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地下牢の訪問者

ルイスが衛兵たちを引き連れ、再びトレザの屋敷にやってきた夜。


 そこにアルフレッドはいなかった。

 どこにいる、呼び出せ、逃がしたのか、と散々に詰問されたけれど、私は答えずにいた。


 するとルイスが、まだ私がアルフレッドをかくまっていると思ってか、怖い顔で言う。


『きみの猫を、こちらが預かっているのは覚えているね? このままだと、生きて返せるかわからないぞ』


 そうね、と私はうなずいた。

 その悲劇を回避するために、どうすればいいのかずっと考えて、すでに結論は出ていた。


 私は居並ぶ衛兵たちの前に歩み出て、声を張った。


『その男を招き入れたのは、わたくしです。けれど、あの男はもう、遠くに逃げてしまいました。処罰するなら、わたくしを罰すればよろしいですわ』

『シャーリー! なにを言うんだ!』


 ルイスが驚いた顔をして、私に詰め寄った。


『き、きみはなにもしていないじゃないか。そうだろう? ただ、あの奇妙な男に利用されただけで』

『いいえ。違います』


 私は冷たい目を、ルイスに向ける。


『むしろあの方は、わたくしが利用したんですの。行きずりの、旅の男というだけです。ただ単に見た目が良かったので、パーティで踊りたかっただけですわ』

『そんな釈明が、王侯貴族の前で通用すると思っているのか? 正体不明の男を公爵邸に引き入れたんだ。縛り首にされてしまうぞ!』


 縛り首という物騒な言葉に、さすがに私は、ドキリとした。


(そうよね。不審者を王族に近づけたのだから、そういうこともあるんだわ。でも)


 いずれにしても、アルフレッドは呼び戻せない。

 それにもしこの場にアルフレッドがいたとしても、彼を引き渡すことはできなかっただろう。


(だってあの人は、魔王だもの。おとなしく捕まるはずがないわ)


 私はぐいと顎を上げ、改めてルイスを見つめた。


『それも仕方のないことですわ。それより、ハティは無事に逃がしてあげて下さい。約束ですわよね』


 覚悟を決めた私の態度に、どういうわけか、ルイスのほうが激しくうろたえ始めた。


『猫なんて、すぐに逃がすよ。そ、それより、シャーリー。考え直してくれ。きみがあの男を引き渡すか、居場所を教えてくれたら、それでいいんだ』

『そう。では言いますわ。妖霊島からいらっしゃったのよ』


 正直に言ったのだが、思っていたとおりルイスも衛兵たちも、たちの悪い冗談だと思ったようだ。

 私も当然、この反応を予想していた。


『そんなこと、ありえるわけがないじゃないか! そんな冗談を言っている状況じゃないんだぞ!』

『もういい、どいて下さい』


 ぐい、とルイスを横に押しやったのは、衛兵のひとりだった。

 制服の色が違うから、おそらくは隊長格らしい。

 そして私の腕を、ぐいとつかむ。


『お前が公爵閣下の御屋敷に、不審者を招き入れた張本人だと言うのだな?』

『はい、そのとおりです』

『そうか。それでは、投獄せねばならない』


 衛兵がサッと手を上げると、その配下のものたちが走って来て、私の手を後ろで縛り上げた。


 ぎょっとした顔になり、ルイスがそれを制止しようとする。


『ちょ、ちょっと待ってくれ! やめてくれ、彼女を投獄するなんて、聞いていないぞ!』

『しかしシャーリー本人が、自分に咎があると認めておりますし』


 ルイスはぶんぶんと首を振って否定する。


『違う、彼女はあの男をかばっているんだ! ずっとこんな田舎にいて、王族を傷つけようなんて考えるものか!』

『だからこそ、暮らしに不満で、反抗心を抱いたのかもしれません』


『そんなバカな……なにかの間違いだ、勘違いだ!』

『邪魔をするなら、あなたも拘束しますよ、ハリソン子爵!』


 私はおとなしく両手を拘束され、馬車に向かう。

 その前に一度だけ振り向いて、ルイスに言った。


『ハティだけは、絶対に逃がしてやってくださいね。その約束さえ守って下されば、あなたにご都合の悪いことは、絶対にしゃべりませんわ』


 逆に言えば、それを守らなければ、あることないこと言ってやる、という含みを込めて私は言う。


 そして、青ざめているルイスから視線を移し、馬車へと乗り込んだのだった。


♦♦♦


「戻ってきてくれたのね、フレッド!」

「ああ。きみが俺を呼ぶ声が聞こえたんだ」


「ごめんなさい。あんなひどいことを言って。どうか許して」

「わかっている。本心ではなかったんだろう?」


「もちろんよ! 全然逆だわ! ああ、私、ずっと、胸が苦しかった。よかったわ、こうして誤解がとけて」

「うん。俺もだ。さあ、もう嫌なことは忘れて、お茶でも飲もう。きみの焼く、美味しいパンと一緒に」


「あたしも食べたい!」

「ハティさんが食べるなら、俺も」


 真っ白なクロスのかかった、丸いテーブル。

 お日様の光があたたかく照らす、お茶のセット。

 焼きたてのふかふかパンに、金色の蜂蜜。

 その下にちょこんと座る、可愛い猫と黒ウサギ。


 そして正面の椅子に優雅に座る、大好きな人。


(なんて心なごむ、素敵な時間なのかしら。お父様、お母様、私、生きていてよかった……!)


 ピチョン! と冷たい水滴が額に落ちて、私はハッと目を開けた。

 ひんやりとした湿気が全身を包み、ぶるっと寒気が背筋を走る。


 ここは明るい日の差す、屋敷の居間ではない。

 洞窟のように薄暗く、湿って寒い、牢獄だった。


「……夢……」


 目覚めた私の頬に、我知らず涙が流れる。

 激しい喪失感で、胸にぽっかり穴が開いたように感じた。

 楽しい思い出ほど、今の私には辛い。


 この牢獄に入れられてから、三日ばかりが経とうとしている。


 鉄格子の隙間から、水と粗末な食料は差し入れられるけれど、まったく食欲がわかなかった。


 私はぐいと涙をぬぐい、上体を起こす。

 牢屋の中には、隅に排泄用の穴があり、あとは薄い藁が敷いてあるだけで、ベッドもなにもない。


(せめて、小動物でも入り込んでくれば話ができるのに。窓がないから小鳥の声すら聞こえないわ)


 おそらくは、地下に造られたか、洞窟を利用した牢獄なのだろう。


 うっ、と思わず嗚咽が込み上げてきたそのとき、かすかに足音が聞こえた。


 私は誰にも泣き顔など見せるものか、と頬をぬぐい、唇を噛んだ。すると。


「シャーリー。……シャーリー、ぼくだよ」


 壁のくぼみのロウソク立てからの、頼りない灯りを背にやってきたのは、ルイスだった。


 両手にトレイを持ち、鉄格子の前に佇むルイスは、なぜかやつれた顔をして、目の下にはクマができていた。


「きみが食事をとらないと言うので、パイを持ってきたんだ。それに、ほら、温かいお茶のポットも」


 廊下の右下にある、物を出し入れできる場所から、ルイスはトレイをこちらに押しこむようにして、それらを渡した。


 けれど私は奥に座ったまま、パイにもポットにも、目を向けない。


「……なにをしにいらっしゃったの。わたくしをここに閉じ込めたご本人が、見物しに来たのかしら」

「ぼっ、ぼくは、そんなつもりじゃなかったんだ!」


 ルイスは涙交じりの声で叫んだ。


「怪しい男を突き出すことは、きみのためにもなると思っていた。だってシャーリー、きみには、ぼくというものがいるじゃないか!」

「あなたがいったい、わたくしのなにを知っていると言うの!」


 私は立ち上がり、ルイスをキッと見た。


「あなたは爵位のため、お金のために、親と相談してわたくしと縁組をしただけでしょう? そのうえ、オリバーと恋を語らって」

「オッ、オリバーのことは、いっときの気の迷いだよ! 本当だ、向こうから誘われて」


「誘われたら、誰とでも恋をする男性なんて、顔も見たくありませんわ」

「きみは知らないんだ、貴族社会なんてそういうものだよ」


 そうなのかもしれないが、私には関係ない。


「だからわたくしに、あなたに興味を持てとおっしゃるの?」

「そ、そうだよ。きみは貴族の常識を知らなかった。そうだろう? 知っていれば、ぼくとは婚約者のままでいたはずだ!」


 違う、と私ははっきり断言できる。


「わたくしは、叔父一家が大嫌いなのです。彼らに利用されて、彼らの都合がいいように選んだ婚約者。そして、それを知りながら自分にも都合がいいとわたくしを選んだ。それがルイス、あなたなのだわ」


 ルイスはなにか言おうと口を開いたが、私は続ける。


「それでも、あなたという人をもっと知れば、好きになれるかもしれない、と望みを持ったこともありました。けれど、無駄でしたわ」

「まだだ。シャーリー、きみだって、僕のことをすべて知ったわけじゃない」


 私は溜め息をつく。


「そうですわね。思っていたより、だいぶひどかったようですわ」

「シャーリー! もうそんな、オリバーへのヤキモチで僕を悪く言っている余裕はないんだ!」


 見当はずれだわ、と呆れる私に、ルイスは衝撃的な事実を告げた。


「きみの、絞首刑の日取りが、明日に決まったんだよ!」


 私の身体に、緊張が走る。


「……明日?」

「このところ、国王はピリピリしているんだ。他国とのいざこざが多くてね。だから、公爵邸の一件も、大騒ぎになったんだよ。今回の処罰も、見せしめの意味が大きいんだ」


(そう。でもそれならそれで、早くお父様たちのところに行けるわ)


 この絶望的で、虚無的な日々が延々と続くより、そのほうがはるかにましだと、私には思えた。


「そうですの。教えて下さって、ありがとうございます」


 私はルイスに、丁寧にレディの作法で頭を下げる。


「ただし、ハティだけは、元に戻してくださいませね。でないとわたくし、化けて出ますわよ」


 冷たい笑みを作って見せると、ルイスはふいに、牢獄の前の湿気で濡れた、石の床に突っ伏した。


「シャーリー、頼む! あの男のことを、話してくれ! も、もちろん、猫はもう屋敷に戻しているよ。使用人に餌を与えさせに行っているし、元気なはずだ」


 それを聞き、私は心底ホッとする。


「そうでしたの。少しだけ見直しましたわ、ルイス・ハリソン子爵」


 私の言葉に、ルイスはワッと泣き出して、どん、どん、と両拳で冷たい床を叩いた。


「猫が無事でも駄目だ! 確かに、オリバーのことは、ぼくが悪かったよ、シャーリー。これからは、ずっときみだけを見る」


 その必死な様子に、私は苛立つと同時に、困惑してくる。


「いったい、どういうことですの? あれだけわたくしを軽んじていたというのに」


 眉を寄せると、ルイスは涙ながらに弁明をする。


「だって、仕方ないじゃないか。きみはニャーとしか言わなかったし」

「それでも、爵位のために利用しようとしたのでしょう?」


「それは、認めるよ。確かにそうだ。だけど、きみが社交界にデビューしたあの日。ハープシコードの演奏を聞き、高尚な詩や歌劇の話を、位の高い綺羅星のような人々と対等に話しているのを見て……ぼくは、なんて素敵な人だろう、と思ったんだ。ぼくが探し求めていたのは、真に花嫁にしたいのは、この人だったのだと。本当に、きみに恋をしたんだ」


 それなのに、とルイスは吐き捨てるように言う。


「きみには、奇妙な男がまとわりついてしまった。どこの馬の骨とも知れない、得体の知れない、嘘をついて公爵邸に入り込んだ男が、だ。排除しようとして、当然だろう?」


 私は全身の空気を吐き出すようにして、溜め息をつく。


「でもあなたは、なにより大切なことを忘れていらっしゃるわ」

「なにより大切な? なんだ、それは」


 わからないことに、私は少し驚いてしまった。


「わたくしの気持ち、ですわ」

「きみの気持ち……?」


「ええ。わたくしがあなたを、どう思っているか。なぜそこに、気が付いて下さらないの。わたくしは、たとえあの方とお会いしていなくても、あなたのことは嫌いです」

「シャーリー! そ、そんなひどいことを、よくも言えるな! ぼくは毎日心配して、夜も眠れないというのに」


「でもわたくしが投獄されたのは、あなたのせいではありませんの? 無関係なハティを捕まえ、わたくしを脅して」

「だ、だから、それはあの男が」


 しどろもどろに、怒ったり泣いたりしながら喚くルイスを、私は静かに見つめた。


「お帰り下さい、ルイス・ハリソン。貴方とお話しすることは、もうなにもありません」


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