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婚約者

竜は、前脚で器用にパンをつかむと、口に入れる。


(パンを食べる竜なら、怖くない、と思うわ)


 私はそう考えて安心し、竜の傍に腰を下ろした。


「はい、お水も飲んで」

「ありがとう。……シャーリー、といったな。不思議だ。俺の言葉がわかるのか」

「ええ、そうなの。だから、困ったことがあったら、なんでも言って」


 竜は傷に塗られた、薬を見る。


「俺を、看病してくれていたのか?」

「だって、長々と森の中に、倒れていたんだもの。放っては、おけないわ」

「怖くなかったのか」

「ちょっと怖かったけど、人間ほどじゃないもの」


 私の脳裏に、ちらっと叔父夫婦の顔か浮かぶ。


「そうか。うん。身体のあちこちに、きみが手で触れ、癒してくれた、名残を感じる」

「そんなのがわかるの。すごいのね」


 こうして話していると、やはり竜はちっとも怖くなかった。


 ハティや白キツネのように、もふもふした毛や、くりっとした可愛い目は持っていない。

 でも、精悍な目や、剣の先のような爪、青白く光る翼は、とても美しいと私は思う。


「竜さんは、どこから来たの? もともとこの近くに、住んでいたのかしら」

「いや。……島から来た」


 島? と私は驚いて問い返す。


「でも、この国の近くの島は、ひとつきりのはずよ。御本で読んだもの」


 それは魔物や魑魅たちだけが住むという、妖霊島という、恐ろしい場所だったからだ。


 だが竜は、こともなげにうなずいた。


「その島だ。そんなに、悪いところでもない。それなりに、楽しく、暮らしている」

「ほ、本当? だって……」


 魔物だらけではないのか、と言おうとしたそのとき。


 遠くから近づいて来る、いくつもの松明の灯りが見えた。

 ピン、とハティの耳がそちらに向く。


「シャーリー。農民たちが、ここに竜さんがいることを知って、やってきたみたい。追い払え、やっつけろと言ってる」

「なんですって?」


 私が立ち上がると、竜もむっくりとその身を起こした。


 そして、確かめるように数度翼を動かし、うん、とうなずく。


 小さな頭から尻尾まで、すーっと綺麗に弧を描くような背骨。

 勇壮に、月の光を映してきらめく青い翼。


 なんて美しい生き物なんだろう、と私はちょっと見惚れてしまった。


「これなら、問題ない。世話をかけたな、シャーリー。この恩は、忘れない」


 竜はそう言うと、私が止める間もなく、バサッと大きく翼をはためかせ、飛び立って行ってしまった。


 入れ替わるようにどやどやと、農民たちがやってくる。


「おい、あれは侯爵家の、娘っ子だ。猫憑きの」

「なんでここにおるんだろう」


 近づいて来ると農民たちは、口々に私に言った。


「な、なあ、お嬢様。ここに、気味の悪い化け物がおったでしょう?」

「うちの息子が、見たと言っとりましたぞ。妖霊島の、魔物じゃねえのかと。教えてくだせえ」


「にゃああおう」

「んにゃーあ、にゃうう」


 私とハティは、キッと彼らを睨んで鳴く。


 すると彼らは、ますます気味悪そうに肩を縮こまらせ、顔を見合わせた。


 そして岩場の、竜が暮らしていた痕跡に目を移す。


「……おい。かじったパンがあるぞ」

「パンだあ? なあんだ、だったら鳥だわな。でっかい、渡り鳥かもしれねえ」

「魔物だったら、パンは食わねえべ。その前に、猫をひと飲みにしちまってただろ」

「ってことは、見間違いか」

「まあ、おっかなくって近づけねえだろうから、よく確認できなかったのは、仕方ねえ」


 言いながら、ぞろぞろ引き返していく彼らを見て、私はホッとした。


 けれどこのことは後に、噂話となって、叔父夫妻の耳に入ったらしかった。


♦♦♦


 竜が飛び立ってから、数日後。


 立派な馬車が、トレザの屋敷の前で停められた。


(叔父たちかもしれない)


 咄嗟にそう考えた私は、ハティ以外の動物たちを、裏口から外に出した。

 臭いだの汚いだのと文句をつけて、彼らになにをするかわからなかったからだ。


 しかしやってきたのは、叔父夫妻でも、オリバーでもなかった。


「こちらです、お坊ちゃま」

「うん。失礼します」


 ノックをして入って来たのは、従者らしき初老の紳士と、きちっと華美な正装に身を包んだ、同じ年ごろの少年だった。


 彼を見て、私はハッとする。

 それは、数年が経過して少し面立ちは変わっていたけれど、確かに肖像画に描かれた絵の中の、本人だったからだ。


「はじめまして、シャーリー・レイランド侯爵令嬢。ぼくは、ルイス・ハリソン。宝石商、ハリソン商会の長男です」

「にゃ……にゃう」


 私はどんな態度をとっていいかわからず、こくりとうなずいた。


 着ているものは、カーテンで作ったドレスもどき、髪はぼさぼさで伸び放題だ。

 恥ずかしかったが、ルイスは気にしていないようだった。


「なるほど。猫の声しか出せぬというのは、本当だったのですね」


 少年は、カツカツと靴を鳴らして歩いてきて、私の前まで近づいてきた。


 そして床に膝をつき、私の荒れた傷だらけの手を取る。


「しかし、なんの問題もありません。私はあなたを、妻にしたい」

「んにゃっ?」

「侯爵家からも、急ぎ社交界デビューのパーティの前に、婚約を決めるよう申し付けられました」


(社交界デビュー……その前に婚約ですって?)


 呆然としている私におかまいなしに、ルイスはてきぱきと告げる。


「動物がお好きとのことですが。昨今は、気味の悪い魔物まで世話をしたという噂があり、侯爵夫妻は心配しておられるのですよ。それで早く、結婚して落ち着いて欲しい、とお考えなのでしょう」


(結婚? ほ、本当に私、この人に嫁ぐの?)


 ルイスは柔らかな笑みを浮かべ、とても優しそうに見える。

 こんな人だったらいいな、と思い描いていた、そのままの様子をしていた。


 にっこりと微笑んで、ルイスはすっくと立ち上がり、あれを、と従者に向かって手を伸ばす。


「これは、正式に婚約を取り交わしたという書類です。レイランド侯爵夫妻のサインももらっている。あとはあなたのサインがいるんです。……字は書けますか? 言っている意味はわかるかな」

「ねえ、シャーリー。ちょっと待って」


 制止したのは、肩に乗っているハティだ。

 もちろんルイスたちには、にゃあにゃあとしか聞こえない。


「コンヤクって、ケッコンするってことでしょ? こんなにすぐ決めちゃって、本当にいいの?」


 それは確かに、私も思う。

 ルイスの両親も姿を見せないし、紙の上に署名をするだけ。


 おそらく、叔父夫妻とルイスの両親で、すでに話は決めてあるのだろう。

 そして意思疎通が可能かもわからない私は、事後承諾になっても仕方ない。


 それでも、なにかがひっかかっていた。


「……やはり、言葉が通じないのかな?」


 ルイスは言うと、ちらりと従者を見た。

 従者はうなずき、私に近寄って来る。


「にゃっ!」

「んにゃああ!」


 従者が、肩の上のハティをはらうようにしたので、私はびっくりして抗議する。

 ハティはくるっと回って、無事に床に着地した。


「お静かに。はしたない」


 老年だが大柄な従者はそう言って、私の背後に回り、手を取った。


 そして無理やりペンを握らせた私の手の上から、自分の手をかぶせるようにする。


「さあ、ここにサインを。心配いりませんよ。きみは身を任せていればいい。サインが済んだら……社交界デビューのその日に、またお会いしましょう」


 ルイスが言って、書類をテーブルに広げた。

 そして私は従者に操られる人形のように、自分の名前を書かされたのだった。


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