竹刀の剣士、異世界で無双する ハルミ編 その59
新年、明けましておめでとうございます。しかし、世界には、戦争や災害で新年を祝うことが難しい人たちが大勢います。
新しい年が、世界中の人たちにとって希望がもてる年になることを、心から願います。
59 稲荷祭 その弐
モミジの話は、こういうことだった。
まず、あたし達の世界とは違う世界が、無数に存在しているとモミジが説明した。あたしは、この時点で頭から湯気が立ちそうだったけど、何とかこらえた。そして、たくさんの世界には、それぞれに神様が存在しているらしい。その中で、たまたまある世界の神様が、豊川様と通信できるようになったらしい。なぜ、通信できたかは、豊川様にも分からないということだ。
それは、旧暦の10月のことだった。10月は、別名「神無月」と言われている。これは、10月に日本のすべての神様が島根県の出雲地方に集まって一年の出来事を話し合うため、日本中から神様がいなくなることから名付けられた。なので、出雲地方では「神有月」と呼ばれているそうだ。そんな、神様方の話し合いの途中に、豊川様に別世界の神様から通信があったらしい。その神様は、武神デールと名のり、自分の管理する世界をバタリと呼んでいた。
武神デールは、自分の管理する世界であるバタリがとても貧しく、人々が飢えに苦しんでいることを悩んでいた。自身は「武神」と名のるだけあって、戦うことが大好きで、相当強いらしいが、人々の暮らしを豊かにすることや文明を発展させると言うことにはからきし弱いらしい。それで、豊かに発展している地球の神様に助けてもらいたいと考えていたということだ。それで色々と試しているうちに、偶然、豊川様と通信できるようになったということだった。
憧れの地球の、それも豊穣の神様である豊川様と通信できた武神デールは、大変喜んだらしい。そして、身勝手は承知の上と言って、バタリへの援助を頼んできた。
豊川様は、困惑した。いきなり、知らない神様から助けてくれと言われても、困るのは当然だろう。しかし、豊川様は優しい神様だった。どこの世界であっても、飢えに苦しむ人々がいると聞いて、知らんぷりはできなかった。そこで、豊川様が武神デールからバタリの様子を詳しく聞くと、バタリでは木や石と骨や土の道具しかなかったらしい。地球では、石器時代に当たるような暮らしをしているということが分かった。それで、世界を豊かにするには鉄の道具が必要だ、と豊川様と武神デールが話し合った。そして、日本から鉄を扱える者をバタリに送り、鉄の道具の作り方を伝えることになった。鉄を扱える者を探す中で、我が国の大勢の鍛冶屋の中から弥助が選ばれた。これは、豊川様が信心深い者の中から、鍛冶の腕を見込んで選んだらしい。その上で、何年もかけて計画と準備をした。まずは、弥助の鍛冶の腕や知識が、バタリでも使えるようなレベルになっているかを見極めることにした。これは、伝令小狐が普段から弥助の近くにいて、見定めることにした。同時に、バタリで砂鉄がありそうな場所と、鉄を精錬するための窯を作る粘土がある場所を探した。これは武神デールにお願いした。その上で、弥助を送り込む村を絞り込んだ。そして、弥助が役割を果たした時には、戻ってこられるように伝令小狐をつけておくことにした。また、お稲荷様の霊力だけでは、世界を渡ることは難しいため、武神デールに手助けをしてもらうことにした。このように様々なことを計画し、準備したということだ。その甲斐あって、弥助はバタリで、鉄聖としてあがめられ、鉄の利用がバタリにも根付いた。そして、弥助は無事にこちらの世界に戻ってくることができた。
しかし、洋祐父さんの場合は、突発的な出来事だった。武神デールとの話し合いも行われていないため、受け入れの準備もない状態だった。弥助の時は、転移する国の情勢や村の位置まで、細かく計画していたが、洋祐父さんの場合は、バタリのどこに転移したのかも分からない。バタリ全体がどのくらいの大きさで、国がいくつぐらいあって、人が何人ぐらいいるのかも詳しくは分からないらしい。
(まあ、武神デールによると、バタリは、地球とほぼ同じくらいの大きさらしい。人の数はかなり少なく、人が全くおらぬ場所も多いらしい。)
モミジの話では、バタリは弥助のおかげで、急速に文明を発達させたらしい。弥助が戻って来た時の状況を考えて、今では地球で言うところの10世紀ぐらいの状態だろうということだ。10世紀と言えば、日本では平安時代にあたる。京都の都が華やかで、たくさんの巨大で華麗な建物が作られたころだ。弥助がバタリに渡ったころが地球で言うと石器時代にあたる。それからほぼ200年で平安時代ごろの文明にまで成長したということだ。
「地球で、1000年以上かかった文明の進歩を、わずか200年で成し遂げたということですね。バタリの人々の努力は、すさまじいものがあります。」
母さんが、ため息を漏らした。
(そこで、そなたらがバタリに渡れるかどうかと言う話じゃが・・・)
モミジの話が、核心に迫ってきた。
結論から言うと、あたし達がバタリに渡るためには、いくつかの条件が必要らしい。
弥助の時は、豊川様をはじめ、たくさんの狐たちが霊力をささげ、武神デールの力添えもあって、地球からバタリに渡ることができた。しかし、弥助が帰ってきた後、武神デールとの通信は途絶えているそうだ。つまり、今回は、武神デールの霊力を当てにすることはできない。なので、あたし達がバタリに行くには、霊力が足りないらしい。その霊力を補うために、モミジの生み出した宝珠が使えるということだ。それでも、地球からバタリに行く1回のみで、一人しか渡らせることはできないらしい。完全な片道切符だ。
「片道切符ですか・・。それでもいいので、どうかわたしをバタリに送っていただけませんか?どうしても、洋祐さんの消息を知りたいのです。そして、できることであれば、洋祐さんに会いたいのです!」
母さんが、決意する。
「美和子さん、待ちなさい。モミジ様も、「いくつかの条件」と言っておっただろう?美和子さんの気持ちはよくわかるし、洋祐を探しに行くのなら、わしも行きたいと願っておる。
モミジ様。条件のところを詳しく話してくだされ。」
じいちゃんが、母さんをなだめる。
(まあ、連れ合いが生きておるかもしれんと聞いて、落ち着いてはおれんのじゃろう。気持ちは分かる。しかし、現状では片道切符じゃ。それも、バタリに必ず行けるとは限らぬものじゃ。
そこで伏見様から、バタリへ渡る道を整え、そなたらの中から何人かが行って、帰ってこられる方策を提案された。)
「そんな、方法があるのですか?」
ばあちゃんが、驚く。
(左様。時間はかかるがな。
まず、今回の洋祐捜索の願いについては、伏見様も、豊川様も了承をされた。
さらに伏見様は、日本三大稲荷の、お千代保様にもご助力を頼むとおっしゃっておった。伏見様と豊川様に加えて、お千代保様とその眷属達が協力してくれるのであれば、バタリに渡る霊力は、三人分になりそうじゃ。)
「三人と言うことは・・・?」
じいちゃんが言葉に詰まる。
(うむ。洋祐を探したいと願う、おかか殿と、ハルミとわらわの三人じゃ。)
「美和子さんは当然として、春海はいかがなものでしょう?わしではだめなのですか?」
じいちゃんが、困ったように言う。
「じいちゃん。あたし、行きたい!父さんに会いたい!」
あたしが、大きな声を出す。
「しかし、春海はまだ小学1年生じゃ。聞けば、バタリと言う世界は、日本の平安時代ごろと言うではないか?平安時代は、「平安」とは名ばかりで、争いが多かった時代じゃ。危険なところに、小さい子どもを送ることはできん。
のう、ばあさんや。」
じいちゃんが首を振る。
「そうですね。どんな危険があるのかもわからないので、できれば、おじいさんの方がいいと思います。本当は、わたしが行きたいくらいです。」
ばあちゃんもうなずく。
(うむ。家族として、ハルミの身を案ずるそなたらの気持ちは分かる。しかし、これはわらわの霊力との相性が最も良いと考えて、伏見様が決められたことじゃ。
もちろん、稲荷祭でのハルミの立ち合いを見たうえで、大丈夫じゃろうと判断されたのじゃ。)
「そう言うことでしたら、やむをえません。」
「はい。せめて、春海たちの無事を祈ることしか、できませんね。」
じいちゃんもばあちゃんも、肩を下げる。
(さて。バタリに行くことは、豊川様とお千代保様の霊力をお借りして、できる見込みが立った。
しかし、それでも、帰って来るには、霊力が足りぬ。
そこで、二つのことを提案された。
一つ目は、バタリに祠を作ることじゃ。)
「祠って、家にあるようなもの?」
あたしが尋ねると、モミジが、うなずいた。
(左様じゃ。
わらわたち、地球の神々は、祠や神社、寺などの拠点となる場所を作り、人々の気持ちを集めることで活動しておる。バタリでの武神デールがどのように人々の気持ちを集めておるのかは、分からぬが、わらわたちには、拠点となる場所が必要なのじゃ。そこで、バタリにも祠を作り、この宝珠を納めるのじゃ。)
モミジは、自分の生み出した宝珠を指した。
(伏見様の話では、宝珠には、集めた霊力を何倍にも増幅する機能があるということじゃ。その機能は、宝珠が大きいほど強くなるそうじゃ。この大きさの宝珠であれば、バタリで人々の心を集めることができれば、地球に帰ってくることができるほどの霊力を発揮できるそうじゃ。
そして、宝珠に人々の心の力を集めるためには、お参りする人を増やさねばならぬ。そこで、二つ目の提案じゃ。)
「バタリの人々に、お稲荷様の祠にお参りをしていただくのですね?」
母さんが、モミジの話の先を読む。
(うむ。その通りじゃ。)
「そんなこと、どうやったらできるのかのう?」
じいちゃんが、腕組みをする。
「この地球でさえも、お稲荷様にお参りする人は、多くはない。伏見様や豊川様、お千代保様にお参りする人は、行列を作っているが、それも、お正月だけのことじゃ。地球全体の人口から見たら、微々たるものにすぎんじゃろう。一体どのくらいの人々がお参りをすれば、バタリから帰ってくるための霊力が集まるのかのう?」
(うむ。おじじ殿の疑問はもっともじゃ。伏見様の初詣でもおよそ300万人がお参りしたと聞いておる。およそ日本の人口の40分の1じゃな。地球全体の人口から見るとおよそ2600分の1じゃから、たいした人数ではない。
しかし、わらわたちが大切にするのは、人数ではないのじゃ。もちろんお参りする人が多いに越したことはない。じゃが、お参りする人々の心のありようが大切なのじゃ。
わらわたちの霊力になるのは、純粋な気持ちじゃ。前にも言ったが、良い暮らしをしたいとか、金持ちになりたいとかの、ご利益を願う気持ちはわらわたちの霊力にはあまりならぬ。クミコたちのように、おのれの身につけた技を奉納してくれる純粋な気持ちの方が、何倍もの霊力になるのじゃ。
じゃから、ハルミにはバタリで、純粋に頑張る人たちを見つけてもらいたいのじゃ。そなたの得意な剣道でもよいし、そのほかの技でもよい。自分を高めたい、みんなの役に立ちたいと願う者たちを見つけることが、二つ目の提案じゃ。)
「・・・。そんなこと、できるのかなあ?」
あたしは、好きな剣道を思い切り稽古しているだけの小学1年生だ。自分としては、剣道を頑張っているというよりは、楽しんでいるという方がしっくりくる。たしかに、12月の大会で「勝ちたい」と言う気持ちでは、かえって負けてしまうことを学んだ。でも、それは頭で分かったつもりになっていることだ。実戦の中で、「勝ちたい」という気持ちを忘れることは、なかなかできないものだ。
お読みいただき、ありがとうございます。ヨウスケの消息が、なんとなくわかってきました。ハルミと美和子さんはヨウスケに再会できるでしょうか?