三話
春夫が二人を祝福した日の翌日。
春夫は普段の時間よりも三十分早く前に家を出た。
何時も傍に居た頼子の姿が無い事に慣れないながらも、開放感を感じる春夫。
登校してからも、春夫は始業や授業のギリギリまで席を外し続けた。
気まずさもあったが、今まで三人で居た空間に一人で居るという状況を作りたくなかったから。
それでも昼休みになると、流石に避け続けるには限界が来る。
「やっと捕まえたぞ、春夫」
照光が息を切らせて教室にやって来た。
「どうしたの?」
春夫は、何事も無かったかのように訊ねる。背後に頼子の視線を感じるも、春夫は気付かな振りを続けた。
「ああ、いや、なあ。話そうとしてたんだけど、ずっと居なかっただろ。それでさ」
ここでは話しにくいと、歯切れの悪い照光。ここで二人の関係を明かしても、皆は祝福してくれるだろうにと思う春夫。
(まだ照れもあるんだろうな。じゃあ、触れないでおいた方が良いね)
春夫は気遣いから、話題を振る事にした。
「昨日、教科書を何時までも持ってこないから、回収したからね。クラスメイトの人にも言っておいたんだけど、ちゃんと聞いた?」
「あ、ああ。今日聞いた。悪かったな。ちょっと用事があったからさ」
知っているだろ? という照光の視線。
(愛の告白が控えていたら、そりゃあ、教科書ぐらい忘れるか)
貸している身としては止めてもらいたいと思いつつ、春夫は照光の事を責めはしなかった。
二人が話していると、クラスに来客が。
「あの、丸山君は居ますか?」
その女子は、教室の入り口近くに居た生徒に訊ねていた。
自分の事を呼ばれた春夫は、凄い速さで声の主の方を見た。
「あいつ、どうしたんだ?」
覚えのある姿を見た照光は、春夫と一緒にその生徒の所に向かった。
「青子、どうしたんだよ」
「照く……。三角君。どうもしないよ。丸山君に用事があっただけ」
「ぼ、僕に!?」
男子に人気の高い青子からのご指名に、動揺を隠せない春夫。
「えっとですね。ちょっと場所を変えてもらって良いですか?」
「う、うん? 良いよ。何処に行くの?」
憧れの女子からのお誘いに戸惑う春夫。
「では、ええっと、こちらに」
青子が歩き出し、春夫も付いて行く。
「おいおい、どうしたんだ?」
一人残されてしまった照光は、珍しい組み合わせに驚いたまま、二人を見送った。
青子は、屋上へと続く途中の階段で歩みを止めた。
「ここなら人は来ないでしょう」
人目を避けるような呼び出し。春夫は、只事では無いと感じていた。
(も、もしかして告白される!? どうしよう。それなら僕は……)
春夫は、青子に昔から好意を寄せていた。
小学生時代から、春夫、頼子、照光の三人で遊ぶ事は多かった。照光と青子が近所同士で幼馴染である事も知っていた。
しかし、遊びの方向性の違いから、四人が遊ぶ事は無かった。
実際は、照光が青子と一緒に居る事を嫌ったためなのだが、春夫は知らない。
「こんな所まで来て、どうしたの? 大変な事が起こったの?」
期待はあったが、もしもを思い、事件が起こったのではと一番に考えているように振舞った。
「違います。昨日、照君が頬を抑えて帰って来たから……」
春夫は、自分が去った後に起こった事を想像した。
きっと頼子が照光の頬を叩いたのだろう。春夫はすぐにそう察した。
それと同時に、青子が照光に好意を持っていると気付く。
このまま真実を告げれば、青子は安堵した表情をするだろう。
けれど、それは自分が青子を諦める事を意味していた。
(それは嫌だ……)
春夫の心に、黒いものが生まれる。
「昨日、二人は屋上に居た。照光が頼子に告白していたんだ」
衝撃を受け、驚く青子。
「そ、それでどうなったんですか?」
結果も知っているだろうと、青子は続きを求める。
もちろん春夫は知っている。しかし、ここで春夫は首を横に振った。
「人の告白の結果まで立ち聞きするほど野暮じゃないから」
「そ、それもそうですね。だけど……」
状況で推理すると、照光は頼子に断られ、何らかの理由で頬を叩かれた。
こういった流れなのだろうと青子は考えた。
しかし、青子は照光の幼馴染。彼がそう簡単には諦めない事を知っていた。
なので、まだ完全に安心は出来ないと不安だった。
「聞きたかった事は聞けた?」
「あ、はい。ありがとうございました」
思考が負の面に引きずり込まれそうになっていた青子。春夫の声に、ハッとした。
「じゃあ、戻ろうか」
「そうですね。こんな所までありがとうございました」
「ううん。問題が解決して良かったよ」
春夫はそう言って、階段を降り始め、青子も続く。
だが、まだ動揺の中に居た彼女は、階段を踏み外してしまった。
「きゃっ」
悲鳴をあげる青子。
その声に反応し、素早く振り返る春夫。
「え? うわあっ」
既に階段を降り終わっていた春夫は、倒れてくる青子の姿に、両手を広げる。
「大丈夫?」
「は、はい……。その、すみません……」
対処のしようが無かったとはいえ、男子の胸に飛び込んだ形になり、青子は困惑していた。
春夫も、受け止めようとした結果、偶然にも抱きしめるような形になってしまい、慌てていた。
「あの、丸山君?」
表情を窺おうと、青子が顔を上げる。
呼ばれ、春夫も視線を落とす。
(ち、近い……)
好きな女の子が自分の胸の中に居て、上目づかいで自分を見ている。
春夫にとってはこの上ない幸せに、青子を囲んでいた腕に力が入る。
「ま、丸山君!?」
男子に抱きしめられるという初めての経験に、青子は戸惑い、声が裏返りながらも春夫を呼んだ。
「え? あ、ご、ごめん」
その反応で、自分の好意が暴走している事に気付き、パッと手を放し、距離を取る春夫。
それを背後から見つめる人物が居た事を、二人は知らない。
爪が剥がれかねないほどの力で壁を掴んでいるその姿を……。
「許さない……。泥棒猫……」