?」

「そういう訳では……」

「そういう訳よ。婚約者がいる前で、鼻の下なんか伸ばしちゃって」

「伸ばしていません」

「伸ばしてたわ。着古してくったくたになった私の肌着(シュミーズ)よりだらしなくね!」

「それは新品に替えてください」


 腕を組み、威嚇するようにイザールを見上げると、彼はこちらに手を伸ばし、弁明を試みようとした。


「何度も言うように、本当に誤解で――」

「触らないで!」


 伸ばされた手を振り払い、睨みつける。エトワールのグレーの瞳には怒りや嫌悪、憎悪が滲んでおり、それを受け止めたイザールは息を詰める。


「だってあなた、浮気者の人相をしているもの。信用できない」

「勝手に決めつけるのはいかがなものでしょう。あなたこそ、それが初対面の相手に対する物言いですか? 仮にも高等教育を受けてこられた王族の態度とは思えません。俺が殿下に何かしたとでも?」


 過去ではなく、これから恐ろしいことをしでかすのだ。その腰に提げた剣で、目の前にいる少女を五年後――刺し殺す。

 エトワールは背筋が粟立つのを感じ、自分の身を守るように腕で自分を抱く仕草をしながら、一歩、二歩、と後退する。


「残念よ。私たちって、とっても相性が悪いみたい。この婚約は白紙にしていただくよう、私から陛下に申し上げておきますので、どうぞご心配なく」

「お待ちください、突然婚約解消など納得できるはずがありません。エトワール王女殿下――」

「では、ごきげんよう」


 彼の大願である政権奪取は、エトワールの夫となることが必要条件だ。当然、婚約解消に納得はしないだろう。

 彼からの呼びかけを遮って、カーテシーを披露する。物言いたげにイザールが口を開きかけたのも無視して、踵を返した。


 一方、その場に残されたイザールは、エトワールの姿をいつまでも見送っていた。そして、ため息交じりに小さく呟く。


「厄介なことになった。まさか、ポセニアとの関係について気づいていたとは……」




 ◇◇◇




 そして、歓迎の宴が始まった。プトゥゼナール国王を迎えるために、一週間前から王宮に滞在していた貴族たちが、会場に集まる。


 会場は野外となっており、空は雲ひとつなく青々としていて、爽やかな風が吹いていた。


 庭園はこの日のために手入れが行き届いており、茂みは丸く均等に形を整えられ、植えられた花はみずみずしい。着飾った人々たちすら、まるで装飾の一部のように、この庭園の色彩を豊かにしている。人々のテーブルに、続々と贅沢な食事が運ばれていく。


 参集者たちよりも一段高い場所に、エトワールやフェレメレン家の王族達、そしてプトゥゼナール国王が座っている。プトゥゼナール国王は派手好き、享楽好き、そして――幼女好きで有名だ。


(確か、このオーケストラの演奏が終わったら……私が舞を披露する番だったわね)


 一度目の人生を振り返りながら、膝の上でぎゅっと拳を握り締める。


 王女教育の一環で、社交のためのダンスはひと通り修めている。けれど今日は、慣れないプトゥゼナール王国の伝統的な舞を披露しなければならない。


 もし失敗したり、下手な舞を披露すれば、プトゥゼナール国王の心を掴むことはできないし、再び恥をかくことになる。

 エトワールの額には、緊張から汗が滲んでいた。


 すると、エトワールの様子を見兼ねたプトゥゼナール国王が、隣の席から話しかけてくる。


「顔色が悪いようだが、大丈夫かね? わしが背中でもさすってやろうか」

「いえ……大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」


 エトワールが微笑むと、彼は口元わずかに緩め、頬を紅潮させた。


「今日は随分と地味な装いであるな。せっかくの宴なのだから、もっと着飾ってもよかろう」

「ふふ。実はこのローブの下に、とっておきの衣装を着ているんです。国王陛下」

「とっておき……」


 すると隣から、ごくんと唾を飲む気配がした。

 胸元のボタンに手をかければ、隣から荒い鼻息が聞こえてくる。プトゥゼナール国王は、生粋の幼女好きと言われているが、やはり事実のようだ。その証拠に、先ほどからちらちらとエトワールの横顔を眺めては、だらしなく頬を緩めている。


(ああ、嫌だ。そんな舐めるような目で見ないでよね。こっちはまだ十二歳の女の子なのよ? 教育上よくないわ。トラウマになったらどうしてくれるのよ)


 表情にこそ出さないが、心の内で悪態をつく。


 そして、エトワールは席を離れた。まもなく、この宴を取り仕切る廷臣の男が、プトゥゼナール国王に伝統的な舞を披露すると宣言する。


 けれどエトワールは、舞台の上に立っていないどころか、会場に用意された客席にもいない。すでに演奏者たちの準備は整っているのに肝心な主役が登壇していないことに、人々はざわめく。


「……これは、どういうことだ?」

「なぜ王女殿下がいない?」


 そんな人々の内緒話を遠くに聞きながら、エトワールは会場の片隅で静かに見守っていた。


(舞台に出るタイミングとか、段取りを何も聞かされてないんだから仕方ないじゃない。さて、ここでポセニアがどう出るか……まずは様子を見ましょう)


 そのうちに、エトワールは舞ができなくて逃げ出したのではないか、という憶測が広がっていく。

 フェレメレン王家の者たちは不安げな顔をし、プトゥゼナール国王は不満を表情に浮かべる。


 するとまもなく、前回のときと同様に、ポセニアが遠慮がちに手を挙げた。


「あの……! もしよろしければ、わたくしに代わりに踊らせていただけませんか?」


 彼女の殊勝な申し出に、廷臣が驚きまじりに言う。


「聖女様がですか!? ですがこの舞は、今日のために特別に振り付けされたものだったはず」

「はい。でもわたくし、王女殿下が練習するのをずっとお傍で拝見しておりましたので、振り付けは全部、頭に入っているのです。もっとも、王女殿下は挫折してしまったようですけれど……」


 エトワールの姿が見えないから、言いたい放題だ。

 さらりと王女の株を下げることを忘れない、小賢しい女。


「それは頼もしい。ではぜひ、王女殿下に代わってお願いできますか?」

「はい。自信はありませんが、精一杯やってみますわ」


 何が、『自信はありません』だ。


 ポセニアはこれから、プトゥゼナール王国の伝統的な舞を――完璧に踊る。それに、エトワールの練習を傍で見ていたというのは真っ赤な嘘。


 彼女は最初から、少女から手柄を奪うことを画策していたのだ。

 けれど、プトゥゼナール国王が聖女の舞を気に入った以上、嘘を真実にするしかなくなった。

 本当はポセニアがわざと舞のことを伝えなかったのに、たまたま伝達ができていなかったと、一度目の人生のエトワールは、周りの大人に言いくるめられて泣き寝入りしたのである。


(あんたの汚いやり方はよく見せてもらったわ。でも今回は、このまましてやられたりしない)


 そして、ポセニアが舞台の階段を一段上がった瞬間、エトワールはよく通る声で言った。


「――その必要はありません」


 エトワールはローブ姿のまま、会場の中央へと歩いた。


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