25_凱旋
一年と数ヶ月後、ブリュートニーの戦いは、ルニス王国軍の司令官を討ち取ったことで、レストナ王国が――勝利した。
エトワールは今回の戦いの一番の功労者として、凱旋に参加した。
装飾が施された軍服を身にまとい、馬を走らせる。かっぽかっぽと馬が石畳を蹴って揺れる度に、エトワールの束ねた漆黒の髪がなびく。
エトワールの姿をひと目見ようと、街道には大勢の観衆が押し寄せ、道の脇には様々な屋台が軒を連ねていた。
彼女の凛とした横顔を、人々はうっとりと眺める。
「おお……なんと凛々しく美しい……」
「あの華麗なお方が不利なこの戦を勝利に導いてくださったとは。エトワール様が女王となれば、この国も安泰であろう。それに引き換え、聖女ポセニアは……」
「ああ、我々はひどい裏切りにあった。まさかあの女が、ルニス王国の――犬だったとはな」
凱旋に集まった観衆たちの半分は、戦地で指揮を執った賢明な王女を称賛し、もう半分は――卑怯な聖女を非難した。ブリュートニーの戦いでの医療奉仕部隊暗殺については、すっかり国中の噂となっている。
そんな内緒話が重なり合って喧騒となり、エトワールの耳にも届く。時おり、ポセニアの名前が耳を掠めては、不愉快な気持ちになった。
王国騎士団の調査により、ポセニアがルニス王国の工作員だということは、彼女の養父ビレッタ侯爵の証言によって明らかになり、本人もそれを認めた。
だが、医療奉仕部隊の者たちを殺したことや、ルニス軍に情報を漏らしレイがいる陣地を襲わせたことは――親ルニス派のイザールの命令だったと訴え、自分自身は無実を主張している。
(まさか、ポセニアがイザールに罪を擦り付けようとするなんて、予想外だわ)
イザールの疑惑に関しては、確信的な証拠を得るため水面下で調査をしており、イザール本人すらポセニアが自分を売ったことは知らずにいる。なお、ポセニアは医療奉仕部隊暗殺の容疑者として勾留されたまま、王国騎士団による尋問が続けられている。
現在も、事件の調査に進捗はない。ブリュートニーの戦いが終わってようやく帰還したので、エトワールも今回の事件解決に協力していくつもりだ。
いずれにせよ、人々に崇敬されてきた聖女の正体は、世間を騒がせたのだった。それがイザールの浮気相手ということで、イザールの支持もみるみる低下している。イザールとポセニアの不貞関係は、エトワールがあちこちで噂を流したことで、水面の波紋が広がるように周知の事実となっていった。
これで、医療奉仕部隊暗殺の共犯やルニス王国との内通まで明らかになれば、いくら筆頭公爵家のヴァレンリース家の権力があっても、彼を擁護できまい。
今日の凱旋では、エトワールのすぐ後方にイザールとレイが付き従っている。ポセニアが捕まってからというもの、イザールは随分と暗い顔をするようになった。まさか自分が、愛するポセニアに見限られているとも知らずに。
「イザール。我々は今回の戦いに勝利したのよ。民の前でそんな陰気臭い顔を見せるのはおやめなさい」
「……御意のままに」
エトワールが苦言を呈せば、イザールは表情を引き締めた。
(よっぽどポセニアのことが心配なのね。この男にそんな人間らしい感情があったなんて意外だけど、心配しなくたってあんたもそのうち、ポセニアと同じ牢屋に入れてあげるわ)
……なんて嫌味は、喉元で留めておくとしよう。
すると凱旋の途中、女性たちがイザールとレイに羨望の眼差しを送っていることのに気づいた。
「きゃーっ、イザール様にレイ様よ! お目にかかれて光栄だわ。ほんとに美しくて眼福……!」
「あんたはどっち派? クール系イケメンのイザール様と爽やか系イケメンのレイ様! 月と太陽って感じ」
「えーっどっちかなぁ。でも最近のイザール様は不祥事を起こしたりいい噂を聞かないし、やっぱりレイ様かしらね」
王国騎士団団長と副団長は、その類まれな美貌から女性たちの人気を二分していた。
けれど最近は、イザールの浮気騒動によって彼の人気は著しく下降しており、レイが女性たちの人気を独占している。ふたりは真反対のタイプなので、しばしば月と太陽に喩えられてきた。
(レイは随分……モテるのね)
ちらりと視線を後方に動かす。
するとレイは、人好きのする笑顔を浮かべて手を振り返すなど、女性たちに愛嬌を振り撒いているではないか。
その様子を見たエトワールは、眉間にしわを寄せる。
(何よあの顔。デレデレして、手まで振ったりしちゃってして……! 私のことが好きだと言っていたくせに――って、これじゃまるで……ヤキモチ焼いてるみたいじゃない)
一度目の人生のとき、エトワールはイザールにばかり夢中になっていて、レイが女性に人気だということに気を留めていなかった。
エトワールは、レイが他の女性たちに笑顔を向けることで心がざわめいている自分に戸惑った。
◇◇◇
凱旋が終わったあとは、王宮で盛大な祝勝会が催される。
エトワールは精緻をきわめた華やかなドレスに着替え、数人の侍女と騎士を付き従え、広間へと向かっていた。
だだっ広い廊下の途中で、レイに遭遇する。彼は若い令嬢たちに囲まれて、何やら話をしていた。
「レイ様! ぜひ今夜のパーティーで私のダンスパートナーになってください!」
「わたくしと一緒に踊ってくださいまし」
「いいえ、レイ様のダンスパートナーになるのはこの私よ!」
どうやら、レイのダンスパートナーの座を巡って争奪戦が勃発しているようだった。ブリュートニー辺境伯領でのレストナ王国軍対ルニス王国軍との戦いを彷彿とさせるくらい、白熱している。
そしてレイは、相も変わらず人好きのする笑顔を浮かべて対応していた。
「はは、困ったな。僕の身体をどうにか分身させる方法を考えないと」
「まぁ、レイ様ったら……」
レイの冗談に女性たちのわっと笑いが起こったとき、エトワールの額にぴくりと怒筋が浮かぶ。
(また、ヘラヘラしちゃって……)
昼間のときから蓄積していた怒りが、爆発寸前だった。
拳を固く握り締め、眉間にしわを寄せながら、ずかずかと人集りの方へ向かう。
美しいエトワールの顔に威圧が乗ると数段迫力があり、令嬢たちは圧倒されて大人しくなった。
「お、王女殿下、ご機嫌麗しゅう……」
「こうしてお目にかかれて、光栄でございます」
王女に敬意を示し、カーテシーを披露する令嬢たち。彼女たちに「あなたたちは下がっていなさい」と命じ、レイとふたりきりになる。明らかに機嫌が悪いエトワールを前にしても、彼は嫌味のない爽やかな笑みを湛えていた、
「おや、これはこれは。殿下は本日も大変麗しくあらせられますね。眉間にしわなんかを寄せてどうしたんです? 女性の一番の化粧は笑顔といいます。せっかく素敵な衣装を着ておいでなんだからほら、笑って」
彼は指で自分の口角を押し上げながらそう言う。しかし、エトワールの眉間のしわはますます濃くなっていく。
「どうもこうもないわよ。さっきからなんなの? 女の子たちに囲まれて嬉しそうにしちゃって」
「別に喜んでいた訳ではないですけど、せっかくの好意を無下にするのは失礼でしょう」
「どうかしら。内心では満更でもなかったくせに。……わ、私のことが好きだって言ったのは……嘘だったの?」
「…………」
むっとした表情で責め立てれば、レイは押し黙ってしまった。沈黙が気まずくて、「黙ってないで何か言いなさいよ」とさらにまくし立てると、彼はずいとこちらの顔を覗き込み、意地悪に口の端を持ち上げる。
「いや、かわいいなと思って」
「はあ……!?」
「もしかしなくともそれ――嫉妬、ですよね?」
図星を刺された瞬間、エトワールはかあっと耳まで顔を赤く染めた。




