24_雨の洞穴でふたりきり
レイによって拘束されたポセニアは、後ろで手を縛られながらじたばたと暴れている。
「そのチョーカーを返しなさい! 返しなさいと言っているでしょう……!」
普段はお淑やかで優しい彼女が、随分と余裕のない様子だ。
エトワールはナイフを取り、手首に小さな傷をつける。
血がぽたぽたとチョーカーの石に落ちて、血が触れた場所が、青く変色する。水に濡れて変色するのはとある魔石の性質だ。
「殿下! 一体何をなさって――」
「大丈夫よ」
当惑するレイのことを宥める。
そして、レイから受け取ったチョーカーを握ったまま呪文を唱えた。
「――治癒」
その刹那。エトワールの手首の傷はまたたく間に消えていった。
エトワールは人並みの魔力量しかなく、本来であれば、治癒魔法を使うことができない。そこで確信した。このチョーカーの石は、治癒能力を付与するのだと。
「もう……分かっているのよ。これがサルライドだってことはね。医療奉仕部隊から私の元に報告が届いていたから。――あなたはこの魔石の力を利用して名声を得ていた。そうでしょう? ポセニア」
三年前に王宮書庫でサルライドに関する文献を見つけたあとで調べたところ、現存するサルライドは、ルニス王国が保管しているもののみだった。医療奉仕部隊に任せていたポセニアのチョーカーの調査報告書は、少し前に受け取っている。彼女の就寝中にチョーカーを拝借して、魔石を鑑定したそうだ。
また、ポセニアの素性を調べさせたところ、入団の際に王国騎士団に提出されていた身上書は――偽造であったことが分かった。
そして、本当の出生が――ルニス王国であるという情報も得ている。更にはポセニアの保証人である養父ビレッタ侯爵は、親ルニス派だった。
エトワールは、冷笑気味にポセニアに問いかける。
「ねえ、医療奉仕部隊の者たちを殺したのはあんた?」
「そんなこと………するはずがありませんわ」
「不自然なのよ。軍医たちが全員殺されたのに、あんただけが、最も優秀なあんただけが生き残るなんて。私が仮にルニス兵ならまず、聖女を捕虜にすることを考えるわ。あんたを取り逃すなんて真似はしない」
「…………」
「この魔石には、生命力を与える力だけじゃなく、奪う力もある。遺体を調べればすぐに死因も分かるでしょう。あんたはルニス王国に通じていて、医療奉仕者たちも殺した。違う?」
ポセニアは沈黙して、何も言わなかった。
前回の人生で、医療奉仕部隊の全滅が起きなかったことを踏まえ、殺された原因を考える。
(殺害の動機があるとしたら、サルライドに関しての口封じのため。ポセニアとの間にどんなトラブルがあったかは分からないけれど、私がサルライドの調査を任せたばかりに……医療奉仕部隊の人達は全員殺された。全部……私のせいだわ)
運命を変えるために足掻いてきたが、救えた命もあれば、逆に奪ってしまった命もある。
自分の選択ひとつに、大勢の命がかかっているのだ。盤上の駒を正確に動かし続けることなど至難の業。どんなにその重責におののいたとしても、次期女王であることからは逃げられない。
エトワールはいくつもの屍を踏み、罪を重ねてきた。血で汚れた両手のひらを見下ろすと、かたかたと小刻みに震えていた。
(采配を間違えた。私のせいで十九人が……)
そのとき、レイがそっとエトワールの肩に触れた。服越しに伝わる彼の手の体温が、エトワールの震えを収めていく。
小さく息を吐いて気を取り直し、ポセニアの方を見据える。
前回の人生で、イザールがどうやってルニス王国と内通していたのか気になっていた。誰か、間に入る人物がいたのではないか――と。それが、イザールの愛人であるポセニアだとしたら、全ての辻褄が合う。
前回の人生で、エトワールの家庭教師だったポセニア。
エトワールの評判を下げるように悪い噂を吹聴していたのは恐らく、ルニス王国からの指示。
(ポセニアはイザールと同じ、ルニス王国の犬……)
エトワールはぎゅっと拳を握る。
そんな確信に近い推測をしながら、騎士たちに命じた。
「軍医たちを殺していようといまいと関係ない。サルライドの使用についてはじっくり追及させてもらうわ。――お前たち、その女は裏切り者の可能性がある。逃げられないように捕らえておきなさい!」
「「御意」」
騎士たちに拘束されたポセニアは、激しく抵抗して声を荒らげる。
「嫌っ、嫌ですわ……っ! 汚い手を離しなさい! わたくしを誰だと思っているの!? わたくしこの国の聖女で――」
騎士たちが暴れるポセニアを洞穴から引きずり出したあと、力尽きたエトワールはよろめき、それをすかさずレイが支えた。
エトワールは彼に支えられながら、苦しげに呼吸をする。
「無理をしすぎです、殿下」
「矢を……抜いて。そして、サルライドで治癒を」
「で、ですが、俺は医者ではありません」
「応急処置の訓練を受けているでしょう? レイにやってほしいの。お願い」
すると、忠実なレイはどこかから救急箱を持ってきて、ペーパーナイフを熱湯に浸けて煮沸消毒したあと、患部を消毒液で一度消毒する。
彼はエトワールのすぐ隣に腰を下ろした。
「抜きやすいように、皮膚の一部を切開してから引き抜きます。返しがある上、深く刺さっているので相当痛むと思います。歯を痛めないように、僕の肩でも噛んでいて」
「い、嫌よ。お前を傷つけたくない」
「なら、どこでもいいので掴んでいてください。さ、身体の力を抜いて……僕に身を預けて」
エトワールは彼の指示に従って彼の肩に顎を乗せ、身体の力を抜く。そして、自分の服の生地をぎゅっと握り締めた。
「――では、始めますよ」
「お願い」
直後、背中に鋭い痛みが走る。生理的な涙が零れ、苦痛を少しでも逃がそうと無意識にレイの肩に歯を立てていた。そして、たまらず身じろぐ。
(痛い、痛い、痛い……っ)
「うっ……んんっ、……ぁあっ……」
「動かないで。あと少し、辛抱してください」
「ふ……うっ……ん」
「あと少し、少しです」
エトワールの呻き声が、洞穴中に響き渡る。
エトワールの歯型がくっきりと付いたレイの肩。痛いはずなのに彼は眉ひとつ動かさず、エトワールの矢を抜くことだけに専念している。
まもなく、長く埋まっていた矢の先が取り出される。
エトワールの額には脂汗が滲み、黒髪がべったりと肌に張り付いていた。
「はっ、……はぁ……」
「よく頑張りました。ご立派です。――治癒」
サルライドの力で、背中の傷はあっという間に塞がっていった。けれど、奪われた体力は回復しておらず、矢が抜けた安堵とともに、眠気が襲ってきた。
エトワールがうつらうつらと眠そうにしている間、レイは手際よく服を着せて、片付けを済ませていく。
「今日はもうお休みください」
「待って、お前も肩の傷を癒さないと」
「あー……これ」
レイは肩にくっきりと残った歯型を撫で、愛しげに目を細める。
そして、いたずらを企む子どものように口角を上げる。
「殿下が与えてくださった大切な勲章ですから、このまま残しておきます」
「なっ……!?」
あまりにもおかしなことを言うので、一瞬にして眠気が吹き飛ぶ。
「だ、だ……だめ! 恥ずかしいから消して!」
「それじゃおやすみなさい、良い夢を。――お姫様」
「待ちなさいったら! レイ!」
冗談を言いながら気の良い笑顔を浮かべたあと、彼は洞穴の外へと出て行ってしまった。あまりの恥ずかしさに、疲れていたはずなのになかなか寝付けないエトワールだった。
洞穴の外で、数名の騎士たちが見張りをしている。雲が月を隠し、雨が草木や大地を濡らしていく。冷たい地面に横たわりながら、エトワールは願った。
(命の奪い合いはもううんざり。どうか早く、この戦争が終わりますように……)