03_女王の最も忠実な騎士
都市アトラスの古びた教会に、レイはルニス王国軍との戦いの最後の司令役として駐留していた。戦地に残ったのはたった二百人。王国騎士団団長のイザールは、恥知らずにも民間人を見捨てて王宮に逃げ帰った。
日中激しく降っていた雨は止み、雲ひとつない空に星が輝いている。
「……実はもうすぐ、子どもが生まれるんです」
「へぇ、今何ヶ月だ?」
「九ヶ月になります」
「それじゃ、本当にもうすぐだな。噂によると、お前の奥さんは相当な美人だって聞いたが」
「え、ええ。妻に似ることを願うばかりです」
戦況は劣勢。けれど、レイの中隊の士気は低下しておらず、むしろ戦場にそぐわない、リラックスした和やかな雰囲気があった。レイの周りを大勢の騎士たちが囲い、たわいない話を交わす。
「奥さんと子どもが待ってるんだ。お前は必ず生きて帰れ」
「はい! もしも生まれた子どもが娘なら、ぜひ花嫁にしてやってください」
レイは飲んでいた水をぶっと吹き出す。
「おいおい、勘弁してくれ。一体いくつ年の差があると思ってるんだ?」
木箱に腰を下ろしていたレイがぎょっとすると、周りから笑いが起こる。そして、騎士のうちのひとりが、レイのことをからかう。
「だめですよ。ルードリック様には、心に決めたお方がいらっしゃるんですから」
「ンンッ……えー『女王陛下のためなら、たとえ火の中水の中でも参ります!』」
騎士のひとりが、レイの口調を真似しながら敬礼する。
部下たちに茶化されたレイは、嫌な顔をせず、不敵に口角を持ち上げる。
「火や水の中だけじゃない。あのお方のためなら、毒の池や針の山だって行くさ」
ひゅーっと誰かが口笛を吹く。そしてまた別の騎士が言った。
「こんなに思っていらっしゃるのに陛下に全く相手にされないなんて……大っ変、胸が痛いであります!」
「全くだ。俺にとっては、ルニスの城砦よりも難攻不落なのが殿下のお心だった。こんなにセクシーでいい男、そうそういないと思うんだけどな?」
「自分でそのようなことをおっしゃるところがだめなのでは?」
わっとまた笑いが起こるのを、レイも笑いながら受け止めた。
もともと賎しい孤児だったレイはかつて、犯罪に手を染めながら生計を立てていた。
そしてとある貴族の恨みを買い、刺客に殺されかけているところを、たまたま通りかかったエトワールに救われた。彼女は薄汚い孤児であるレイに、上質な服、温かい食事を与えただけではなく、騎士団への入団を斡旋してくれたのだ。
それからレイは、次期女王に命をかけて忠義を尽くすことを誓って鍛錬を積み、戦場で武勲を重ね、遂にはルードリック伯爵位と――エトワールの近衛騎士の座を掴んだのだった。
レイは有能でユーモアがあるため、多くの人から好かれた。騎士団の者たちは揃ってレイを王国騎士団長にすることを望んだが、筆頭公爵家の嫡男であるイザールには家柄と権力で敵わず。彼は金とコネの力で騎士団団長になった。
権力を利用してあっという間に騎士団長に就任したイザールに、騎士たちの多くは迎合し、支持していた。――表向きには、の話だが。
もっともレイにははなから、野心など全くなかった。女王の近衛騎士になることを選んだレイを、騎士団の者たちも快く見送ったのである。
そして、傍で仕えるうちに、恐れ多くもエトワールに恋心を抱くようになった。けれど彼女にはイザールという婚約者がいた。
エトワールは、イザールに好意を抱いているようだった。イザールはなんでも持っていて余裕があり、女性には魅力的に映るらしい。
(女王陛下には悪いが、あの男はいけ好かない)
イザールがエトワールを愛することはなく、聖女ポセニアと浮気をするようになった。浮気については、騎士団の中では公然の秘密だが、彼の権力を恐れて誰も言及しない。
そのとき、教会の扉が激しくノックされ、ひどく動揺した様子の騎士が入ってきた。
「ルードリック様! た、大変であります!」
「ああ、そうだな。この戦況がとんでもなく大変なことはよーく知っている」
「いいえ、その……そうではなく……。大変申し上げにくいのですが……」
騎士はいたたまれなそうに目をさまよわせてから、おずおずと口を開いた。
「……エトワール女王陛下が、崩御なさいました。イザール様の剣に貫かれ……」
一瞬、時が止まったような感覚になる。レイは椅子からがたんっと立ち上がり、気づけば報告をしに来た男に掴みかかっていた。
「もう一度言ってみろ! 誰が、何をしたって!?」
「……イザール、様が……っ、現王朝に反旗を翻し……女王陛下を殺害、なさいました」
レイは騎士の胸ぐらを掴む力を強めた。襟の生地が肌にくい込んで気管を圧迫していく。彼が苦しそうに顔をしかめると、慌てて別の騎士が宥めてきた。
「落ち着いてください、ルードリック様!」
「それ以上締め上げれば、その者が死んでしまいますよ!」
レイのモットーは、どんな時でも笑顔とユーモアを忘れずにいることだ。いかなる困難な状況でも冗談を言って、部下たちの緊張を解す。だからレイは、部下たちに慕われていた。
しかし、レイの顔からはいつもの余裕ある表情はすっかり消えていた。眉間に縦じわを刻み、その殺気だけで人を殺せそうなくらい。
部下に制止されて襟から手を離すと、男は床に崩れ落ちてげほげほと咳き込む。
そんなレイがいつになく取り乱す様子に、部下たちはただただ胸を痛めた。
「あの男……。絶対に、許さない……」
低くそう呟き、拳を固く握り締める。
魂が震えるような怒りによって、無自覚に魔法が発動する。どこからともなく強い風が吹きすさび、窓ガラスが割れていく。
教会の中の調度品も次々に宙を浮遊して壁に叩きつけられ、音を立てて壊れていく。
その場に居合わせた騎士たちは、立っているのがやっとだった。




