34_エピローグ
女王に即位してからは、忙しい日々が続いて休む暇などなかった。レイは彼自身の希望で変わらず王国騎士団団長を続けている。
ある日、エトワールはレイと一緒に、都市アトラスの慰安訪問に出かけた。ルニス王国軍との激しい戦闘によって街はすっかり破壊され、現在は復興が行われている。
「あの……陛下。これのどこがデートなんですか?」
「あら、四捨五入したらデートみたいなものじゃない」
「デートではなくただの公務ですよ、陛下。デートに四捨五入とかしないでください」
都市アトラスの市民に炊き出しをするエトワールに、レイが不満を零す。
今日のレイは、以前約束をしていたデートのために、騎士団の仕事をわざわざ休んできたようで、他の騎士や使用人たちがぞろぞろと付いてくるのを見て事情を察知し、少しばかり、いやかなり落胆している様子だった。
炊き出しは、元は噴水広場だった場所に長テーブルを設置して行っている。テーブルの上にはスープが入った鍋がいくつも並び、王宮から連れてきた使用人たちが皿によそっていく。そして、女王であるエトワールも参加していた。
スープをもらいに来た中年の女性に皿を渡す。
「熱いのでどうか火傷に気をつけてください」
「ありがとうございます……! 女王陛下、どうかこの国をよくしてください!」
「はい。できる限りのことを尽くしていきます」
スープを受け取った女性は、恐縮した様子で深々と頭を下げた。
先代の王の失政により、民衆のフェレメレン王家への信頼は大きく損われている。
ルニス王国との戦いに二度勝利し、休戦に至ったとはいえ、まだエトワールの治世の基盤が安定したとは言いがたい。
(私にできるのは、こうして誠意を尽くしていくことだけ)
もう誰かに足をすくわれないように。
言われたことをしているだけの大人しい女王ではいられない。
「まぁまぁ、素敵なお兄さんだこと!」
「ねぇ、奥さんはいらっしゃるの? 結婚してないなら今度私とデートしてください!」
「お兄さんすごくかっこいい!」
そのとき、つい先ほどまで隣にいたはずのレイが、長テーブルから少し離れた場所で女性たちに囲まれているのが目に留まった。
誰に対しても気さくでざっくばらんなレイは、嫌がる素振りもなく対応していた。彼が他の女性たちに笑いかけているのが、どうにも気に入らない。
「ありがとうございます。でもお兄さんは今日公務中ですので――熱っ!?」
「そうじゃない。『婚約者がいるのでごめんなさい』でしょ?」
エトワールは鍋から抜いて持ってきたお玉を、ぐっとレイの頬に押し当てる。彼は肩を跳ねさせたあとこちらを振り向き、頬をお玉で潰されたまま、鬼の形相のエトワールを見つめた。レイは、エトワールからお玉をすっと取り上げ、エトワールの華奢な腰をさらう。
「きゃっ――」
そして、びっくりして目を見開いたエトワールを抱き寄せながら、女性たちに言った。
「申し訳ありません。……僕には世界で一番かわいい愛する婚約者がいるので、他の男性を当たっていただけますか」
◇◇◇
炊き出しや、避難施設の訪問などの公務を終えると、すっかり日が暮れてしまった。魔法の攻撃によって、多くの建物が崩壊している。エトワールが泊まる宿も、宿と呼ぶにはあまりにもお粗末な佇まいだった。
エトワールはレイとともに宿の屋上に出た。レンガ造りの床にふたりは並んで腰を下ろす。
夜空を見上げると、王宮よりもずっと星を間近に感じた。王宮では照明によって星の明かりが妨げられているが、ここでは邪魔するものがないため純粋な輝きを見ることができる。いつかのとき、レイは戦地で見る星は、王宮よりも綺麗だと話していたのを思い出す。
「綺麗……」
「ええ、本当に」
レイは隣でごろんと寝そべって、星を見上げた。
「地上でどんな卑劣な殺戮が起きても、どんな不条理が起きようとも、星はいつも綺麗に輝いています。嫌味なくらいに。……陛下の葬儀の夜も、こんな風に星が瞬いていました」
そう言って目を伏せる彼は、どこか憂いを帯びていた。
エトワールはおもむろに彼の隣に横たわり、その横顔を見つめる。夜空の下で見る彼は色香を漂わせていて、妖艶な美しさがあった。
「死の直前、私も窓から夜空を眺めたわ。雨が降っていて星は見えなかったけれど。そしてお前のことを思い出したの。遠い戦地でお前が頑張っているから、私も頑張ろうって。そうやって心を奮い立たせていた」
けれどそのあと、イザールに刺されて死んだのだ。
するとレイは、エトワールの上に覆い被さって、床に両手をついた。
「ちょっと。せっかくの夜空が見えないじゃない。退いて」
「……ないでください」
「え?」
「もう……いなくならないでください」
「…………」
切々とした表情で訴えられ、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。いつも飄々としているレイが、こうして感情をあらわにするのは珍しい。
出会いがあれば、別れがある。過去に戻ってきて再会を喜んだとしても、必ずいつか別れの痛みに苦しまなくてはならない。
でも、痛みが強ければ強いほど、幸せな出会いだった証なのだ。
「人はいつか必ず死ぬわ。そして、私は人よりきっと――死に近い場所にいる。だからお前に、いなくならないと約束することはできない」
「そんな……」
「――でも」
……エトワールはそっと手を伸ばし、レイの頬を優しく撫でた。
「いつか私たちのどちらかが先に死んでも後悔しないように、お前がくれたこの命を大切にして、毎瞬毎瞬を噛み締めながら一生懸命に生きていくわ。だからレイも、自分の命を大切にしてね。お前が私を失うのを恐れているように、私もお前を失うのは……怖い」
「分かりました。約束します」
本当は王国騎士団団長として戦地に赴かせるのではなく、安全な場所に縛り付けておきたい。しかしレイは、そうしてしまうのが惜しいくらい有能な人材なのだ。
「失いたくないと言いながら戦地に向かわせるなんて、私はつくづく冷酷な人間ね」
「いいえ。陛下の使命がこの国家と民を守ることなら、それは僕にとっての使命でもあります。陛下の意向は何も間違っていません。それに僕は陛下に拾われる前から、自分の能力を活かせる場をずっと望んできたんです」
王家に生まれたエトワールの宿命は、天地がひっくり返っても変えられない。逃れることなどできない。
その上で、この人はエトワールにはどこまでも誠実だ。
エトワールが右と言えば右、左と言えば左になる。エトワールが人々に馬鹿にされ、孤立しているときも、彼だけはエトワールの味方でい続けた。
「どうしてお前は、そこまで私を想ってくれるの? 私なんて……全然大した人間じゃないのに」
ポセニアがかつて言いふらしていた、愚かで怠け者で臆病者という噂も、あながち間違ってはいない。
どんな分厚い仮面を被って、高潔な女王として振舞っていたとしても、エトワールの素顔は、弱さを抱える普通の人間なのだから。
「初めてお会いしたときから、小さな肩に壮絶な使命を背負うあなたを守って差し上げたいと思ったんです。俺はずっと、何の生きがいもなく、ただ淡々と生き延びてきただけでした。波瀾万丈な人生を懸命に生きる陛下の存在が、空っぽだった僕の生きがいになったんです。あなたの弱さも含めて全部、愛しています。陛下」
熱を帯びた眼差しに射貫かれて、心臓がどきんと跳ねた。彼の素直な思いを真正面から受け止め、胸の奥がこそばゆい。
エトワールはふっくらとした唇を開き、最愛の人に向けた言葉を紡ぐ。
「私も愛してるわ。……――お前になら、殺されてもいいと思うくらいに」
「……! ふ、ご冗談を」
これは、エトワールにとって最上級の愛の言葉だ。きっとレイも、エトワールが冗談で言っているのではないと分かっているだろう。
彼はわずかに目の奥を揺らしたあと、いたずらに口角を上げていつもの軽い調子で言う。
「今の僕たち、初めてキスするには絶好のタイミングだと思うんですけど、陛下はいかが思われますか?」
「奇遇ね。……私もそう思っていたところ」
エトワールがゆるりと唇で扇の弧を描き、瞼を閉じたとき、口づけが降ってきた。
ただ唇と唇が触れ合うだけなのに、形容できないほどに心地よく、甘い痺れが全身に広がっていく。
そして、口づけを交わすふたりの頭上に、星々が美しく輝いていた――。
〈終〉
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
私は波瀾万丈で華のある女の子が好きでして、エトワールがドラマチックな人生の中で自分なりの愛を見つけていく過程を描けて、とても楽しかったです︎︎^_^
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