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29_楽しい夜になりそう

 

 夜会が終わって二時間後、深夜にイザールは護衛もつけずにひっそりと王宮の地下に向かった。

 その後ろを、騎士を数名付き従えたエトワールが尾行する。


 イザールは階段を降りて地下牢に着いたあと、コップに水と、エトワールが渡した――包みの中の粉を入れた。


(はっ……呆れた。愛していたポセニアのことも、自分を守るためなら簡単に見限るのね。お互い裏切りあって、似た者同士だったって訳)


 薄情な彼に失望しつつ、廊下の陰に隠れて様子を窺う。ポセニアは依然として罪を認めていないが、イザールの前でなら白状するかもしれない。そのために、証人として騎士を連れてきたのだ。


 イザールは看守に賄賂を渡して人払いをし、鉄格子の中へと入っていった。彼の姿を見たポセニアは、しおしおと言う。


「イザール様……お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ございません。会いに来てくださって、とても嬉しいですわ」

「……かなりやつれたな。飲み物を持ってきた。飲むと良い」


 そう言ってイザールは()()()、コップを鎖に繋がれたポセニアの口元に傾けて水を飲ませてやった。


「あら……少し塩気があるような」

「気のせいだろう」

「それより……お願いですわ。わたくしをここから出してくださいまし。ルニス王国で人質になっている家族のために、わたくしはここで死ぬ訳には――きゃっ!?」


 ポセニアが懇願し終わるより先に、イザールが彼女の襟を掴み上げていた。彼は愛している相手に対してとはとても思えない冷たい声音で告げる。


「よくも俺を騙したな」

「なん……の、ことですの……?」

「とぼけても無駄だ。お前の養父が今、王宮に参考人として留置されている。奴に聞いたところ、お前の父親は犯罪者で母親は病死したと言っていた。それからお前はここに投獄されている間、俺に罪を擦り付けようとしていたそうではないか」

「それは……」


 ポセニアは口をつぐみ、沈黙する。するとイザールは、乾いた笑いを漏らした。


「否定しないということは、図星なんだな。お前は、家族と自由のためだと嘘をついて俺の気を引き、挙句の果てには俺に責任を押し付けて自分だけ逃げようとしたんだな」

「あ、あなただって、罪のない軍医を殺したではありませんか」

「俺が殺したのはひとり。お前に比べたら可愛いものだ。戦時の混乱によって俺が殺した証拠は見つからず、事実を知るのは――お前だけだ」


 ポセニアの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「嘘をついたのは事実ですわ。ですが、あなたを愛している気持ちは本物です……! 女王になられたエトワール様を殺してあなたが王になったあと、わたくしを妃にしてくださるお約束は忘れてしまったのです……!?」

「覚えているが、その約束は果たされないだろう。俺はもうお前を信じられない」


 ポセニアの懇願を、ぴしゃりと撥ね除けるイザール。


「たった一度であろうと、裏切りは裏切りだ」


 その言葉を、イザールにもぜひ言ってやりたかったが、エトワールは喉元で止めた。


「……なら、わたくしはイザール様が王権簒奪を狙っていたことを証言いたしますわ」

「お前ひとりが何を言ったところで、俺がボロを出さない限り王国騎士団は手出ししてこないだろう。ヴァレンリース公爵家という後ろ盾がある限りはな。……今飲ませた水には毒が入っている。お前がこれ以上余計なことを言う前に……このまま死んでもらう」

「……!?」

「ルニス王国とは今後、俺が直接交渉していく。お前への信頼は失ったが、レストナ王国がルニス王国の支配下に入るべきだという考えは変わらない」

「ひどい……ですわ。わたくしのことを――見限るのですね。お前さえいてくれたらいいとおっしゃったのは、偽りだったのですか」


 一拍置いたあと、イザールは口を開く。


「何を言っている? 愛しているに決まっているだろう」


 それはまるで、ポセニアの疑問が理解できていないような口ぶりで。


「なら、どうして毒など……」

「ただ、お前への感情が、自分を犠牲にできるほど強くはなかっただけだ。残念だが、俺は他人のために自分を犠牲にするような奇特な人間ではない」


 はっきりとそう告げられ、ポセニアは言葉を失った。


 そこでエトワールは、騎士を付き従えたままふたりのもとに歩む。

 こちらの靴音に気づいたイザールが、こちらを振り返った。


「つくづく身勝手な男ね。イザール」


 この男はいつだって、何より自分が可愛いのだ。そうでなければ、ルニス王国に迎合して国を売ろうだなんて考えない。


「ふたりとも、ルニス王国の手先であることを認めてくれてどうもありがとう。あなたたち、今の話の内容は記録しているわね?」

「もちろんでございます。王女殿下」


 エトワールが連れてきていた男のひとりが、記録用の手帳をこちらに見せた。ここにいる騎士たちは、実は騎士の制服を着ているだけで騎士ではない。エトワールがかねてから、イザールを排斥するために協力を仰いできた王家と関わりの深い貴族たちだ。


 何度も交渉してきて、今夜はようやくその重い腰を上げてここに集まった。

 

「ね? これで私が嘘を言っていないって……分かったでしょう」

「……ヴァレンリース公爵は過激で敵こそ多いが、それでも愛国心のあるお方だ。まさか息子が、ここまでの愚か者だったとは……」


 貴族たちは顔を見合せ、失望感を漂わせている。


 こちらの姿に驚いているイザールからコップを取り上げて、一気に飲み干す。そして、空のコップを片手にポセニアに言った。


「安心しなさい。これは毒ではなくただの塩水よ。でも、イザールがあんたを殺そうとしたのは事実。これでよく分かったんじゃない? この男がどれだけ自分中心で、最低かってこと」

「……」


 未だに現実を受け止められないのか、ポセニアは目をさまよわせて狼狽えている。他方、イザールも混乱している様子。


「殿下、一体これはどういうつもりだ?」


 彼からの問いにも無視して、本物の王国騎士団所属の騎士たちに命じる。


「ただちにイザール・ヴァレンリースを捕らえなさい! その者は国家を裏切った――反逆者よ。その者を牢に閉じ込めたあと、すぐに家宅捜索へ向かうこと。下着の中までくまなく調べるのよ」

「「御意」」


 毒殺未遂の現場は複数人が目撃しているし、本人からの言質も取った。これで、ヴァレンリース公爵家も調査を拒めまい。


 騎士たちがイザールを拘束し、引きずるように地下牢から連れ出す。エトワールはポセニアの前にしゃがみ、話しかけた。


「ねえ、まだ隠していることがあるなら聞くけれど」

「どの道わたくしももうおしまいですわ。でもどうせなら、彼も道連れにいたしましょう。王権簒奪を企てていたことでも、彼の気持ちが悪い恋文の内容でも恥ずかしい性癖でも、なんなりとどうぞ」


 エトワールはその場にしゃがみ込み、頬杖をつきながら首を傾げた。


「今夜は久しぶりにとても楽しい夜になりそうだわ。先生?」

「……だから、その呼び方はやめなさいと言っているでしょう」


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