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31_女王陛下の仰せのままに

 

 三日後、一度目の人生と同じ日、同じ時間に国王ダニウスは崩御した。時を遡っても、父の寿命だけは変わらなかった。


 彼の葬儀は国葬となり、会場には国中の貴族たちが参列した。


 父との二度目の別れに悲しんでいる暇もなく、王宮の王位継承評議会ののち、エトワールは新女王に即位した。

 戴冠式の予定はちょうど一年後。前回の人生では、戴冠式を迎えることなく、イザールに殺されてしまったのだった。


 地下牢で証言を得てイザールの家宅捜索を決行したところ、ルニス王国とのやり取りを証明する書簡が発見された。ポセニアとイザールはともに罪を認め、ポセニアは火刑、イザールは斬首が執行されることに。


 イザールの父親は今回の件の責任を取って隠居し、長男に爵位を譲った。王家からヴァレンリース公爵家に対しては、財産と一部の領地の没収という処罰が下される予定だ。


 彼らはブリュートニーの戦いで医療奉仕部隊の軍医たちを皆殺しにし、王位を狙おうと常に権謀術数に耽ってきた。その罪は、命ふたつでは到底足りないほどに重い。


 五日間に及んだ国葬の間、エトワールは儀式を粛々と行い、新女王の威厳を参列者たちに示した。


 十七歳という若さでありながら、父の葬儀で涙ひとつ見せず、峻厳とした佇まいを見せたエトワールを人々は賞賛した。即位してまもない彼女にはすでに、統治者としての風格が出来上がっていた。


「この度はお悔やみ申し上げます。……そして、ご即位おめでとうございます。女王陛下」


 国葬最終日。葬儀を終え、会場から王宮に帰って長い通廊を歩いていると、レイに話しかけられた。


「レイ……」


 顔を見るのは、ブリュートニーの戦いのあとの夜会以来――数週間ぶりだ。


 ポセニアたちの処断から父の死、女王の即位と、毎日が目まぐるしかった。ずっと緊張状態が続いていたが、彼の顔を見た瞬間に力が抜けていく。


 するとレイは、胸に手を当て、最上級の礼を執ってから言った。


「もしよろしければ、外で少し涼みませんか?」


 彼はバルコニーに繋がる扉を指差す。国王の崩御によって王宮内は騒がしく、廊下はひっきりなしに人が行き交っているので、息が詰まりそうになる。


 エトワールは小さく頷き、バルコニーに出た。夜の冷たい風が頬を撫で、心を落ち着かせてくれる。

 ふたりは白亜の手すりに腕をかけて、並んで立った。


「随分疲れたお顔をなさっています。ろくに休めていないのでは?」

「戦地から帰還後ずっと忙しない毎日が続いていたもの。葬儀が終わったら、少し休むわ」


 風になびく後れ毛の束をそっと耳にかけながら、目を伏せる。するとレイは、いつもの軽い調子の声で言った。


「もし泣きたかったら、肩をお貸しいたしますよ。涙を流す女性に肩を貸すのが、男の役目ですから」

「…………」


 彼の提案に答えず、手すりに頬杖を突く。

 父を亡くすのは二度目だ。一度目のときも二度目のときも、悲しむだけ悲しんだし、泣くだけ泣いた。


(今は落ち込んでいる暇はない。もうじき……都市アトラスが包囲されるのだから)


 川の近くにある都市アトラスは、この国の防衛の要。そこが陥落したら、レストナ王国に未来はない。イザールを処断することでようやく繋いだ命も無駄にしてしまうだろう。


 けれどエトワールは、ひとりではない。隣にこんなにも頼もしい人がいてくれる。

 彼がエトワールに絶対の忠誠を誓うように、エトワールも彼のことを心から信頼している。


 アトラスを守り抜くことを心に固く誓い、そっとレイの肩に頭を寄せた。


 誰かに甘えることに慣れていないエトワールは、これだけで心臓が加速し、いっぱいいっぱいになる。しかし、それを悟らせないように平然を装った。


「ひとつ……お願いしてもいい?」

「なんなりとお申し付けください」


 エトワールは彼の顔を見つめながら、甘えるように言う。


「……お前とふたりきりで、どこかに遊びに行きたい」

「……!」


 そのとき、彼の切れ長の瞳が見開かれる。使用人や護衛をつけずにふたりきり。そんな甘い誘いに、レイは喉の奥を鳴らした。


「それはいわゆる、デートの誘いと取ってよろしいでしょうか」

「……お好きにどうぞ」


 ほんのりと頬を染め、彼の肩に頭を寄せたまま目を伏せる。これはただの、照れ隠し。

 もう、婚約者はいない。好きな人と出かけても、咎める者は誰もいない。


 エトワールが沈黙して彼の言葉を待っていると、こんな返事が降ってきた。


「――女王陛下の仰せのままに」




 ◇◇◇




 そして、国葬からひと月後、ポセニアの死刑が執行された。彼女は民衆の前で火炙りになり、壮絶な最期を迎えた。エトワールは彼女の処刑の日、公務のため出向くことができなかった。


 その四日後が、イザールの処刑日。処刑場は関係者以外立ち入り禁止で、彼の身内や貴族たちが処刑を見守りに刑場に訪れた。


 処刑が決まってからずっと牢獄に幽閉されていたイザール。

 彼は罪人といえども筆頭公爵家の令息であるので、この日を迎えるまで最低限の生活を送ってきたはずだが、以前の面影もないほどに痩せ、みすぼらしい姿になっていた。


 斬首刑は数ある処刑方法の中でも、比較的苦痛が少ないとされている。それでも、自分がこれから死ぬのだという恐怖は相当なものだろう。


 彼は騎士たちに連れられ、処刑台まで歩いていく。

 虚ろな瞳で下を向き、ぶつぶつと何かを呟いていた。


「あの女の……せいだ。全て、あの女のせい……。許さない、許さない、許さない、許さない……。エトワールだけは、絶対に許さない」


 処刑台の傍に立っていたエトワールは、目の前を通り過ぎるイザールが確かに自分の名前を呟いたのを聞いた。彼は近くにエトワールがいることに気づいていないようだ。


 処刑台に立たされたあと、執行人の指示によって彼がその場に跪く。エトワールは、彼の前まで歩んだ。


「…………無様ね」

「……っ! エトワール! 貴様、よくも……っ!」


 はっと顔を上げた彼は、眉間に縦じわを刻んで、憎悪を表情に滲ませる。彼の威圧を真っ向から受け止めても、エトワールは眉ひとつさえ動かさない。


「私は女王として、国の繁栄と平和のために、この国を治めていく。だから、あんたは消えてちょうだい。――()()()()()()()()()()

「……お前のような小娘に、この国を守り切れるはずがない。俺が消えたところで、玉座を狙う者は現れ続けるだろう」

「そうかもね。でも私は、最後の瞬間まで足掻き続ける」


 今日は、ぽつぽつと小雨が降っている。エトワールは、おもむろに空を見上げながら呟く。


「やまない雨はない……そんな言葉が私は嫌い。だって、やむ前に散ってしまう花もあるもの。大地をいびつに変えた雨雲はどこかに消えていき、今度はまた、新しい雨雲が頭上に近づいてくるの」

「……一体、なんの話をしている?」


 エトワールがこの男に殺された日は、雷鳴が轟き、激しく雨が降っていた。彼に裏切られた傷はまだ、エトワールの心に深く刻まれている。運命を変えたところで、心の傷は癒えないままだ。


 雨が降っても止んでも、結局苦しいことばかりだ。何を信じればいいのか、本当に人生に希望があるのか、時々分からなくなることがある。


「それでも、空を仰ぎ見ていなければ……晴れ空を拝むことは絶対に叶わないわ。だから私は、何度大雨が降っても、その度に太陽が覗いてくれるのを信じて――空を見上げ続ける」


 奥歯を噛み締め、心を奮い立たせ、晴れるか分からない空に手を伸ばし続ける――それが、エトワールの生き方だ。


 そのとき、レイの笑顔が思い浮かんだ。彼の笑顔はエトワールにとって、雲間から差し込んだ陽の光のよう。眩しくて、温かくて、どこまでも優しい。それは、激しい雨が降らなかったら気づけなかった尊さだ。


 エトワールは小さく息を吐き、最期にこう告げた。


()()()、私の執念の勝ちね。イザール・ヴァレンリース」


 二度目の人生でも、彼は強敵だった。なかなか婚約解消できず、あと少しでまた籍を入れるところだった。

 ぎりぎりの勝利だが、これで忌まわしいイザールから、この国を守ることができる。愚王と罵られてきた父が守り抜いた王朝を存続させられる。


 直後、執行人ふたりが斧を振り上げる。その様子が地面に影として映ったのを目の当たりにしたイザールが、ひゅっと喉の奥を鳴らした。


(さようなら、かつて私の最愛だった人……)


 そうして、二度目の人生では、エトワールがイザールの死を見届けたのだった。

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