猫との会話
(おうちの中は、どんどん模様替えされているみたいだわ。見えないけれど、家具を移動する音が、あちこちから聞こえてくるもの)
お父様の葬儀から、数日後。
今私がいる屋敷の端の、日の当たらない召し使い用の小部屋には、食事だけが運び込まれている。
部屋の出入りは自由だが、広間や台所、書斎、元のお父様たちの部屋へ続く通路には新たに扉が取り付けられ、向こう側から鍵がかけられていた。
そのため、私が行ける場所は廊下と、裏庭くらいだ。
すでにこの屋敷は、叔父一家に乗っ取られたも同然だった。
「私がたった二か月、生まれてきたのが遅かったから、義理の妹になるのは気分が悪いけど。私は優しいから、忠告するわ。動き回らないのが、あんたのためよ、シャーリー」
時々オリバーが鍵を開いてやってきて、嬉しそうに嫌味を言う。
着ているドレスは、私が持っている中でも一番高価な、淡雪のようなレースと白いリボンのたくさんついた、ピンクの可愛らしいものだった。
(泥棒! それはお母様が、私のために作らせたドレスだったのに。胸元の真珠は、あとからお母様がつけてくれたのに)
心の中で、私は叫ぶ。
オリバーはわかっていて、見せつけるようにドレスの裾をひらひらさせた。
「だって、侯爵家の娘が猫に取り憑かれたなんて。そんなことが広く知れ渡ったら、死んだあんたの親にとっても、恥じゃないの。私のお父様が、正式に侯爵家を継ぐことになったんだから、あんたはもう、この家には邪魔なのよ」
「うー。にゃうう……!」
(違うわ。猫の声だけしか出したらいけない、って言ったのは、お父様だもの。恥だなんて、思うわけない)
どんなに言い返したくても、怒りの言葉を投げつけたくても、私は人の言葉を出せない。
けれどお父様との最後の約束を、破るつもりはなかった。
けらけらと、オリバーは気持ちよさそうに笑う。
「飢え死にしないだけでも、ありがたく思いなさいね。あんたのドレスも、楽器も、全部私が貰ってあげるわ」
ふん、と鼻を鳴らすとオリバーは、くるくると巻いた金髪をひるがえして、ドアを閉じて戻っていく。
私は悔しくて、唇を噛んだ。
(お父様。どうして猫の言葉しか、許して下さらなかったの。なにも言い返せないなんて、私、悔しい。私と、お母様とお父様のおうちが奪われて、思い出の家具も肖像画も、みんな捨てられてしまう)
持っていたドレスは、私が移動させられた部屋に、一枚も運び込まれなかった。
着ているのはずっと喪服だし、棚には下着のシュミーズが、何枚か用意されていただけだ。
壁はむき出しのレンガ。固い、小さな藁布団と薄い毛布が敷かれているベッド。
それに、洗顔用の洗面器などが乗っているテーブルだけが、この狭い部屋のすべてだった。
そんな私の唯一の慰めは、子猫のハティがいることだ。
「んなああ」
しょんぼりしている私を慰めるように、ハティが額をすりつけてくる。
「にゃーお」
「んんー。にゃう」
鳴き真似をすると、それに答えてくれるハティは、桃色の小さな鼻を寄せてきて、私の鼻にちょんと触れた。
「いい子ね、ハティ。あなたまで盗られなくて、よかった。ずっとお友達でいてね」
「んなーう」
「ふふ。そんなに舐めたら、くすぐったいわ」
「にゃうう」
寂しくて消えてしまいたいようなとき、ハティは常に傍にいて、私を慰めてくれた。
(もしもこの小ちゃな可愛いハティがいなかったら、私はどうなっていただろう。なにもかもが辛くて悲しくて、本当に頭がどうにかなっていたかもしれない。ありがとう、ハティ。あなたがいるから、私はなんとか眠ったり、食べたりできているのよ)
ハティの食事はすべて、私のものから分け与えていた。
移動できる唯一の外である裏庭は、日当たりはよくなかったけれど井戸があるし、ハティは楽しそうに駆け回る。
それを見ていると、ずいぶん心が慰められた。
♦♦♦
お父様の葬儀から、一か月ばかりが経ったある日。
「なあうー、なああ、おああ」
「ハティ? どうしたの」
裏庭の隅で、ハティがなにかを訴えるように鳴き、近寄った私が見つけたもの。
それは、赤い小鳥の死骸だった。
(珍しい、見たことのないような鳥だわ。綺麗な羽をしてるのに。可哀想に)
私はそう思い、お墓を作るべく、せっせと穴を掘った。
ハティは最初、つんつんと遺骸を前脚でつつき、すんすんと匂いを嗅いでいた。
が、やがておとなしくなり、座って私のすることを見つめている。
穴に小鳥を埋め、しゃがんで首を垂れ、どうかこの世界の創造主である唯一神・ヴラーギのみもとへ行くよう祈った、そのとき。
小鳥を埋めた場所からキラキラと、光の粒のようなものが舞い上がった。
それはハティにも見えていたらしい。大きな青い目が、その流れを追う。
私もびっくりして、見つめていたのだが。
「ナッ!」
一声鳴くと、ハティは私の肩に飛び乗って、前脚で耳や頭を、ふにふにと触れてくる。
流れる光が、私の耳か頭付近にすうっ、と入ったのが、温かくなるような感覚で、自分でもわかった。次の瞬間。
「シャーリー、大丈夫? 痛くない?」
幼い女の子の声が聞こえて、えっ? と私は周囲を見回す。
けれど裏庭には、私とハティしかいない。
「びっくりしちゃった。キラキラしたのが、シャーリーの頭に入ったから」
「ハティ?」
私は思わず、小さなハティを抱きかかえ、正面から見つめる。
「あなたが話してるの?」
「うん、そう。……あれ? わあ、あたし、シャーリーの言ってること、わかる!」
「私もわかるわ! 小鳥さんが魔法をかけてくれたのかしら」
「すごい、すごい、嬉しい!」
にわかには信じがたいことだったけれど、確かに私は、ハティと話しができるようになっていた。
「あたしたち、前よりもっと仲良しになれるね!」
「そうね、ハティ! これからも、ずっと私と一緒にいてね」
ハティは喜んで、野ウサギのように私の周囲をぴょんぴょん跳ねる。
(不思議なことがあるものね。まるで魔法みたい。でも、とっても素敵な魔法だわ! 小鳥さん、ありがとう)
私は心から感謝して、裏庭に咲いているわずかな花をつみ、お墓に備えた。