角うさぎ3
「それで、お前さんが来たってのかい」
縁側を望む立派な和室に通された加賀美を出迎えたのは三國之山一斎その人だ。
これまでの経緯を説明し終えた加賀美を前に、和服姿の一斎は紙巻きのタバコに火をつけると、開けっぱなしの窓から庭に向かってゆっくりと煙を吐き出した。
「で、どこまで知ってる?」
「どこまでとは?」
「俺の噂」
加賀美は考えるように視線を巡らした。
一斎の作品についてのうわさは多い。
人形界隈では、その神がかった精巧さと表現力に対して。
オカルト界隈では、その人を惹きつけるような魅力に対して。
だが有名なのは3つだろう。
「一斎の作品がある家は繁盛する。長い年月飾っているといつの間にか行方不明になる。夜中になると動き出す。あとは……弟子を取らない。くらいだね」
「ふん、繁盛するってのは俺がそういう先にしか売っていないからだな。俺は、金のあるとこにしか売らん。
伊藤のジジイがどうしてもなんて言って三日三晩通い詰めてくるもんだから仕方なしに売ったが本来、伊藤みたいな家には不釣り合いだ」
人によっては暴言とも取られかねないような内容を口にした一斎は、お茶を一気に飲み干すと、「おい、いるか」と襖の向こうに向かって声を張り上げた。
「はい。師匠」
トタトタと足音を鳴らして現れたのはおかっぱ着物姿の子供だ。唇には薄く紅が引かれ、二昔前の子供を思い出させる。
「茶。それと、弟子を取らないってのも嘘だ。こいつがいるからな。……ああいや、こいつ以外に取る気は無いからこれ以上弟子は取らないって言うとホントか? ……まぁどっちでも良い。要するに俺の噂に関してはほとんどが出鱈目ってことだ」
「お客さまはお代わりしますか?」
一斎がタバコに口をつけたタイミングを見計らって弟子が鈴が鳴るような声で加賀美に問いかける。
「いや、いいよ」
「そうですか。では師匠、すぐにお持ちしますね」
「ああ、頼む」
パッと立ち上がり、着物の裾を翻して出ていった弟子の後に、甘い花の残香が漂った。
「……お弟子さんは、ずいぶん若いんだね」
見たところ小学生低学年ほどだろうか。
「まぁ、そうだな。だが筋は良い。一斎の名を継ぐのに不自由はしないだろうよ」
一斎はまたタバコを燻らせた。
話がそれた。加賀美は咳払いをすると話を元に戻す。
「では、夜中になると動き出す。というのは?」
「単なる見間違いだ。……と言いたいが、あんた、実際見ちまってるんだよなぁ」
「そうだね」
一斎はガシガシと頭を掻くと、数度タバコを燻らせたのに大きく息を吐いた。
「ま、見ちまったもんは仕方がない。その兎、渡してくれるか」
「ええ。どうぞ」
一斎は兎の箱を受け取ると、無造作に紐を解いて箱を開けた。
「おっと」
箱から飛び出し、テーブルの上を駆け回る兎をむんずと捕まえると、一斎はその目を覗き込んだ。
「イタズラはしめぇだ」
ドスの効いた声に、目に籠った殺気。
並の子供なら泣き出すであろう眼力に怯えたのか、兎は硬直したように固まるとボンっとその姿を白煙に変えた。
ゆっくりと散っていく白煙の中から現れたのは狸だ。
アワアワと手足を動かすも、宙吊りにされたままとなってはまともな抵抗などできやしない。それでも懸命に一歳の手から逃れようと身を捩る。
「ああ、もう。そんなに暴れんな」
一斎がひょいと庭に向かって放ると、狸はその手足を懸命に動かして矢が飛ぶような勢いで山へと駆けていった。
「……にわかには信じられないね」
「ま、これが真実だ。つまらないだろうがな。俺の作品は狸が化けた作品ってわけだ。生きているようだってのも分かるだろ? 実際、生きてんだ。俺の作品達は」
加賀美が縁側から顔を覗かせて狸が去った方向を眺めるが、狸はもうどこにも見えない。
「三國之、君の作品は……」
加賀美が縁側から振り返ると、そこに三國之山一斎の姿は無く、先ほどまで存在した立派な和室はどこにも無かった。
あるのは、荒れ果ててボロボロの畳に空が見える天井。
大部分が破れ、シミのついた襖に散乱した壊れた家具。
加賀美はいつの間にか廃屋の中にいたのだ。
「……これは、化かされた。のかな?」
かろうじて壊れていないテーブルには封が解かれた木箱のみ。
その中には何もいなかった。