角うさぎ2
始発駅から駅に止まること数回。
再度走り始めたガラガラに空いた新幹線の前方で扉が開く音がした。
加賀美がチラリと目を上げると、長細いカートと制服に身を包んだ女性が深々とお辞儀する。
カートには少しばかりのお土産と複数の飲み物が入ったピッチャー。そして駅弁の山。車内販売だ。
そう言えば朝ごはんがまだだった。
軽く朝ごはんとコーヒーでも頼もうかと加賀美が手を挙げると、販売員はすぐにやってきた。
「ご乗車ありがとうございます。何かご入用ですか?」
「サンドイッチを、……そうだな。そっちのパックの方で一つ。それとコーヒーを一杯頼む」
「はい。サンドイッチとコーヒーですね。六百円でございます」
「ん、丁度だ」
「……はい。確かに。こちらがサンドイッチになります。コーヒーはホットでよろしいでしょうか?」
加賀美がうなずくと、販売員はカートから保温機能を待つコーヒーピッチャーを取り出して、紙カップに注いでいく。
周囲に芳しいコーヒーの香りが漂う中、不意に荷物棚からカタンと音がした。
次いでカリカリと何かを引っ掻くような音。
新幹線の走行音に紛れてはいるがしっかりと聞こえてくる音に、販売員は注ぎ終えたカップに蓋をして加賀美に手渡すと、笑顔で話しかけてきた。
「ペットと一緒にご旅行ですか? 元気な子ですね」
そう言って販売員が荷物棚を見上げ、顔を曇らせた。
それもそのはず、荷物棚には販売員が想定したような動物用のキャリーは無く、小さな紙袋しかなかったのだから。
しかもそこから覗くのは木箱。明らかにペットの類を入れておく用のケージでは無い。
加賀美も見上げると、カリカリ音はさらに大きくなった。
そしてガンッとぶつかるような音と共に木箱が少し動く。
「……」
「……」
そのまま二人して見上げること数秒。意を決したのか、販売員は、努めて笑顔で加賀美へと顔をむけた。
「……あの。申し訳ありませんがお手荷物の中に、ペットか動物を入れてらっしゃいますか?」
まさかとは思うが、あんな小さな木の箱にペットを入れるなんて信じられない。と、販売員の目は雄弁に語っていた。
「いや、動物は入れてないよ」
「そうですか? でも、お客様のお手荷物が先ほどから動いているのですが」
「ああ。……それは、電池で動く玩具が入ってるんだ。どうやら何かの衝撃でスイッチが入ったかな。すまないが取ってくれないかい?」
「は、はぁ」
加賀美は半信半疑の販売員が荷物棚から下ろしてきた紙袋を受け取ると、木箱にかけられた紐を解く。
カポッと箱の蓋を取るとすぐに手を差し入れ、暴れる兎をしっかりと掴んで取り出した。
そして、腹を探るように手を動かしつつ、顔を近づけて販売員には聞こえないように囁いた。
「少しの間動かないでいてくれたら、お菓子を買ってあげよう」
その言葉にピタリと動きを止めた兎を販売員から良く見えるように膝に乗せると、加賀美は販売員に向かって微笑んだ。
「やっぱり、スイッチが入ってたみたいだ」
「スイッチ、ですか……まるで本物みたいですけど……」
「だろう。なんでも、最新のロボット技術の結晶なんだそうだ。限りなく本物の兎のような動きをするロボット、と言うことでね。
うちの教授がぜひ見たいと言うので大学からわざわざ借りてきたのさ」
加賀美が兎の手を指でつまんで左右に振ると、兎は抵抗することなくバイバイとでも言うように手を振った。
「……ロボット? ……ほんとだ。角が生えてる」
「触ってみるかい?」
そう言って加賀美が兎を差し出すと、販売員が恐る恐ると言うように角を撫で、体に触れた。
「うわ、本当に本物そっくりなのに冷たい。……すいません。早とちりしてしまったみたいで」
「いやいや、私も最初は本物と間違えたものさ。実際ロボットだって分かった今となっても、ときおり本物かと目を疑う程でね。技術の進歩と言うのはすごいね」
「本当ですね。触らなきゃ、その角があっても分からないです」
「実際、この角は研究室でモデルとして飼っている兎と見分けるためにつけたそうだよ」
「え、本当ですか? その話」
「本当だとも。聞いた話だが、モデルの兎の中には本当にこのロボットに恋してしまった兎もいるそうだよ」
「へぇ。すごいですね。その子」
「片時も離れず、食べものをせっせと分け与える様子も見られたそうでね。充電のために学生がロボットをケージから出そうとすると、怒って体当たりしてくるのだとか」
饒舌に嘘を吐く加賀美がツンと兎の頬を突けば、膝の上からコロンと兎が転がり落ちてゆく。
それを反対の手で受け止めた加賀美は兎を片手で抱えるような形に持ち替えた。
「あっ……しまったな」
「どうしました?」
不意に顔を曇らせた加賀美に、販売員が問いかけた。
「うちの教授へのお土産を買い忘れてしまったな。今から戻るわけにはいかないが、買っていかないと教授がうるさい……」
「それでしたら少数ですがお土産も販売してますよ。如何でしょう?」
「ふむ。何かお勧めはあるかい? できれば甘い物が良いな」
「それでしたら、こちらは如何でしょう?」
販売員がカートから取り出したのは誰もが知る有名店の羊羹だ。
質、量、値、共に目上の人物へのお土産としては申し分のない1品だ。
「羊羹か。では、それ――」
加賀美の手にカリカリと伝わる、爪で引っ掻くような感覚。
加賀美が下を見ると、バチリと兎と目があった。
真摯な目から読み取れる内容は1つ。
「羊羹にしますか?」
「……いや。教授が餡子が苦手だったことを思い出してね。洋風の物はあるかい?」
「洋風ですと、クッキー、バームクーヘン、一口サイズのカスタードケーキなどがあります。どれがいいですか?」
「ふむ。そうだな、クッキーと、――」
カリカリ。
「――バームクーヘン」
カリカリ。
「カスタードケーキ、か」
タシッと小さく叩かれる。
「なら、カスタードケーキを貰おうかな」
「はい。承知しました。サイズが申し訳ありません。8個入りしか用意がなく、何個必要でしょうか?」
「一つ、……いや二つお願いするよ」
「はい。ではお会計が――」
すっかりロボットの真似が板についた兎を小脇に抱えたまま会計を済ませ、商品とコーヒーを受け取る。
にこやかな笑顔と共に去っていった販売員が一礼して次の車両へ移っていくのを見届けると、加賀美は胸を撫で下ろした。
「どうなるかと思ったが……」
目を下に向けると、加賀美の腕からさっそく抜け出して土産物の菓子箱を引っ掻く兎。
その姿は、早く菓子箱を開けろと催促しているかのようだ。
新幹線から在来線に電車を乗り継ぎ、電車に揺られること更に数時間。
ようやく車内から解放された加賀美は凝り固まった背筋を伸ばした。
無人の駅舎に、申し訳程度に括り付けられた切符入れに使用済み切符を入れて外に出ると、目の前はほぼ山だ。
「呼んでおいたタクシーは……あれか?」
草の生える脇道に止まる一台の車。黒塗りの一般的なタクシーだが、車内に人が見当たらない。
いや、どうやら車内で座席を倒して寝ているようだった。
加賀美が窓をノックすると、車内で運転手が慌てて飛び起きた。
「いや、申し訳ない! 昨晩は少し遅かったもので」
「構わないよ」
走り出した車内にかかる雑音混じりのラジオ。
少し前まではまだパーソナリティの陽気な声が聞こえていたが、今は雑音が9割だ。
パーソナリティの小粋なトークも、こうも途切れ途切れでは、何を言っているのか分からない。
「こりゃ、ダメだな。お客さん、ラジオ止めてもいいですかい?」
「ああ」
雑音が途切れた車内に非力なエンジンが唸りを上げる音だけが響く。
道路脇にところどころ残る残雪がこの場所の標高が高いことを示していた。
「お客さん、あんな山奥に何しに行くんです?」
「そこに住んでる人に用があってね」
「それって三國之山一斎ですかい?」
「知ってるのかい?」
加賀美が聞き返すと運転手はニヤリと笑った。
「この山奥に目的地がある人なんて先生に用があると言ってるみたいなもんです。それ以外、だーれも通らないんですから。おかげで、……ほら」
運転手がスピードを落とすと、カーブ先の道路に寝そべるようにして寛ぐ2匹の狸。
気付かずにスピードを維持していたら轢いていたかもしれない。
狸は目の前で停止したタクシーに何度かパッシングされ、ようやく重い腰をどかして道路脇にのそのそと移動する。
「あれは、狸か?」
「そうですぜ。もうここらは狸の縄張りですからね」
加賀美が振り返ると、2匹はまた道路の真ん中戻り、ゴロンと寝転がる。
くぁっと欠伸する様子にはまるで警戒心が見えない。まるで動物園にいる午睡中のライオンかのようだ。
「本当にあれは野生かい?」
「もちろん。この山に住んでる狸達でさぁ」
動物園以外では見れないような光景に加賀美は目を瞬くが、運転手にとっては珍しい光景では無いのだろう。
「それにしても三國之山先生に用事とは、あんた記者かい?」
「記者でもあるが、今回は取材に来たわけじゃないんだ」
「ほぅ? じゃあ何用で? 観光ってわけでもないんだろう?」
「そうだね」
加賀美がチラリとバックミラーに目をやると、興味津々といった目で覗き込んでくる運転手と目があった。
「……よそ見してると危なくないかい?」
「勝手知ったる我が道でさぁ。で、何用で来たんだい?」
運転手は前も見ずにカーブを曲がり、道路上に転がっている岩を避ける。
加賀美は器用なものだと感心した。
「ちょっとある人に頼まれてね。これを三國之山一斎に返しに来たのさ」
そう言って加賀美が箱を翳して見せると、運転手は破顔した。
「なるほど、なるほど。それはそれは」
「どうかしたかい?」
「いやいや、何でも無いよ」
そうして曲がりくねった山道を行くこと1時間。
ようやく見えてきた建物の前でタクシーは止まった。
「お客さん、着きましたぜ」
「ああ。ありがとう。……随分な家だね」
掘立て小屋と言えばいいのか、あばら屋と言えばいいのか分からないほど朽ちた家。
屋根瓦には草が生え、外から見ても分かるほど壁には穴が開いてある。
本当にここには人が住んでいるのだろうか?
「お客さん、そっちじゃないぜ。そこの家の横に細道が見えるかい?」
「ん? ああ」
「三國之山先生の家はそこを登って直ぐだ」
確かに運転手の言う通り、家の横には人一人がようやく通れるほどの獣道があった。
教えてもらわなければ気づけないほどの小さな道だ。
「俺ぁ、ここで待ってる。どうせ帰りも乗って行くんだろ?」
「良いのかい?」
「むしろほっとかれて困るのはお客さんだろうよ。こんな山奥じゃ携帯だって繋がりゃしねぇから迎えのタクシーを呼ぶこともできねぇぜ? 安心な、メーターは切っといてやるからよ」
そう言うと運転手は運転席の背もたれを倒して、足を組んで寛ぐ態勢になった。




