15_星はすぐそこに
レイはエトワールの顔を見た途端、先ほどまでの浮かない表情が嘘のように、爽やかに微笑む。
「殿下、こんばんは。どうしてこちら に?」
「少し調べ物をしていたの」
「こんな夜遅くまで、勉強熱心ですね」
エトワールは護衛の騎士ふたりに、下がっているように指示を出した。
彼はごく自然に騎士服のジャケットを脱ぎ、エトワールの背にかけた。重みのあるジャケットには、彼の体温がしっかりと残っている。
「夜風はお身体に障ります」
「……お前こそ、身体を冷やしてしまうわよ」
「僕は頑丈なので平気です」
にこりと答えるレイ。彼は前回の人生でも、近衛騎士として真摯に仕え、細やかな気遣いをしてくれた。
ジャケットがずり落ちないように手で抑えながら、芝生の上を歩く。
「お前はここで何をしていたの?」
「星を見に来ました」
彼が先ほど凝視していたのはエトワールの部屋の窓で、肝心な星は建物に隠れて何も見えない。
「星を見たいなら、方向が逆ね。――ほら、あっち」
反対側の空を指差す。夜空には小さな星々が妖しく煌めいていた。以前レイが、王宮で見る星と、戦地で見る星は全く輝きが違うと言っていたのを思い出す。王宮では照明の明かりが星の輝きを霞ませるが、戦地は光を阻むものがないためもっと星が美しく見えるのだとか。
そんな一瞬の回想に耽っている間、向かいに立つレイは、星などそっちのけでエトワールのことを見下ろしていた。
「ちょっと、レイ。星はあっちだって言ってるでしょ」
「僕の星なら――ここに」
熱を帯びた眼差しに射抜かれ、心臓がどきんと跳ねる。今夜のレイはやけに色香をまとっていて、エトワールの心をざわめかせる。彼の瞳から目を逸らせず、息をするのも忘れていると、彼はうっとりと呟く。
「本当に綺麗なお方だ」
「…… 十二歳には欲情しないんじゃなかったの?」
「これは憧憬ですよ。どうかいつまでもここで、あの星のように輝き続けていてください。僕はあなたというよすがを失ったら……生きていけないから」
切々と訴えられる度に、胸が甘やかに締め付けられる。エトワールが知るかつての彼は、こんな風に甘ったるい言葉を囁いてくる人ではなかった。
いつも冗談ばかり言って、和ませてくれるよき友人、兄のような感じだ。だが、二度目の人生での彼はどこか様子が違う。
「一体いつの間に、そんな口説き文句を覚えてきたの? からかうのはやめなさ――」
「好きです。殿下」
「!」
エトワールの苦言を遮るように、彼がそう口にする。
「あ、あな……なっ、な…………」
それは、雷が落ちたような衝撃だった。
(好きって、恋愛の好きってことよね!? いや、え……嘘、レイが私を……!?)
異性に告白されたことなど人生で一度もなかったエトワールは、驚きのあまり意味をなさない言葉を羅列する。レイの自分に対する想いは、あくまで恩人への敬愛に過ぎないと思っていた。
あちこちに目をさわよわせ、あからさまに狼狽えるこちらに対して、彼はきわめて冷静に続けた。
「……本当はずっと、騎士としての忠誠以上の想いを抱いていました。殿下がイザールを想っておられることも知っていたので、この気持ちは胸にしまってきましたが」
レイはぎゅっと拳を握り締める。
「あの男に殿下を殺され、腸が煮え繰り返りそうでした。あんな男のために、自分はもう本心を偽ったりしません。伝えたいことは都度言うことにしたんです」
そして彼は、ずいと顔を近づけ、告白とは思えない軽い調子で続けた。
「僕はイザールより背が高くて有能でユーモアもありますし、おまけに顔も良い。どうです? 僕を選びたくなりました?」
「き、気持ちはとても嬉しいけれど、お前のことをそういう対象として見たことがないの。その気持ちに応えることはできないわ」
それに、あんな男であっても婚約者だ。
婚約者がいる身ではどの道、レイが望むような返事をすることはできない。
「はは、残念。僕を振る人なんて、今までひとりもいなかったんだけどな」
彼は振られたにも関わらず、いつもの爽やかな笑顔で言う。
「殿下が逃げたくなったら、いつでも僕を誘ってください。一緒にどこまでもお供するので。ああもちろん、僕を好きになってくださるのも、大歓迎ですよ」
レイの笑顔は、夜空に浮かぶ星々よりもずっと眩しく見えた。
夜の冷たい風が、ふたりの輪郭をなぞっていく。
エトワールは知っていた。彼がこうして軽い調子でいるのは、エトワールに罪悪感を抱かせないためなのだと。レイはいつだって、エトワールにだけは誠実で、細やかな配慮を忘れない。
そして、こんな言葉がエトワールの口をついたように出た。
「レイ。禁術を使って時を戻したのは――お前ね。全ては、私のために」
王宮書庫で見つけた『時戻しの術』。膨大な魔力を消耗する上に、成功率は限りなく低い。術者が自ら命を捧げることで、一定時間時を戻すことができるという恐ろしい魔法だ。
「……バレてしまいましたか」
夜風がレイの銀髪をなびかせる。
レイはエトワールのために、自死した。そんな大それたことをしたにも関わらず、彼は相変わらず人好きのする笑顔を浮かべている。
「ものすごく……痛かった?」
「殿下が受けた痛みに比べたら、大したものではありません」
「本当に……馬鹿な人ね」
最後の方は声が震えていた。
目頭が熱くなるのを、目を逸らして誤魔化す。痛かったに決まっている。エトワールが刺されたときも、熱くて、痛くて、壮絶に苦しかった。
エトワールはイザールに命を奪われたことに憤ってきたが、レイは自分の意思で自ら命を絶ったのだ。レイが自分のために命を落としたことに、涙が溢れてしまいそうだった。
自分の傍に、こんなにも深く想ってくれる人がいたのに、エトワールは自分のことばかり考えていた。
この人に何を返せるだろうか。
エトワールは最も忠実な騎士を静かに見上げながら、涙を堪えていた。




