井の中の蛙大海を知らず、故に、大海の鮪井の中を知らず
≪君のこと落としてみせるよ、覚悟しててね!≫
燦爛とした笑顔でそう言った。
宝石と見紛う程の、艶やかな光輝で。
「━━━━━━━━・・・ああ」
どうしたって、思考が止まる。
こんな事は初めてだ。
「━━━━、━━━━・・・━━━━━━━・・・」
何か、聞こえた気がする。
だけど、畜生。
頭が回らない。
「━━━━━━・・・━━━━━・・・・・━━」
また、まただ。
何か言っている。
一体なんなのだろう。
「━・・・ ・━ ━・━ ・━」
コイツどさくさに紛れてモールス信号打ちやがった。
えーと・・・。
B、A・・・K、A。
バカ。
「テメェこの野郎!! 」
「わー! ごめんごめん! 全然反応しないからつい! 」
「だとしても、わざわざモールス信号使って人をなじるやつがあるか! 」
「だ、だからごめんって! 」
謝りながらも、笑いを抑えられない様子だった。
未だ腹を抱えて震えてる。
ていうかコイツ、なんでモールス信号なんて知ってるんだ。
俺もだけど。
「まあ、聞いてなかったのは俺も悪かった。
余りに衝撃発言だったからな、許してくれ」
「ふふん、わかればよろしい」
「で、なんて言ってたんだ? 」
「ああ、えっとね」
今の会話で内容が飛んだのか、思い出そうと軀を捻っている。
逐一動きに出る奴だ。
「あ」
しばらく捻っていると、どうやら思い出せたらしい。
そして、にひひ、と言った感じの笑みを浮かべ、悪戯気味に宣言した。
「デートをしましょう」
※
「デート? 」
「デート」
これまた、唐突な話だ。
もう少しばかり緩慢に過ごせないのか。
「ごめんオレ学校あるから、それじゃ」
「無理だよ」
確かに、もう既に学校に行く手段も無いこの状況で、その言い訳で乗り切るのは無理があった。
無理がある。
それはわかるが、それは俺がずっと言いたかった台詞である。
俺にだって、言い分はあるのだ。
いきなり口付けを迫ったかと思うと、よくわからない病気の話や、挙句自分は異界の民だとか宣言し、その次にゃデートときたもんだ。
得体がしれないにも程がある。
いくら主観で生きるタイプの人間でも、ここまでの事を口走れば異端に気づくものだ。
だが目の前にいるこの美少女は、どうやら気づいてないようだった。
よし、ここらでいい加減に逃げてしまおう。
そう思い、俺は少女へと向き直り、眼を見つめた。
少女もまた空気を察し、此方と相対する。
「・・・」
「・・・」
双方の間、沈黙が漂った。
俺はその気まずい空気に耐えかねて、勢いに任せて言葉を漏らした。
「・・・正直、俺はお前が怖いんだよ」
「え・・・? 」
虚を突かれたように、少女の顔は歪んだ。
とても悲壮な、そんな形に。
「今までのお前の言動を省みてみろよ、得体が知れないどころの話じゃない」
「そ、それは・・・」
「わかるだろう? なんとなくでも」
「・・・・うん」
何かを言いたげにしていたが、口が開かないようだった。
それに若干の罪悪感を感じつつ、俺は続ける。
「・・・それじゃ、俺行くからな」
━もう二度と、会うこともないだろう。
口をついて出た言葉は、驚く程に冷たかった。
或いは、冬の寒さのせいかも知れないが。
「あっ・・・」
いつか聞いた戸惑いの声を背に、俺は少女から離れていった。
背後からの視線が痛く刺さった。
今からでも、謝りたくなった。
なんだこの心苦しさは。
訳がわからない。
だけど、それでも歩は止めずにいた。
正直、よくわからないものには関わり合いにはなりたかないんだ。
正しいかどうかはわからないが、賢明な判断だと思う。
自分のことでだっていっぱいいっぱいの俺に、あんな蠢く未知は相手どれない。
俺は悪くない。
正しくもないだろうが、悪くも、ない。
そう思い、足早に、立ち去った。
━━━━━と、裾に抵抗を感じた。
誰かがつまんでいるような、そんな感覚。
一体誰だ。
といっても、この場において他に人はいない、他人ならいるが。
「なんだよカリィ━━━━━・・・ナ」
其処には、いた。
「━━━━━━━━━━」
其処には、目を潤わせて此方を見つめる、いたいけな少女の姿があった。
恨めしげに、懇願する様に。
その姿はどこか儚げで、背徳的なまでに美しい。
それを見て、胸の奥が痛くなるのを感じた。
この痛みの主は、心か、心臓か。
「そんな事言わないでよ、・・・お願いだから」
「・・・・・・」
俺は、デートをする事にした。
※
デート。
デート。
デート。
換言すれば逢引きだが、普遍的な物言いならデートが適語だろう。
人生の何時でも聞く、ありふれた、それでいて俺には関係のなかった単語。
それは、好意を持った男女が日時や場所を決めて会う事を指す。
とはいえこれは例外もある。
好意を持った男が好意を持たない女とデートすることもあれば、好意を持たない男が好意を持った女とデートすることもある。
青い駆け引きや、黒い打算が渦巻く、ある種の土壇場。
そんな、そんな事にだ。
そんな世俗に塗れた行為に、俺はこれから挑まなばならなかった。
衆愚性を卑下し、流行を唾棄するこの俺が、俗を憎み、厭世を良しとするこの俺が、その大悪に。
「なんか色々いってるけど、要するにただの非モテだよね」
声に出てたのか。
恥ずかしい。
畜生、さっきまで落ち込んでたくせに生意気だぞ。
割合、最低な独白だった。
「お前今正しい事を言ったな? ロジハラで訴えるぞ」
「何その理不尽なハラスメント」
ロジックハラスメント。
必要以上に相手を正論で追い詰めることの意。
よくないぞ。
「まあそんな事はいい。
デートとか言ってたけど、どこに行くんだ? 」
「あっ」
「あっ、て、何も考えずに言ったのか? 」
━えへへ。
少女は照れ臭そうに、頭の裏を掻いた。
「じゃあ、予定はこれから決めるのか」
「そうなるね、ごめん」
「いやいいけどさ」
学校をサボりながらのデート。
一度すると決めてしまえば、この背徳的な行為は、少しだけ俺を高揚させた。
正直他人がしているのを見たら、俺はきっと殺人者になることも厭わないが、こうして当事者ともなると、いささか彼らを責めづらい。
正直ちょっと楽しいのだ。
いっても、まだ予定すら立ててないが。
「行きたいところとかないのか? 」
「君の隣」
「あらやだ少女マンガ」
惚れそうだった。
なんか心の少女が疼いたのがわかるし。
「というか落とすってそういう方面なのか? 」
「いや気まぐれ」
そらそうだ。
でもどうしてだろう、ちょっと残念だった自分がいるのは。
「うーん・・・本当にどうしようかなー」
「なんか今日は、デートの予定を決めるデートになりそうだな」
「じゃあデートの予定を決めるデートで何しようか? 」
「デートの予定を決めるデートの予定を決めるデート始める気か? 」
ゲシュタルト崩壊だった。
「じゃあ、私の家来る? 」
「はっ、いくらなんでも一足飛びすぎ・・・」
ん?コイツって確か、異界の民だよな。
「いやお前、家ってもしかして・・・・」
言い終わる頃には、それは眼前を塞いでいた。
空間が歪み、風圧は顔を掠め、周囲を巻き込んでの登場だ。
「さあ、行こう? 」
それは、異界の門だった。
※
「・・・・・・おいおいおいおい」
図らずとも、この少女が異界の民である証明が為されていた。
どれだけ論を重ねようと、不動の事実が、実態をなして其処にいる。
むしろどうやら、否定の証明をする事こそが、間違いのようですらあった。
悪魔の証明って奴だろうか。
詳しくはないが。
「さ、行こ? 」
その言葉も、最早この禍々しさをバックにすれば、悪魔の囁きと嘯いても、一定の真実味を帯びるだろう。
「・・・・・・」
動けなかった。
ここ最近頻繁に動けなくなるが、今回はどうやら、違う様相を呈してた。
「やっと見つけたぞ、1030号」
其処にいたのは、禍々しいバックであり、俺が動けなくなった原因であり、先の台詞の主だった。
「共に帰還せよ」
怪物だった。