出会い
トレザの寒村での暮らしが、五年を過ぎたある日、事件が起こった。
昨晩は春の嵐が吹き荒れ、雷鳴がとどろき、屋敷は扉を固く閉ざしていた。
朝になってようやく風が収まり、私は薪を拾いに、森へと入って行ったのだが。
歩きなれた道の途中で、ぎくりとして足を止める。
そこにはなにか、見たことのない、青白い大きな獣が横たわっていたからだ。
(なんだろう。横に長い、青い鳥? でも、白っぽく光っているところもあるわ……水の上に、銀粉を散らしたような、不思議な色。こんな動物、見たことがない)
それでも私は、怖くなかった。
ここでの暮らしが長くなってから余計に、人間より動物のほうが、好きになっていたからだ。
だからゆっくりと草を踏み、そちらへと近寄って行った。
「ねえ。大丈夫かな、シャーリー。あたし、なんだか身体の毛が、自然にぴんぴんするんだけど」
「怖かったら、ここに残っていてもいいのよ」
「ううん、シャーリーが行くなら、ついていく」
ハティは警戒しながら姿勢を低くして、私の後ろからくっついてくる。
あともう、ほんの少しで手が触れられる距離まで来ても、生き物はぴくりとも動かない。
(死んでるのかしら)
すぐ傍でしゃがみ、そっと様子をうかがうと、わずかに胸が上下しているのがわかった。
「シャーリー。なんだか、怖い。やっぱり、戻ろう」
「で、でも、怪我をしているかもしれないわ」
ハティが心細そうに言うのも、無理はない。
それは、かつて見たことのないような生き物だった。
尖った顔は口が大きく、耳は小さく、巨大な翼はつやつやとして、ドレープ状に畳まれて、羽毛はまったく生えていない。
大きさは、翼を入れなくても、馬くらいはありそうだ。
その翼の先端には、小さな前脚がついている。
しっかりとした後ろ脚には鱗があり、鋭い爪が生えていた。
(この姿。屋敷の図鑑で、見たことがあるかもしれない。……竜。そうよ、これは、竜だわ!)
思い至った私はしばし、呆然としてしまった。
足元にいるハティも、恐怖に固まっているらしく、じっとしている。
「ハティ。あなたは、ちょっとあっちで隠れていて」
もしこの竜が目を覚ましたら、ハティを食べてしまうかもしれない。
私はそう考えたのだ。
けれど可愛いハティは、私の傍から動こうとしない。
「食べられちゃうときは、一緒よ、シャーリー。それにあたしの爪と牙を、忘れないで。あたしがシャーリーを、守ってあげる」
ぶるぶる震えながら言うハティが、愛しくてたまらなかった。
しゃがんで小さな頭を撫でてから、私は竜の様子をみる。
(かすかに息をしているわ。怪我は。……あっ、血が出てる! 翼が切れて、周りがただれたようになってるわ。この傷は、どうしたのかしら。まるで火傷でもしたみたい)
私は屋敷へ走って戻り、火傷によく効く薬草と油、それに余っていた古いシーツと、瓶に入れた水を持ってきた。
さすがにこの大きさだと、とても屋敷までは運べない。
ちょうど近くに、よく急な雷雲で雨宿りをするときに利用する、ひさしのように突き出た岩があった。
その下まで、竜を移動させることにする。
私とハティは走り回って、仲良くしている動物たちを集めて回った。
それから、寝返りを打たせるようにしてシーツの上に竜を乗せ、みんなで岩の下まで引っ張って移動させる。
竜はとても重く、移動は大変だったが、ずっと意識は取り戻さないままだ。
私たちは、ぜいぜいと息を切らし、汗をぬぐい、互いに顔を見合わせる。
「やれやれ。やっとなんとかなった」
「シャーリー。俺たち、もう帰るよ」
「シャーリーの頼みだから手伝ったけど、そいつ、怖いよ」
「見ているだけで、ぞわぞわする」
「危ない匂いが、ぶわーっとするよ」
彼らの言葉が大げさでない証拠に、動物たちの毛は一様に逆立っている。
「もういいわ、みんなありがとう」
お礼を言うと、ハティ以外の動物たちは、一目散に逃げて行ってしまった。
「そんなに怖いのかしら。確かに他の生き物とはまったく違って見えるけど、綺麗な生き物だと、私は思うわ」
「確かに、ぶさいくとは思わないけど」
ハティは気を落ち着かせるように、しきりと前脚で、顔を洗いながら言う。
「シャーリーが、世話をしたいと言うなら、あたしは止めない。でも危険な匂いは、あたしも感じる。この生き物は、なんだかキツネやリスたちとは、全然違う気がするの」
「そうなのね。でも、ともかく意識が戻るまでは、看病してみるわ」
このときから、竜を看護する日々が始まった。
幸い、晴天が続いているので、私は水瓶や薬、毛布、そして干した果実とパンをたくさん、岩場に持ち込んだ。
口の端から、少しずつ木のさじで水を飲ませ、怪我をしている翼に薬草を塗り、細く裂いたシーツで巻いた。
熱があるらしく、震えているときは、添い寝をしてその身体を温めた。
そして、四日ばかりが経過した、満月の夜。
そっと、全身を包むには小さい毛布をかけ直すと、初めて竜は薄目を開いた。
緑色の、光る眼だ。
「フーッ!」
ハティがぶわっと毛を逆立て、尻尾を倍くらいに膨らませたが、私は静かな声で言う。
「竜さん。目が覚めた?」
竜の口が開くと、そこに尖った牙が見える。
「? ……おま……えは、誰だ……」
低くて不思議な、落ち着いた声だった。
「私はシャーリー。この子は、猫のハティ。あなたが倒れていたから、手当てをしていたの。まだ痛む?」
竜の緑の目が、ジロリと私とハティに向けられる。
怖かったのか、ハティが一瞬、ぴょんと飛び上がる。
「手当て、だと。……ああ。そうか、思い出した。俺としたことが、なんて、失態だ」
竜は自ら、翼を少し動かした。
「火傷をしているみたいよ。痛む?」
「いや。だいぶ、いい」
「お腹は空いてない? 竜が何を食べるか知らないから、パンと干した果実しかないけれど」
「言われてみれば、空腹だ。それを、くれるか」
かなり話の通じる相手とわかって、私はホッとしながら、竜の口元に乾果実や、パンを差し出した。