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30_父との別れ

 

 二週間後。ポセニアの自供をきっかけに、王国騎士団によるイザールの家宅捜索が行われた。


 彼の部屋からはルニス王国とやりとりをしていた証拠である書簡が複数発見され、銀行に不審な高額の送金があった。

 のちにイザールは、それがルニス王国から振り込まれたものであること、ポセニアと協力してレストナ王国を陥れようとしていたことを認めた。


 筆頭公爵家の令息にして次期王配という栄華をきわめたイザールは反逆者として捕らえられ、エトワールとの婚約も解消された。


 イザールとポセニアの処断の手続きがひと段落した日、エトワールは王宮の中でもとりわけ大きな一室――国王ダニウスの寝室の前に立っていた。

 豪奢な装飾が施された重厚な扉。蔦が絡まるような模様が描かれ、所々に宝石が埋め込まれている。


 扉の前で悩むこと十数分。ようやく手を伸ばし、そっとノックをすると、「入れ」とひと言入室の許可が返ってきた。


 エトワールは深呼吸したあと、扉を押し開く。


「失礼いたします。お身体の具合は……いかがですか」


 ダニウスは、四柱に天蓋がついた大きな寝台で横になっていた。長い闘病により、身体は皮膚と骨しかないと思えるほど痩せている。目は落ちくぼみ、頬はこけてしまった。


 彼は枕の上の頭をゆっくりとこちらに向ける。


「エトワールか。今は少し良いようだ。こちらに来なさい」

「はい。国王陛下」


 五年前に、父の前で戦争に参加すると宣言してからというもの、すっかり仲が気まずくなってしまった。


 エトワールがきまり悪そうに俯いていると、彼は身の回りの世話をしている侍女たちに、寝室の外に出るように促した。


 部屋の中に、エトワールとダニウスのふたりきり。ずっと、父親とはそれなりに良好な関係を築いてきたが、あのとき反抗したせいで、すっかりわだかまりができてしまった。


(うっ……気まずい。何か、喋らないと……)


 どうにも居心地が悪くなり、侍女が淹れかけた紅茶のポットを見つけて言う。


「お、お茶を……! お茶をお淹れいたします」

「構わぬ。それより、もっと近くに寄らんか」

「………」


 ポットに伸ばしかけていた手を下ろし、父が眠る寝台の横の椅子に腰を下ろす。


 曲がりなりにもこの人は、血の繋がった父親だ。王妃である母はエトワールを産んですぐに他界しており、彼だけが唯一の肉親となった。父親の老いさらばえた姿を直視するのは、いたたまれない思いだった。


「無事に帰還したなら、なぜ顔を見せに来なかった。父親が床に伏せっているときに、薄情な娘だ」

「それは……っ! 陛下が二度と顔を見せるなとおっしゃったからでしょう……!?」

「……そんなこと、もう覚えとらん」

「まぁ。随分と都合がよろしい頭ですこと」


 エトワールは不満げに眉をひそめる。


 ダニウスと最後に会ったのは、ブリュートニーの戦いに司令官として出発する前。軍服に身を包んでいざ王宮を発とうというところに、杖をついた父が重い身体を引きずりながら現れた。


『戦地に行くのはよせ、エトワール。お前のような小娘にできることなどない!』

『お断りいたします』

『どうしてお前は聞き分けの悪いことばかり言うのだ。戦地に行って犬死にしたいのか!? ――っぐ、げほっげほ……』

『死にたい人間などいません。ですが以前もお伝えした通り、安全地帯で盤上の駒を動かすだけではいたくないのです。民衆とともに剣を取ります』

『またそのような生意気なことを……っ! ゴホッゴホッ、げほっ、待て! エトワール……!!』


 ダニウスは感情が高ぶりすぎたせいで発作を起こし、咳き込みながら血を吐く。父の周りに控えていた使用人たちが、無理をしてはだめだと、必死に父を諌め身体を支える。


(ごめんなさい、ごめんなさい……お父様。こんな生き方しかできなくて、ごめんね)


 唇を震わせながら、泣くのを必死に堪えた。

 エトワールは心苦しく思いつつもそんなダニウスを無視し、王宮を発ったのである。


 そんな回想をしていると、ダニウスは小さく息を吐いて言った。


「イザールが裏切っていた旨、聞いた。ずっと、あの者をそなたの婚約者に推してきた余を……恨んでいるか?」


 イザールはルニス王国の内通者であり、信用できない男だから婚約を解消したいと懇願してもダニウスは信じず、頑なに首を横に振った。


「ええ、恨んでおります。仮にルニス王国に迎合していたとしても、権力がある男が傍にいた方が安全だとお考えになったのでしょう? 私は何度もお父様に言いましたよね。イザール様は危険だから婚約解消したいと。一回や二回じゃありません。……何度も、何度も」

「お前はまだ子どもだから、誰か反ヴァレンリース派の大人にそそのかされたのだろうと軽く受け流しておったのだ」


 父だけではない。エトワールの言葉を、誰も信じてはくれなかった。貴族たちから協力の要請を断られた手紙は、今もなおエトワールの部屋に無数に積み重なっている。


「イザール様の件だけではありません。陛下の教えの通り大人しくいい子でいたら、今の私の立場は脆弱だったでしょう。誰にも信用されず、馬鹿にされる王女のままだったはず……」


 エトワールはスカートの上で固く拳を握り締めた。


 ダニウスはエトワールを、周りの言うことを大人しく聞いている品行方正な女王にしようとしていた。そのやり方で、自分は国王としての威厳や信頼を失っておきながら……。


「統治者は、少しでも保身に走れば足をすくわれるんです」

「……全くもって、そなたの言う通りだな。余は愚かな王だった。周りの顔色をうかがうばかりで治世は不安定になり、娘からの信頼も失った。余は王としても、父親としても……失格だな」


 ダニウスは無理矢理、半身を起こそうとする。


「ゴホッゴホ――」

「へ、陛下、どうかご無理はせず……!」

「平気だ、構わぬ。余はただ、そなたに、安全で幸せに暮らしていてほしかっただけだ。イザールのような権力があって優秀な男であればそなたを守ってくれると思ったが、何もかも見誤っていたらしい。……今更何を言ったところで遅いだろうが、ずっとそなたに迷惑をかけて、孤独に戦うことを強いて――すまなかった」


 そう言って、深々と頭を下げる父。国王は誰に対してもへりくだったり頭を下げたりしていい立場ではない。――それが仮に、娘であろうとも。


「か、顔をお上げください、陛下!」

「……余はじきに死ぬ。生まれたばかりのそなたを初めて抱いたときから、いつ死んでも構わないと思っていた。情けない王だったが、そなたへの愛情に嘘はない。……欲を言えば、孫を抱いてみたかったがな」


 彼の青みがかった唇がゆるりと半円を描いたのを見て、じわりと目に涙が滲む。硬く拳を握り締め、喉の奥を震わせた。


「…………なら、死なないでよ」

「エトワール……」

「悪いと思ってるなら、生きて、傍にいてよ……! お父様が頼りにならないせいで、私がどれだけ苦労したか分かってるの!? お父様なんて、大嫌いっ! 大嫌い……」


 まるで、駄々をこねる子どものように、ダニウスのことを責め立てる。父と同じグレーの瞳から、次から次へととめどなく涙が零れ落ちていく。

 違う。こんなことを言うために、この部屋に来た訳ではない。エトワールは声を弱々しく絞り出した。


「私……こそ、ひどいことを沢山言って、自分勝手なことして……ごめんなさい」


 そんなエトワールの手を上から包み込むように握り、ダニウスは優しく囁いた。


「謝らんでいい。お前は立派に育ってくれた。それだけで思い残すことはもうない。望むままに生きなさい」

「…………っ」


 エトワールは小さな子どもがするように、やせ細った父に擦り寄り、縋るように泣いた。ダニウスはそんなエトワールの頭を、優しい手つきで何度も撫でる。


 二度目の人生を生きるエトワールは知っていた。この三日後に、ダニウスが他界することを……。

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