追い出された屋敷
叔父夫妻の恐ろしい話は、なおも続いた。
「なにも、死ぬまで飼い殺しにするつもりはないわ。そのうち形だけでも社交界にデビューさせたら、商人でもなんでもいいから、さっさとシャーリーを嫁がせてしまえばいいのよ」
「ブリジット、本気かい? まわりでなにがおこっているのかも、わからない子を」
「だから都合がいいんじゃないの。そうしたら実質、この屋敷も財産も領地も、晴れて私たちのものになるわ」
喜びを隠せない声で、ブリジットが言う。
「ううむ。まあ、すべてをオリバーに継がせてやれるのだから、反対はしないが」
「猫憑きのおかしな娘でも、侯爵家と繋がりを持ちたいものは、いくらでもいるはずよ。そうね……あれこれうるさい貴族より、やり手の商家が理想だわ。ちょっと上に口をきいて、爵位と持参金という餌を与えましょう。今のうちに、相手をみつくろっておかなくては」
両親の身になにがおこったのか、それがどうしてだったのか、私はすべて理解した。
けれど私は、お父様と約束をしている。
復讐はしない。社交界にデビューするまでは、人前では猫の鳴き声しか出さない。
(どうしてなの、お父様! あんな約束がなかったら、私が今ここで、ふたりをやっつけたのに。私が人殺しになって、縛り首になったとしても、絶対に仕返ししたのに)
私は必死に歯を食いしばって、辛く苦しい思いを耐えた。
そしてその三日後に、病気療養の名目で、屋敷を追い出されたのだった。
♦♦♦
「なんだか臭い。ねえ、シャーリー。あたしここにいると、目がかゆくなる」
私とハティが連れてこられたのは、トレザという小さな寒村にある、古い館だった。
生まれ育った城下町のお屋敷とは、馬車で丸一日くらい離れた場所にある。
数軒の農民の家と畑があり、裏手には森が広がっていた。
「とても埃っぽいものね。大丈夫よ。私がお掃除するから、それまでハティは、お外にいてね」
こじんまりした屋敷の中は、何年もほったらかしにされていたせいで、荒れていた。
床やテーブルは埃と砂でざらざらしているし、蜘蛛の巣だらけで、かび臭い。
一階には寝室と居間、それに台所があり、二階はすべて書斎になっていて、棚にも床にも本が積み上げられている。
どっしりして重厚ではあるけれど、飾り気のない、あちこち傷んで古く汚れた家を見回して、私は考えた。
(知っている人も誰もいない、こんな寂しい場所に追いやられて、ひとりで暮らすなんて。もしもハティがいなかったら、一日中めそめそして、うずくまっていたかもしれないわ。でも、ハティのおかげで、なんとか生活していかなきゃって思える)
そんな屋敷ではあったが、ひとつだけ気に入ったところがあった。それは。
「ねえねえ、これ、なあに」
居間でハティが、ぴょん、と飛び乗ったもの。
それは古い、二段式の鍵盤がついたテーブルのような大きな楽器だった。
「ハープシコードよ。鍵盤を押すと、下から弦をはじく仕組みで、音が出るの」
もっとも、ハティが乗っても反応がないくらい、半分ほどは鍵盤を押しても音が出ない。
長く誰も使っていなかったせいか、壊れているらしかった。
「でも、ちょっとは音が出るわ。ほら」
ピン、と、ジン、を足して割ったような音が出るその楽器を、私はお母様に教わって、小さいころからよく演奏していた。
たまに赤い小鳥がそれを聞きに、窓辺にきたのを覚えている。
それをお母様と一緒に見て、微笑んだことも。
(もしかしたら、裏庭に埋めた小鳥さんは、あの鳥だったのかもしれないわ)
今はいい思い出すらも、すべて悲しく感じられた。
「……楽譜もたくさんあるから、退屈はしないですみそう。でもその前に、寝床を用意しなくちゃね」
毛布を外の枝に吊るし、ほこりをはたき、井戸のつるべを動かそうとする。
侯爵家の令嬢として、召し使いに囲まれて育った私には、かなり大変な作業だ。
それに腕も細く、身体も小さく、力も弱い。
そうするうちに、トレザの屋敷での一日は、早くも暮れようとしていた。
「あら。誰か来るわ」
慣れない仕事で、ふうふう言っていると、馬に荷物と一緒に乗ってやって来る、少女の姿が見えた。
「レイランドさんのとこの、お嬢様。頼まれて、お食事を持ってきました」
長い髪を三つ編みにした、日焼けした少女は、どうやら近くの農家の娘らしい。
「……にゃあ」
うなずくと、少し気味悪そうな顔をしながらも、少女は大きな革袋を手渡してきた。
「ほとんど、根菜ばっかりなんだけど。これでいいって、侯爵家からのお使いに言われて。これから週に一回、こうして運んできます」
「にゃ」
「……お湯を沸かして、茹でれば食べられますから」
「にゃ」
受け取ってぺこりと頭を下げると、少女はサッと背を向けて馬に乗り、帰って行った。
おそらく、ニャーしか言わない私が、不気味だったのだろう。
トレザに限らず、農民たちは、常に自然の驚異に接している。
そのせいか、かなり迷信深く、魔物や不思議な現象に敏感だ、とお父様から聞いたことがあった。
(多分、猫の声しか出さない私も、妖魔みたいに思われてるかもしれないわね。無理もないわ)
そんなことを考えつつ、私は重たい袋の中をのぞいた。
「よかった。食料をくれたわ。ハティ。あなた、これを食べられる?」
どれどれ、とハティは私の肩から頭に乗り、同じように袋の中を見る。
小さなしっぽが、ぱたぱた揺れた。
「いらなーい。美味しくなさそう。それより、外に小川があったの。あそこで、お魚をとったほうがずっといい。自分で狩りくらい、できるもん」
「そう? それならいいけれど」
そんなふうにして、トレザでの私とハティの暮らしは始まったのだった。