16_親の心と子の心
それから一週間後、エトワールは騎士数名を部屋に呼んでいた。
「密偵に失敗した? 何があったの?」
「は、はい。イザール様に気取られてしまい……」
エトワールは騎士を密偵として、イザールがルニス王国との内通者である証拠を集めるために調査させていた。しかし、イザールは常に万全の警備体制を整えており、一分の隙も与えてくれなかった。
密偵はイザールが従える騎士に襲われたものの、命からがら逃げることができたようだ。これでは、イザールに安易に近づくこともできない。
「そう、分かったわ。あなたたちが無事で何よりよ。ではイザールからは一旦引きましょう。今度は聖女ポセニアの素性について詳しく調べて。これも内密にお願いね」
「御意」
騎士は、机の奥の椅子に座るエトワールに、敬礼した。
部屋から出て行く騎士の後ろ姿を見送ったあと、エトワールは再び手元に視線を落とす。
「どうして……」
そこには、王家との繋がりが深い貴族たちから送られてきた書簡が束になっていた。
(誰も……私の言うことなんて信じてくれない)
エトワールは手紙をぎゅっと握り締め、ため息を吐く。
逆行してから、エトワールはイザールを排除するために貴族たちに協力を呼びかけた。しかし、子どもの言うことだと笑って流されるばかり。おまけにエトワールは、ポセニアが流した噂のせいで信頼されていない。
おまけに、イザールの後ろ盾には筆頭公爵家ヴァレンリース公爵家がついている。公爵家の強大な権力に怯み、エトワールの味方になってくれる者はいなかった。
(誰も協力してくれないのなら、イザールが裏切り者であることを自分の手で明らかにするしかない)
やるべきことは山積みだ。だが、レイに告白されてからのこの一週間は、彼のことで頭がいっぱいだった。作業に集中しようにも、彼のことが頻繁に頭を過ぎる。
そして、顔が熱くなったり、心臓の鼓動が速くなったりするのだ。エトワールは早鐘を打つ胸を両手で抑えて、必死に言い聞かせる。
(治まって、早く治まるのよ、私の心臓でしょ……?)
一度目の人生のとき、彼は最も信頼できる近衛騎士だった。けれど今回は、前回とは違う存在として、エトワールの心に存在感を放ち始めている。部下でも、友でも、兄でもない、もっと特別な……。
そのとき、部屋がコンコン、とノックされた。入室を促すと、開いた扉から現れたのは――父ダニウスだった。彼はいつも付き従えているはずの護衛たちを誰も連れず、たったひとりでエトワールの部屋を訪れた。
「国王陛下……!」
エトワールは慌てて立ち上がり、最敬礼を執る。
「今日は国王としてではなく父としてここに参った。気を遣うでない。顔を上げよ」
「……私になんの用ですか?」
「王国騎士団に、次の遠征に随行したいと申したらしいな。それはお前の意志か?」
ダニウスに問われ、エトワールは「はい」と頷く。
前回の人生では、戦地に赴いて兵士たちとともに汗を流す聖女ポセニアが賞賛され、王宮で過ごすエトワールは臆病だと揶揄されてきた。
ならば、それを逆手に取ればいい。
これから国を治めていく上で、人々に信用されるために、ポセニアにならって戦地に行くのが手っ取り早い――そう考えた。
するとダニウスはつかつかとこちらに歩んできて、エトワールの頬をばしんっと叩いた。
「きゃっ――」
「馬鹿者! 戦地はお前のような小娘が遊びに行く場ではない!」
打たれたエトワールは、床に倒れ込み、ダニウスのことを見上げた。温和で滅多に怒らない父が、眉間に深い縦じわを刻んで、声を荒らげる。彼に手を上げられたのは、記憶する限り初めてのこと。
「プトゥゼナール王国との会談といい、このところのお前の行動は目に余るものだ。悪目立ちすれば、必ずそれを気に食わない者が現れる。余が死んだあと、お前が平和に国を運営していくために、敵を作るような真似をするなと再三言っておるのがなぜ分からん……!」
「…………」
幼いころからエトワールはこの人に、『決して目立たず、大人しくしていろ』と言い聞かせられていた。そして、一度目の人生ではその教えを忠実に守り――夫に殺された。
ダニウスが娘が安全に生きることを願って、そう教えていたことはよく理解している。しかし、何もしなければ、敵だけではなく味方もできないではないか。
「国の長とは……この国がより良くなるように身命を賭し、采配を振るい続ける存在です。私たちは生まれた時からその使命には抗えません」
どう足掻いたって、逃げられない、変えられない運命はある。エトワールが王族として生まれた事実は、天地がひっくり返ろうとも変わらない。
肝心なのは、自分が与えられた手札をどう使い、生きるかということだ。
「何もしなければ、それはただの、『愚王』では?」
「何をっ、小娘が…………っ」
ダニウスこそ、民衆から愚王と罵られてきた。平和を愛するゆえに、あらゆる争いを拒み、周りの顔色を窺って何も成さなかった結果だ。
ダニウスの眉間のしわがますます濃くなっていく。しかし、今度は手を上げず、拳を固く握り締めて怒りを堪えていた。
「私は、臆病者と言われるのはもうごめんなんです。それに……私が大好きなあなたが、平和を愛する優しいあなたが、愚王などと謗りを受けてずっと、悔しかった……!」
「エトワール……」
「優しいだけでは、国は治められません。私が立派になって、お父様の汚名も返上させてください。どうか、どうか……っ」
頬の痛みも忘れ、泣きそうになりながらそう訴えかけると、ダニウスは言葉を失った。
戦わなくては、この国はイザールの手中に堕ちる。
先人たちが必死に守ってきたこの国を、絶対に守らなくては。
エトワールはよろよろと立ち上がって彼に言った。
「私は、大切なものを守るために戦います」
「もういい、勝手にしろ。――だが、二度と私の前に顔を見せるな」
父はそのまま、部屋を出ていった。エトワールはきゅっと唇を引き結び、覚悟を決めた表情で椅子に座り直し、勉強を再開した。
民衆に愚王と罵られようと、父は王位を守った。勇敢な父親の背中を見てきたからこそ、エトワールは愚かで怠け者で臆病者と揶揄されようとも、女王であることから逃げなかった。
ダニウスに嫌われても、彼が守ってきたものを守りたいのだ。
(こんな生意気な娘に育っちゃってごめんね。お父様)




