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家族

フレッドは、心配そうに言う。


「俺は島に戻れば、今とは違う姿になる。……顔は多分、あまり変わらないが。角が生えるし、目の色も変わる。きみはそんな俺を、醜いと思うかもしない」

「角くらい、なんだっていうの。私はあなたが、竜の姿のままだとしても、まったく問題ないわ。人間より動物のほうが、好きなくらいだもの」

「それだけじゃない」


 曇った表情のまま、アルフレッドは続ける。


「きみも妖霊島に来たら、人のままではいられなくなるだろう。魔人化に耐えられず、命を落とす者もいる。それは俺の魔力で、全力で防ぐにしてもだ。今と姿が変わっても、それでもいいのか」


 私は一瞬、それがなにを意味するのか考えた。

 それでも、もう一度、力強くうなずく。


「いいわ。私は牙が生えても、鱗が生えても、尻尾が生えても構わない。それでフレッドが、私を嫌いにならなければだけど」

「なるわけがない!」


 フレッドは断言する。


「たとえきみの口が耳まで裂け、鼻が天を突くほどに長く伸び、足が八本、目玉が百個になったとしても!」

「そ、そこまですごいことになっちゃうの?」


 思わずひるんだ私だったが、余計なことを言った、という顔になったフレッドに、笑ってみせた。


「フレッドが、本当にそれでいいなら。私は自分の姿なんて、なにも気にしないわ」

「……シャーリー。それならば、俺と来てくれ」


 アルフレッドは、緑色の瞳をきらめかせて私を見つめる。


「血の色の風が吹き、妖魔の巣くう、我が生まれ故郷の王国へ」

「あなたと一緒なら、どこだって怖くない。私、ついて行くわ。フレッド」


 私は嬉しさに胸を熱くしながら、微笑んだのだった。


♦♦♦


「……シャーリー。シャーリー、大丈夫か!」


 竜になったアルフレッドの背に乗り、妖霊島の城に連れてこられた私は、しばらく意識を失ってしまったらしい。


 ううん、と軽く頭を振って薄目を開く。

 その視界に入ったものは。


 頭の左右に、ぐるりと一回転したねじれた角を持つ、金色の瞳の魔王だった。

けれど私にとっては、これまでと変わらないフレッドに他ならない。


「フレッド。着いたの? ここは、妖霊島?」

「ああ、そうだ。ようこそ、我が城へ」


 アルフレッドが手を取って、立たせてくれる。

そこはとても広い、壁も床も黒曜石でできたような広間だった。


「……うん。ここでの姿も愛らしい。妖精みたいだ」


 なぜか私を上から下まで、じっと見つめてアルフレッドが言う。

 あっ、と私は思い至った。


「私、もしかして、見た目が変わっているのよね」


 尋ねるとアルフレッドは、右手を大きくぐるりと回した。

 すると空間に、縦に長い楕円の鏡が現れる。


 栗色の髪は、フェネクスの羽毛のように真っ赤になり、瞳は淡いピンク色。耳の先がほんの少し、尖った気もする。

 そして頭の両端には、白く短い角が生えていた。


「まあ。こんなことになっちゃったの。でも、よかった。そこまで人間と、かけ離れていなくて」

「そうだな。きみは絞首台にいたときに、俺に赤い光を放っただろう」


 ええと、と私は少し考えて思い出す。


「そういえば、そうだったわね。夢中であなたを止めようとしたときに」

「あれはきみの中に眠っていた、フェネクスの力が発動されたのだと思う。だからもともときみは、半分、こちら側の身体になっていたのかもしれないな」


「なるほど、それで魔王様の暴走を止められたんですね。なにしろ、和平と友好の精霊ですし」


 背後で、やはり人界にいたときとは姿の変わったカークも同意する。

私は鏡を見ながら、自分の頭に触れた。


(なんだかちょっと、私じゃないみたい……)


 けれど、決して嫌な気持ちはしなかった。

 背後に立ったフレッドの私を見る目が、とても優しかったからだ。


「気に入ったかい、シャーリー」

「ええ。悪くないわ。あなたも素敵よ、フレッド」


 私の言葉に、フレッドはホッとした顔をする。


「そ、そうか。どう思われるか、少し心配だったんだが」

「角も立派で、似合ってるわ。こうしてみるといかにも、魔王、って感じよ」

「それは、誉められていると思って、いいんだろうか」

「当たり前じゃないの」


 私たちは、互いに頬を染めながら話していたのだが、なぜかしくしくと泣く声が聞こえてきた。


「どうして泣くんだよ、可愛いよ」

「いやよ、こんなの。もさもさして、毛づくろいだって、大変になっちゃう」


 それはカークの足元に隠れていた、ハティだった。

 カークはよしよしというように、ハティを抱っこする。


「ハティ! 大丈夫、どこか痛いの?」


 私は駆け寄って、しげしげとカークの腕の中の、猫だったはずのハティを見る。


 ハティの顔と身体は、以前と同じままだった。


 しかし、耳はキツネのように大きくなり、尻尾は三倍ほど太く、しかも毛がくるくるとカールしていたのだ。


「かわいいい!」


 私はカークの腕からハティを受け取り、その、わっふわっふの感触を楽しんだ。


「とっても可愛いわよ、ハティ」

「うーん。シャーリーがそう言うなら、まあ、いいけどお」


 ぷすー、と鼻を鳴らして、ハティは溜め息をつき、前脚で顔をくるくる洗った。


「素敵よ、ハティ。ちゃんと私が、尻尾にブラシをかけてあげる」

「ブラシなんて、この島にあるの?」


 もっともな質問だった。

 アルフレッドは苦笑して、もこもこの尾になったハティに言う。


「そうだな。売っている店はないだろうが、俺がすぐに作り出すから問題ない」

「お店がないの? というか、どんな島なのか、ここからだとよくわからないわ」


 私は言って、窓を眺めた。

 あまりに高い場所にあるせいなのか、暗い空しか見えない。


「そうだな。酒場などはあるが、なんというか、あまりガラのいい店はない」

「場合によっては、客同士で食い合いが始まりますからね」

「く、食い合い?」


 私はびっくりして、目をぱちくりした。

そんなところへ行ったら、ハティが食べられてしまうかもしれない。


「でも……。妖魔さんだって、静かに食事したいこともあるんじゃないの?」

「それはそうだろうな。本人たちは覚悟の上だろうが。まあ、食料を売る店もあるから、そこで調達すれば食うには困らないだろう」

「美味いものは少なくても、木の実なんかも生りますからね」


 ふたりの話を聞いていて、私はふと思いついた。


「ねえ。アルフレッド。それじゃあ私が、この妖霊島で、パン屋さんをやるっていうのはどうかしら?」

「パン屋を?」

「魔界でもある、妖霊島で?」


 目を丸くするふたりに、私は続ける。


「どうやらこの島にも、植物が育つ土はあるみたいだし。私が作っていたパンは、プク豆っていう痩せた土地でもできる、強い植物で作るの」


 私の説明を聞いていたアルフレッドの目が、輝いた。


「それではこの島で、あのシャーリーのパンが食べられる、ということか」

「ええ。妖魔さんたちにも、食べさせてあげたいわ」

「もちろん、シャーリーが本当にやりたいのであれば、俺は協力を惜しまないが」

「本当? 嬉しいわ、フレッド!」


 私たちの会話に、ぴくぴくと耳を動かしていたハティが、冷静に言う。


「私はのんびりお昼寝したり、シャーリーと遊べればそれでいいけれど。多分、働き者のシャーリーは、畑も家事もないなら、退屈になると思ってたのよね。だからパンを焼けるのは、いいことだと思う」


 なるほど、と俄然アルフレッドは、その気になったようだった。


「では俺が、シャーリーのパン屋さんに相応しい土地を用意しよう。南側の、比較的妖気の薄い辺りがいいな。そこなら薄日も差し込む。そこにほっこりと心和む、妖魔どもの憩いの場を造るのも一興だ」


 それを想像し、私は思わず手を打ち鳴らした。


「素敵! そうしたら私、がんばってパンを焼くわ。美味しいお茶も用意しなくちゃ」

「よし。そうなったら俺も手伝うぞ。エプロンをつけて、給仕をしよう!」

「ええー……本気ですか、魔王さま」


 アルフレッドは、キッとカークを見て告げる。


「カーク、貴様も手伝え。南側の土地から妖魔どもの骨を排除し、美しい可憐な花々と宝玉で飾るのだ。もちろん、そこは暴力と殺生禁止の、特別区域とする。そしてシャーリーのほっこりパン屋さんを、魔王・アルフレッドの名において開店するぞ!」


 ぐっ、と拳を握って力説するアルフレッドに、カークが溜め息をついた。


「はあ。いいですけどね。……すごいな、恋の力ってのは。シャーリーさんの存在が、妖霊島を変えてしまいそうだ」

「当たり前よ」


 くああ、とハティがあくびをして、ぺろりと口の周りを舐めた。


「あたしのシャーリーは、すごいのよ」


♦♦♦


 アルフレッドは宣言どおりに、着々とパン屋さん造りに励んでくれた。


人界に渡り、トレザの屋敷周辺から、野イチゴやプク豆を苗ごと持ってきて、収穫できるように畑まで作ってくれた。

なにしろ魔力を使うので、植物の成長は早い。


「か……可愛いわ、フレッド。このお店……!」


 もちろん、お店も私の希望を聞いてから、なにもない地面に一瞬にして出現させてしまった。


 あたたかみのある雰囲気で、屋根は赤く、てっぺんには同じく赤い、大きな風見鳥が飾ってある。


「明るくて、広さも大きさも、ちょうどいいわ! これならきっと、妖魔さんたちもくつろいで、パンとお茶を味わってくれるんじゃないかしら」

「そ、そうか。気に入ってくれたなら、よかった」


 私の心からの大絶賛に、アルフレッドは、ほんの少し頬を染める。


「それに、ここにハープシコードを置いてくれたのも嬉しい! お客さんたちに、聞いてもらうことができるもの」


 大きな、美しい絵の描かれた楽器の表面を撫でながら、私の唇には意識せずに笑みが浮かぶ。


(まさか、妖霊島で、パン屋さんをすることになるなんて。人生って、なにがどうなるか、本当にわからないものね)


 いいことばかりがあったわけではない。

 むしろ凄まじく悲しいことも、苦しいこともあったけれど。

 乗り越えてきてよかったと、私は心から実感する。


「店を気に入ってくれて、なによりだ。シャーリーが笑顔を見せてくれると、俺も嬉しい」


 アルフレッドは、要塞のような城の中に、私の部屋まで用意してくれている。

 それだけでなく、ハティも含めて一緒にくつろげるようにと、以前のトレザの屋敷の居間に似た部屋まで、造ってくれていた。


「気に入るに、決まっているじゃないの。こんなになんでも、望むものが手に入ってしまって、ちょっと怖いくらい。なにからなにまでありがとう、フレッド」

「いや。魔王たるものの恩返しとしては、これくらい当然だ」


 アルフレッドの後ろで待機していたカークが、肩をすくめた。


「ですよね。それどころか魔王様は、要塞の中に庭だって、花壇だって作ると思いますよ。シャーリーさんのためならね」

「あら。あたしのためにはしてくれないの?」


 パタパタと尻尾を揺らすハティに、アルフレッドは笑った。


「小さなお嬢さんにも、ちゃんとベッドを用意しただろう。もちろん、ミルクの皿も」

「爪とぎも欲しいわ」

「それくらいなら、お安い御用だ」


 怖いもの知らずのハティの言葉に、ハラハラすることもあるけれど、アルフレッドは常に優しい。

 最近は、アルフレッドがハティを抱っこすることさえある。


「ところで魔王様は、本気で店を手伝うつもりでいるんですか?」

「むろんだ。貴様もだぞ、カーク。エプロンをつけ、給仕係をしろ。シャーリーが厨房にこもっているばかりだと、ハープシコードを演奏する時間がなくなるではないか」

「お、俺もやるんですか、やっぱり」


 はー、とカークは額を押さえて溜め息をつく。


「いいじゃないの。カークがバターとパンのいい匂いになったら、あたし、ずっとくっついていたくなるかもしれない」

「えっ、本当に? ハティさんがそう言うなら、頑張ってみるよ」


 ハティの言葉に、カークはすぐにやる気を出したようだった。

 単純なやつだ、とアルフレッドはそれを見て、苦笑する。


(なんて楽しいのかしら。フレッドたちといると、ずっと心が浮き立っているわ)


 妖霊島へ来てからは、こんなふうに小さな出来事が、常に私の心を和ませ、幸せにしてくれる。


 そんな私を、アルフレッドも嬉しそうに優しい目で見つめていた。


「シャーリー。よかったら、ハープシコードを弾いてみてくれないか?」

「え? 今?」

「ああ。きみの、いや俺たちの、新しい居場所ができた門出を祝って」


 私たちの、新しい居場所。

 その言葉を、私は心の中で繰り返した。


「あたしも聴きたい! ねえ、シャーリー、弾いてみて!」


 喜ぶハティに、私はうなずいた。

 それからアルフレッドを見て、にっこり笑う。


「それじゃあ、弾いてみるわね」


 私は椅子に座り、鍵盤に指を乗せ、改めて店内を眺めた。


 大きな窓の外には、赤い巨大な月が浮かんでいる。

 青白い炎がゆらゆらと漂い、小鳥の声はせず、代わりに闇の獣たちの咆哮が聞こえた。


 店の椅子に座ってこちらを見つめている、魔王アルフレッド。

そして、ハティとカークを、私は見る。


(これが私の新しい、家族の肖像になるんだわ……!)


 胸があたたかいもので満ちていくのを感じながら、私は演奏を始める。


 その音のしらべは、窓から魔界の夜の闇へと漂い、どこまでも遠くまで響いていくように思えたのだった。

 

最終話を読んで下さって、ありがとうございました!

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最後までおつきあい下さって、ありがとうございました!!

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