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26_新しい恋に気づく時

 

 エトワールは一歩後ろに下がって、レイと距離を取った。けれど彼は遠慮なく距離を詰めてくる。


「僕だって本命の女性と踊りたいですよ。でもあなたは、僕を振ったじゃありませんか。それとも、ひとりでダンスを踊れと?」


 社交の場で、貴族がパートナーを伴うのはマナーだ。


「あら。お前は有能だから、空気とでも踊れると思ったのだけれど」

「ええ、僕は有能ですよ。命じられれば空気とダンスでもキスでもしましょう。それに、あなたの愛する婚約者より有能で背も高く顔もいい。おまけに一途だ」

「イザールのことは、もう愛していないわ」

「ならどうしてあのとき――見捨てなかった?」


 彼がこちらを見る眼差しに、鋭さが帯びる。


「…………」


 ブリュートニーの戦いで、エトワールは敵兵に囲まれているイザールを助けた。……未来で自分を殺すかもしれない相手にもかかわらず。


「その理由は、あなたの中にあの男への愛情が残っていたからじゃないんですか?」

「違うわ。誰かを見殺しにする勇気が……私になかっただけ。あの場にいたのが誰だったとしても、助けていた。嫉妬しているのはお前の方じゃない? レイ」

「ええ、そうですよ。いつだってあの男に嫉妬してます。未来でおぞましいことをしでかす奴が、のうのうと殿下の婚約者でい続けていることが僕には耐えられない。僕の方があなたのことをずっと、ずっと深く……愛しているのに」


 絞り出すようにして言った彼は、顔を伏せ、拳を握る。


「殿下、好きです。ひと息吐く度に、あなたに焦がれています。……僕のことは永遠に、視界に入れてくださらないのですか。男としてなんの価値もありませんか。あなたにとって、要らない存在ですか」


 レイの切々とした想いが伝わってきて、胸が締め付けられた。いつもにこにこと笑顔を湛えていて前向きな彼にそぐわない、余裕のない態度。エトワールはきゅっと唇を引き結ぶ。


(お願い、そんなに傷ついたような顔をしないで。私の心を掻き乱さないで)


 こちらが黙っていると、彼ははっと我に返った。


「すみません。こんな余裕ないこと、言うつもりじゃなかったのに……。殿下のお立場のことは理解しているはずだったのに、困らせることを申し上げました。今のは全部、聞かなかったことにしてください」


 あのときイザールを援護するように部下たちに命じたのが、正しい選択だったのかは分からない。自分が罪悪感を抱くのが嫌で、仇を救うなんて間違っていたのかもしれない。

 自分の心が思い通りにいかないものだと、改めて実感させられる。


 エトワールは沈黙し、自分の身体を抱き庇うように腕を組みながら言った。


「私だって、できるなら婚約解消したいわよ。でも……あの男が拒んでいるの。私を殺して政権を奪取するために私の夫にならなくちゃいけないから」


 そして、一度結んだ契約をエトワールの一存だけで白紙にするのは難しい。王族の婚姻ともなるとなおさらだ。


 エトワールは何度も父ダリウスや廷臣たちに、イザールとの婚約解除を訴えてきたが、実現しなかった。イザールの実家は権力が大きく、その意向になかなか刃向かえないのだ。

 レイにはそのことを話していなかったので、いまだにイザールに愛情があると勘違いしているのだろう。


 まもなく国王ダニウスは病死する。そうすればエトワールは女王に即位し、イザールは夫となる。その条件が揃えば、彼は再びエトワールのことを殺しに来るだろう。


(私は一体、何のために足掻いてきたのかしら。結局、自分の命すら守れないなんて笑っちゃう)


 おもむろに、自分の胸の辺りに手を伸ばす。イザールに胸を剣で貫かれたら、何もかもおしまいだ。エトワールの努力は全て水の泡となり、この国はルニス王国に支配される。


 自分の地位のことを忘れて自由になれたら、どんなにか良いだろう。

 エトワールだって、仇が婚約者の座に据わり続けることは耐えがたいほどに辛かった。


「生きるって苦しいことばっか。次から次へと厄介な試練が押し寄せてきて、乗り越えたと思ったら次、乗り越えたと思ったらまた次って、キリがない。ただ耐え忍ぶだけが人生なんだと思ってた。それが私の人生だって……」


 想像を絶するほどの嬉しいことは大抵起こらないのに、想像を絶する嫌なことは、あらゆる角度から飛んでくる。


(でも、不思議。レイといるときだけは、自然と笑っている。レイと楽しく過ごしているときは、生きているのも悪くないと思えるの。抱えている悩みも忘れ、苦しみに溢れていたはずの人生が全部ひっくり返ってしまうの)


 この人が自分のために身命を賭してもう一度行き直すチャンスをくれたときから、前回の人生以上にレイと向き合ってきた。そのうちに、彼が自分に対して抱いてくれている深い愛情に気づき、エトワールもまた――彼のことを特別に思うようになっていた。


 胸に広がる温かくて透明な気持ち。

 こういう気持ちを――恋というのだろう。


 手を握りたい。この人をもっとこの人ともっとくっつきたい。もう一度抱きしめてほしい。好きだと伝えたい。そう何度も思っていたがそれは叶わない。婚約者がいる身でそれをしたら、自分を殺したイザールと同じになってしまうから……。


「けれど、どんな困難でも乗り越えられる気がするの。お前の――笑顔とユーモアがあればね」

「!」

「だからお願い、もう少しだけ……傍にいて。お前は私にとって必要な存在よ。今はそれしか言えないけれど、紛れもない本心だから」


 エトワールは絶対に逃げない。

 何度裏切られ、踏みつけられようとも、前を向いて足掻き続けるのだ。

 不条理に屈したりしない。イザールなんかに殺されたりしないし、決して国も、王座も奪わせない。


「いつまででも、喜んで」




 ◇◇◇




「いい加減白状しなさいよ。ポセニア先生?」


 ポセニアは医療奉仕部隊全員の殺害容疑によって、王宮の地下牢に捕らえられている。

 エトワールは夜会の前にそこに寄った。


 彼女を捕虜としてルニス王国に交渉を持ちかけたが、向こうは応じなかった。例えばこれが重要な貴族であったなら、高額な身の代金や権益の割譲によって、身柄の引き渡しを要求してきたところだろうが。

 つまりルニス王国は、ポセニアを斬り捨てたのである。


 あとは、医療奉仕者暗殺の罪、ルニス王国軍に陣地の情報を流した罪を認めさせるだけなのだが、彼女は一年以上も認めていない。


 また、恐らくは共犯者であるイザールも、戦時中の混乱によって確たる証拠を得られていないままだ。彼にはヴァレンリース筆頭公爵家という大きな後ろ盾があり、安易に疑いを立てようとすれば圧力をかけてくるはず。


 何か、彼への取り調べを強行するために、ポセニアの証言以外で事件と結びつく証拠を得られたらいいのだが……。事件から一年以上も経過してしまったので、ずる賢いイザールはとっくに証拠を隠滅しただろう。


「その先生という呼び方はおやめなさい。わたくしはもうあなたの先生ではありませんわ」


 薄暗い地下牢においては、エトワールが持っている蝋燭の明かりだけが頼りだ。火が照らすポセニアの顔は、かなりやつれており、両手首を壁に拘束されたままこちらを見つめている。


 ポセニアはエトワールの家庭教師だったが、宴の舞事件をきっかけに、解雇した。一度の人生で彼女は、エトワールにとって数少ない話し相手のひとりだった。優しくて気さくな彼女を信頼していたが、その裏ではイザールと浮気をし、エトワールの悪口を吹聴していたのである。


 今回の人生ではポセニアを家庭教師から解雇したため、エトワールの身近な立場の人間として悪口を語ることもできなくなった。

 ふたりを比較するような噂話はなくなり、むしろ、エトワールが流したポセニアの浮気の噂のせいで、彼女は人々に白い目を向けられている。


 エトワールは冷ややかな表情を浮かべて、彼女の顔を覗き込んだ。


「イザールに罪を擦り付けようとしても無駄よ。死亡した十九の医療従事者たちの内、十八人はサルライドの魔法による死亡が確認された。ひとりの軍医だけ大動脈を刺され、出血多量による失血死だったみたいだから、これをやったのはあんたの言う通りイザールなのかもね」


 エトワールが戦地で矢傷を負ったとき、イザールに軍医と治癒魔法師を探しに行かせた。だが、待てど暮らせど帰ってこず、戻ってきたときにはなぜか服を着替えていた。


 彼が軍医の返り血を浴びていたために着替えてきたのなら、辻褄が合う。


「だから、わたくしは無実だと言っているでしょう。全て、イザール様に命じられてやっただけですわ。あの男に脅され、一緒にルニス王国軍の手先のような真似をさせられていたのです」

「あなたがいくら言ったところで、イザールの嫌疑が不十分だと捕まえられないのよ。……それにしても全く。自分が助かるために、愛していた相手を売るとはね。あなたの愛情はその程度だったの?」


 ポセニアは厳しい尋問を受けても、自分は無実だ、の一点張りだった。

 

「はっ……愛されなかったあなたに何を言われたところで、ひがみにしか聞こえませんわ」


 そのとき、ポセニアの美しい顔がいびつに歪む。


「きっとイザール様も、わたくしのために捕まるのなら本望のはず。あの方が選んだのはこのわたくし。あなたのように気が強くて短気な方より、わたくしの方に心が揺らぐのはもはや必然ですわ。きっとエトワール様のことなんて、誰も愛しはしないでしょう」

「なんですって……!? 浮気した立場でどこまで恥知らずなの……! ほんとに頭に来るわ」

「ほうら、そのようにムキになっては図星と認めるようですわよ。本当は、わたくしに負けて悔しいだけではありませんの?」

「…………」


 イザールに胸を貫かれたときのことは、今も鮮明に覚えている。当時は、イザールの寵愛を受けたポセニアに嫉妬していた部分もあった。けれど今は違う。


「まさか。理性のない獣と同等のあんたに、嫉妬心なんて抱くはずがないわ」


 そうひと言吐き捨てたエトワールは、地下牢を後にするのだった。

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