十一話
友達を殴ってしまい、罪の意識に苛まれる春夫。
元の照光に戻すための方法を考えるも、光明は見えない。
大っぴらにも出来ず、照光に寄り添い続けていた青子の声も届かない状態に、八方塞がりで悩んでいた。
二日後、春夫に照光からメッセージが届く。
それは、頼子と春夫の二人で、自分達が子どもの頃からずっと買い手の付かない空き家に来て欲しいというものだった。
町の外れにひっそりと建っていた、今でいう隠れ家的な元カフェに呼び出してどうするのかと春夫は疑問に思う。
それでも、また言葉を交わし合えば何かが変わるかもしれないという希望が消えず、向かう事に決めた。
頼子にも同じメッセージが届いていた。二人の口からはちゃんと伝えられていなかったが、照光の状態がよろしくないままである事は察していたため、春夫のためにもと拒む事は無かった。
そして、指定された日がやって来た。
待ち合わせ時間は真夜中。
春夫と頼子は、補導されないようにと慎重に家を抜け出し、待ち合わせ場所に向かった。
既に照光が居るのか、建物には鍵は掛かっていなかった。
恐る恐る中に入る二人。
「お、お~い。来たよ、照光」
頼子を背後に置き、進む春夫。
「よお。待ってたぜ」
暗闇の中から、フードで顔を隠した人物が現れた。
「きゃあっ」
不気味な登場に、頼子が声を上げる。
「俺だよ、俺。照光だって」
振る舞いは普段と変わらない。外から建物内に差し込んだ僅かな光の前に立ち、照光はフードを捲り、顔を見せた。
僅かな光の中でも、照光の表情は分かった。
(良かった。腫れてない……)
春夫はホッとした。自身が非力だったからか、照光が上手く力を逃がすように避けたのかは分からなかったが、自分が殴った後が無かったから。
「照光、ずっとこの前の事を謝りたかったんだ。それと、なんでこんな場所に?」
春夫の問いかけに、照光は表情を変えない。
「春夫、この間の続きをしようぜ」
話し方は今までと変わらず、何もおかしな所は無い。しかし、春夫は身構え、頼子を庇うように腕を伸ばした。
「春夫?」
警戒する姿に、頼子が不思議に思う。春夫自身にも説明が出来なかった。けれども、今の照光に頼子を近付けてはいけない。ずっと友達であったから、そんな気がしてならなかった。
「なんだよ、頼子が大事なのか?」
春夫が警戒する様がおかしいと、変わらない表情で唇だけが緩む。
「当たり前じゃないか。それに、僕は照光も大事だよ。だからさ、まともに戻ってよ」
照光は堪えきれないとばかりに噴き出し、大笑いする。
「おいおい、謝りたいんじゃなかったのかよ。今の俺がおかしいって、酷いじゃないか」
確かに、やりとりだけなら今の照光を否定し、煽っているようにも見えた。
「まったく、お前は……。どっちつかずの優柔不断が、俺にちゃんとしろとか、笑わせるなぁ」
声のトーンは低く、笑ってはいない。
頼子も照光の異常さに気付き、春夫の服の裾をギュッと掴む。
二人が身を強張らせていると、照光が言葉を続けた。
「頼子。俺はな、頼子の事が好きなんだよ。だからよ、頼子。そんな未だに答えを出さない奴なんか捨てて、俺と付き合ってくれよ。頼子」
もう何度目か分からない告白。これに対し、頼子は答えた。
「私の答えは変わらないし、心も変わらない。どれだけ言われても、私は春夫が好きなの。だから、照光とは付き合えない」
今までで一番強い断りの言葉を告げる頼子。
「そうか、駄目かぁ。あ~あ、フラれたかぁ……」
照光は片手で自分の両目を覆い、ショックだと一目で分かる仕草をした。
「そうだよな、頼子。なまじ、目に見えているから、手元に届きそうな距離にいるから、大事にするんだよな。分かる、分かるぜ、頼子。俺も、一番大事なものは何時でも手元に届くようにしてるからさ」
照光が何を思い、発言しているのか分からない春夫と頼子。
戸惑う二人を気にせず、照光は深い溜息の後にポケットに手を入れた。
「じゃあ、逆に離せばいいんだよな。近いのなら、遠い所に置けば良いんだ。手が届かないくらい遠い場所に」
「て、照光? 何を言いたいんだ?」
春夫が訊ねる。すると、照光は覆っていた手を動かし、春夫だけを見つめた。
「今、遠くにおいてやるよ」
その言葉と共に、ポケットに入れた出からキラリと光る何かを取り出した。
狂気に飲まれた照光が握りしめたそれがナイフだと気付いた時には、春夫に向かって一直線に向かってきた後だった。
「頼子、離れてっ」
背後に立つ頼子を守ろうと突き飛ばそうと動く春夫。しかし、春夫の手は空を押しただけだった。
(頼子!?)
何処に行ったのかと視線を動かす春夫。一瞬がとても長く感じ、自身の眼球の運動速度の遅さに苛立ちを覚えたのは初めてだった。
やっと彼女を見つけた時には、頼子は春夫と照光との間に立っていた。
「だ……」
頼子を止める言葉よりも前に、ナイフが照光と共に頼子に突き刺さる。
人二人分の重さが春夫にかかるも、そんな事は今はどうでも良かった。
「頼子? 頼子っ!!」
刺されてしまった。自分を庇うために頼子が。
そう思った春夫は、頼子の顔を掴み、何度も呼びかける。
ここじゃない場所へ行かないと頼子が死んでしまう。そう思い、頼子を動かそうとするも、照光が邪魔で動かせない。
「どけよっ!!」
照光を蹴り飛ばし、頼子が押さえている場所に春夫も手を重ねた。
「死ぬな、頼子。頼子が居なくなったちゃ駄目だ。僕よりも頼子の方が楽しい人生が待ってるんだからっ! 僕達、ずっと一緒だろっ!! だから、死なないで、頼子っ」
言っている事は支離滅裂。しかし、頼子を失いたくないという思いで呼びかけ続ける春夫。
ずっと隣に居て、それが自然だった。疎ましく思う時も、本当に嫌った時もあった。けれども今は、半身を奪われるような辛さで、心が引き裂かれそうだった。
頼子を引き留めようと、春夫は必死だった。
「――やっと、春夫の本心が聞けた気がする……」
自身が死ぬかもしれない状況だというのに、頼子は笑みを浮かべた。しかし、それもかなり弱々しいものだった。
これが最後であっても、最後に自身の愛する人の本心が聞けて良かった。
二人の思いが通じ合ったこの瞬間に終わる。続く先にある楽しい出来事を思えば勿体無いと思うも、区切りとしては悪く無いと、頼子は考えていた。
そこに、照光の高笑いが割り込む。
「ばぁぁぁぁか。玩具のナイフだよ。殺す訳無いだろ」
その言葉に、二人の視線が照光に集まる。
照光は、漏れる光の中にナイフを入れ、刃を何度も押して引っ込める動作を繰り返す。
二人は、恐る恐る自分達の手が重なり合っていた場所を見た。
刺されてもいなければ、汚れすら付いていない。
確かに照光の言う通りだった。
「お前、なんでこんな悪趣味な事を!!」
余りにも行き過ぎた行為に、春夫は本気で怒り、不快感を露わにした。
これに動じず、照光は言う。
「やっとお前、本音を言っただろ。こうまでしないとお前は駄目だったんだよ。お前らにはもう付き合ってられねぇわ。絶交だ、絶交。じゃあな」
玩具のナイフを春夫達の方に投げると、照光は去っていった。
「あ、あいつ……」
照光に怒りは覚える。しかし、自分の本心と頼子への感情との答えを出させてくれた事には、不服ながらも春夫は感謝していた。
「照光……」
照光の手により、彼らとの関係は完全に壊れてしまった。
その事をはっきりと理解した頼子は、既に姿の無い照光を思い、彼の名前を呟くのだった。