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18_りんごをかじるのはやめなさい


 戦地に構えたテント内。エトワールとレイの間に、ぴりぴりと緊張した空気が漂う。エトワールは、レイに尋ねる。


「何が?」

「あのように気遣いの言葉を殿下に賜れば、僕だったら好意があるって期待しちゃうな。つまり、あの男にはもったいないお言葉だったということです」

「別に、大したことは言っていないわ。それにあれでも、この国のために戦っている騎士であることに変わりはないもの。今のところは、だけれど」


 あの男の場合、国への忠誠は見せかけのもので、二年後には何もかもを裏切り、妻を殺してルニス王国に国を売る。


 まぁ確かに、レイの言う通り気遣いなどする必要はなかったと思い直す。こんな風に思うのは意地悪かもしれないが、彼が弓で射抜かれて殉死してくれたのなら、エトワールにとっては幸いだ。


「なら僕のことも労ってくださいよ。僕だってこの戦地で誰よりも頑張ってますよ?」


 自分よりも十歳も年上の大人なのに、年齢にそぐわず子どものようにおねだりしてくる彼。けれど、エトワールはこのおねだりにめっぽう弱い。彼をかわいいと思ってしまう自分が心のどこかにいるから、敵わない。


 レイは三年前に約束した通り、異例の早さで昇進し、王国騎士団団長に就任した。彼の強い推挙のおかげで、エトワールは堂々と今回の戦いの司令官として戦地に来ることができたのだった。


「手を出しなさい」

「こう……ですか?」


 エトワールは、差し伸べられた手のひらの上にりんごを載せた。間食用に部下から差し入れられたものだが、彼に与えられそうなものは今はこれしかない。すると、彼は目を伏せて心底嬉しそうに呟く。


「家宝にします。……幸せな気分だ」

「お前の幸せは随分と安上がりね」

「殿下に与えられるものなら、なんであろうと幸せですから」


 うっとりとしたレイと視線がかち合ったとき、胸が甘く締め付けられる。


(まただ……)


 逆行後の彼は、惜しみなく愛情を示してくるようになった。そしてそんなとき、彼が『時戻しの術』によってエトワールに生き直すチャンスをくれたことが頭を過る。


 彼の深い愛情をありありと思い知る度に、戸惑いと同時に胸の奥を甘やかにつつかれるのだ。


 エトワールの中に根付こうとしているその感情は、イザールのことを遠くから見つめていたころに似ているようで、違う。もっと濃くて深い、そしてとりわけ温かな感情……。


 彼は手のひらでりんごをもてあそび、親指の腹で人撫でしたあと、ひと口かじる。


「殿下こそ、よく頑張っておられます。むしろ、頑張りすぎなくらい。本当に尊敬いたします……もぐ」

「尊敬する王女の前で、普通食べながら喋る? まぁいいわ。……国土を奪われるかどうかがかかっているのよ。頑張らなくてどうするのよ。私がやってるのは、王族として当然の務め」


 王族の務めは、その身命を賭して、国と民の平和を守ることだ。

 それが、生まれたときから決して抗うことができない、エトワールの宿命。


 ブリュートニーの戦いのために、この三年間必死に準備してきた。記憶する限りのルニス軍の戦術を書き出し、どうしたら大敗北せずに済むのか、ひたすら頭を悩ませてきたのだ。


 そして、王女として人々に認めてもらうために、剣術や馬術により一層励み、こうして危険な戦場へと来た。戦地に随行する中で、エトワールも弓を取り、何人かのルニス兵を葬っている。手を汚したことに後悔はないが、その度に父親の顔が脳裏に浮かんだ。


 国王ダニウスはしばらくはエトワールが戦地に来ることに反対していたが、結局エトワールの強い意思に根負けした。


「じゃあ僕は、務めを全うする殿下のことを守ってみせます。大丈夫。きっと上手くいきます。何しろ、前回の人生の記憶を利用しながら、この時のために準備してきたんですから」

「ええ。そうね」


 前回領地を奪われるきっかけとなったのは、この戦いでの大敗北とブリュートニー辺境伯の捕縛だった。辺境伯は現在、レストナ王国が保護しているから、ルニス王国の手に渡ることはあるまい。


 しかし、レイの慰めによって不安が和らいだ直後。テントに複数の騎士たちが崩れ込んできて、彼らは大声で叫ぶ。


「大変です、殿下! 団長! 敵襲です。ルニス王国軍がこの陣地を特定して攻め入って来ました。ただちに安全な場所に避難を……っ!」

「「……!」」


 その報告に、エトワールとレイは顔を見合わせる。


(そんなはずない。だって前回のとき、この陣地への襲撃はなかったはず。何が起きているの……!?)


 事態を呑み込めず当惑するエトワールに、レイが言った。


「このテントは危険です。まずは避難しましょう。――こちらへ!」

「え、ええ。わかったわ」


 テントを飛び出していくふたり。その後ろ姿を見つめながら、聖女ポセニアが不敵に口角を持ち上げた。彼女はわざわざ人がいなくなったテントに入り、テーブルの上に残されたコップを手に取って傾ける。


「残念。睡眠薬入りの水を飲ませるのは失敗したようですわね。でもまぁ、いいでしょう。ふふっ……これから面白くなりそうですわね」


 その呟きは、誰の耳にも届かない。ポセニアはコップの水を全て地面に零してから、テントを後にした。

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