02_女王は最愛の夫に殺される
エトワールがフェレメレン王家の王女として生まれたとき、他に王子はひとりもいなかった。だから、次期女王として厳しく教育を施されてきた。そして十二歳になったころイザールと婚約し、女王に即位するのと同時に結婚した。
ずっと――遠くから見つめているだけの恋だった。
イザールにはずっと相手にされず、視界にもろくに入れてもらえなかったが、十歳年上で騎士団団長をしている彼が、箱入り王女のエトワールにはとりわけ魅力的に見えていたのだ。イザールは家柄もよく文武両道、容姿端麗でクールで、少女が憧れる要素がぎゅっと詰まったような男だった。
エトワールは、ほとんど知らないイザールのことを五年間密やかに慕ってきた。
イザールと入れ違いで、騎士のひとりが謁見の間を訪れた。
エトワールは涙を手で拭い、きわめて平静を装う。
騎士はエトワールの目の前に駆け寄り、頭を垂れた。
「面を上げなさい」
「御意」
「何かあったの?」
「じ、女王陛下に奏上したい儀がございます」
すると彼は、苦しい面持ちで言葉を絞り出す。
「都市アトラスが、ルニス王国軍によって包囲されました」
「……」
イザールが軍を後退させたせいで、恐れていた事態が起きた。このままアトラスが陥落すれば、レストナ王国は完全に勝機を失ったと言える。
(確かに、イザールの言う通り我が国の軍は疲弊していた。けれど一瞬でも気後れすれば、ルニス王国軍に隙を与えることになる。そう何度も言ってきたのに……)
エトワールが額を手で押さえていると、騎士が更に報告を続ける。
「……ですが、レストナ王国軍が一斉に離散する中で、ルードリック様と彼が率いる中隊二百名だけが、ルニスの軍勢に抵抗を続けておられるそうです。このような状況でも部隊の士気は非常に高く、民間人を都市の外へ避難させているとか……」
「……そう」
誰もが即位したばかりの女王エトワールを馬鹿にし、イザールに従っている。そんな中で、レイ・ルードリックだけは、女王の命令にどこまでも忠実だった。
レイはイザールと同じ二十六歳で、エトワールの――近衛騎士だ。彼は他の誰よりも、エトワールのことを崇拝してきた。エトワールが命じれば、どんなことでも従う。
彼は有能でユーモアがあり、どんな困難でも笑顔を絶やさない。人望があるからこそ、二百人が彼とともに戦地に残ったのだろう。
彼は五つある全ての属性の魔法を完璧に操りながら戦う、この国で最強の騎士。今回は、女王の護衛という任務を解き、レストナ王国を危難から救うために都市アトラスに送ったのだ。
(レイが頑張っているなら、私も頑張らなくちゃ。このままでは、王家も王国もおしまいだもの)
女王の務めは、この国と民を守ることだ。
遠い場所で、今もなおエトワールに忠義を尽くし続けているを思い出し、きゅっと唇を引き結ぶ。
「ただ、アトラスの食料が尽きていると報告が上がっております」
「そう。なら補給部隊を手配するわ」
エトワールは椅子から立ち上がり、パンッと手を叩く。女王に付き従っている騎士たちが、彼女の一言一句に耳をそばだてている。
「四時間後、緊急軍事会議を開くわ。王宮内にいる廷臣たち、そして王国軍の幹部たちを会議室に集めて」
「「御意」」
騎士たちは恭しく礼を執ったあと、謁見の間を飛び出していく。
立ち上がったエトワールは窓際まで歩き、おもむろに窓ガラスに手を添えた。重苦しくてわびしい雨が、絶え間なく窓ガラスに叩きつけられている。庭園の木々は、風によってゆらゆらと大きく揺れていた。
(私はここで戦うわ。――だからお前も、必ず無事に帰ってきてね。レイ)
廷臣も貴族も、王宮内の者はみんな、女性の統治者を見下す。
愛していた夫には裏切られ、今すぐにでもベッドに突っ伏して泣いてしまいたい。けれどそうもいかず、都市アトラスの解放とこの国を守るためにひたすら頭を悩まさなくてはならなかった。
◇◇◇
そして、四時間後。騎士たちを伴い会議室に赴いたエトワールは、唖然とする。
会議室には――誰もいなかった。
都市アトラスが包囲され、急いで次の一手を考えなくてはならないのに。
エトワールは騎士に尋ねる。
「……廷臣や幹部たちに、招集を呼びかけたのよね?」
「は、はい! それはもちろんです」
もはや、彼らの中にエトワールを支持する者はいないということだ。どうしようもない現実に項垂れ、弱々しく呟く。
「…………こんなの、あんまりじゃない」
するとそのとき。――バンッと大きな音がして、イザールと騎士たちが会議室に流れ込んでくる。
触れたら凍えてしまいそうなくらい冷たい表情をしたイザールが、腰に引っ提げた――剣を引き抜く。エトワールの護衛がとっさに対抗するが、イザールが薙ぎ払って昏倒させる。今のエトワールの護衛騎士の中に、イザールより剣技に優れた者はいない。イザールと同等以上に腕が立つのは、エトワールが知る限りレイだけだ。
彼に剣先を向けられながら、喉の奥を上下させるエトワール。
「これは一体……何のつもりなの? まさか、謀反でも起こす気?」
「そうだと言ったら?」
「私を玉座から引きずり下ろしたところで、戦争は終わらないわよ」
「戦ったところでこの国に勝ち目はない。ルニス王国に降伏し、支配下に入った方が余計な血を流さずに済む。それが、平和的な解決法だ。ルニス国王と密約をすでに交わしている」
何が、平和的な解決法だ。
エトワールは冷笑混じりに言う。
「ああ、そう。あなたはこの国と、自分の魂をルニス王国に売ったって訳? 一体いくら貰ったんだか知らないけど、最低ね」
「保身や金のために動いて何が悪い? お前が俺を国王にするための――踏み台に過ぎないことに変わりない」
「はっ、そこまで潔いといっそ清々しいわ」
都市アトラスから撤退したのは、最初からルニスに負けることを承知の上だったのだ。ルニス王国の支配下に入れば、レストナ王国の国民は搾取され、奴隷のような扱いを受けることになる。
(失望したわ。この男がこんな売国奴だったなんて)
イザールのやり方はとても、平和的解決とは言えない。この国の人々の尊厳を守るために、五十年の間大勢の騎士たちが命を捧げてきたというのに。
この男は自分の身を守るため、そして金のために、ルニス王国に迎合したのだろう。彼は女王を暗殺して政権を奪取すること企んでいたのだ。恐らく、結婚する前から……。
「俺はポセニアを新たな妃として王になり、ルニス王国の指導の元、別の形で国を治めていく。全てはこの国……いや、俺とポセニアの平和を守るためだ。だからお前は――死んでくれ。臆病者の女王陛下」
地を這うような呟きのあと、エトワールの胸に、今までに感じたことのない激しい痛みが走る。
剣で胸を貫かれ、その場に崩れ落ちる。血が溢れ出していって、エトワールの命を容赦なく削っていく。
薄れていく意識の中、ぼやける視界でイザールの姿を捉える。
「イザ……、ル……っ」
こんな男に王位とこの国、自分の命まで奪われてしまうなんて、なんと情けないことか。
金のために国を売った人間に臆病者と言われて悔しいのに、言い返せないのが悔しい。
(あなたがこんな非道な男だと知っていたら、愛することなんてなかった……のに)
そのとき、イザールがエトワールの胸に刺さった剣を勢いよく引き抜く。エトワールはふっくらした唇から血を流し、そのまま絶命した。




