嘘つき
「どうしたんだ、シャーリー。よく眠れなかったのか? 朝から暗い顔をして」
翌朝、いつものようにやってきたアルフレッドは、大きな白い花束を抱えていた。
「花瓶のものが、少し傷んできていたからな。きみの好きな、八重の白い花だ」
うっとりするような香りの、素晴らしい大輪の花を受け取った私は、入口にたたずむアルフレッドを、花びら越しに見た。
花束が美しすぎて、胸がせつなくなってる。
「フレッド。待って、中には入らないで。実は今日、お話があるの」
「うん? きみと話すのは、いつでも大歓迎だが。改まって、どうした」
アルフレッドの私を見る目は、いつもと同じで、とても優しい。
緑色の、つゆに濡れた朝の新緑のように綺麗な瞳だ。
私は一度口を開いたが、ためらって閉じた。
それを何度かぱくぱくと繰り返したので、なんだか空気の足りない魚のようだ、と自分で思ってしまった。
(言いたくない。でも、言わなきゃ)
「フレッド。つまり。あ……あなたとは、もう会いたくないの。ここには、来ないで」
「シャーリー? 今、なんと言った?」
フレッドは呆然とした顔をして、けれどまだ信じられないというように、その顔にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「会いたくない、と言ったの」
「……どうして。理由を教えてくれないか。俺が何か、気に障ったことをしてしまっただろうか」
焦りの色が浮かび始めたフレッドの表情に、私の胸は罪悪感で苦しくなってくる。
(違うわ。あなたといると、いつも楽しかった)
けれど唇からは、思っていることと反対のことを、声にしなくてはならなかった。
「そうよ。言わなかったけれど、あなたといると、いつも不愉快だったの」
「そ、そうか。気が付かなくて、すまなかった。どこが悪かった。直すよ、言ってくれ」
(どこも悪いこところなんてないわ。あるわけないじゃない)
「全部よ。あなたの存在、すべてが不快。だから、直しようがないわ」
「シャーリー。急にどうしてそんなことを言うんだ。今までの笑顔は、嘘だったのか? き、きみは嘘が嫌いだと、言っていたのに」
(そうよ。嘘をつくって、本当に辛いわ。あなたに私が見せていたのは、心からの、本当の笑顔に決まってる。あんな楽しい時間、生まれて始めてだった。いつも心から楽しくて、嬉しくて、ずっと笑顔になっていたの)
「私が嫌いなのは、嘘をつかれること。自分でつく嘘はいいのよ。あなたを利用して、こうして屋敷も綺麗になって、それでもう充分」
うっ、と込み上げてくる涙を飲みこみ、私は声を大きくした。
「もう邪魔になったのよ、あなたなんか!」
「シャーリー……」
アルフレッドは愕然として、信じられない、という悲しそうな面持ちで、こちらを凝視している。
私は必死になって、感情を顔に出さないよう、つとめていた。
魔王が激怒したら、この場で殺されるかもしれない。
そんなふうにも思ったが、私の遺体が見つかれば、追及のしようがない、ということになり、ハティは解放されるだろう。
(それに、フレッド。あなたに殺されるなら、それでもいいわ)
私は覚悟を決めて、さらに棘のある声で言う。
「もう顔も見たくない。いつまでも魔王と親しくするなんて、冗談じゃないわ」
「いくらなんでも、言い過ぎでしょう! 確かに魔王様は、極悪非道なひとでなしですが、だからってそんな言い方をしなくても!」
さすがに見かねたのか、御者をしていたカークが馬車から降りてきて、アルフレッドの背後から叫ぶ。
アルフレッドは、すいと片方の手を上げて、それを止めた。
「やめろ、カーク。シャーリーがそう言うのなら、それは……仕方がない」
「しかし、魔王様!」
私は心の中で、カークに謝罪する。
(ごめんなさいね、カーク。ハティと仲良くしてくれたのに。黒ウサギのあなたは、とっても可愛らしかった。あなたとフレッドと過ごした楽しい時間を、私は絶対、忘れないわ)
「さあ、もう帰って! 二度と私の前に、その姿を見せないでちょうだい。妖霊島の生き物なんて、けがらわしいわ!」
私が叫ぶと、フレッドの緑の目が揺れた。
その視線が私から外れ、ゆっくりとこちらに背中を向けられる。
「わ、わかった。……寂しいが、シャーリーの嫌なことは、したくない」
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)
今にも、泣いてしまいそうになるのをこらえながら、私は叫ぶ。
「さっさと行って! いなくなってしまって!」
「ああ。行くよ。竜の姿でいたときに助けてくれた恩は、たとえきみに嫌われても、決して忘れない」
(私もよ。あなたに出会えて、本当によかった)
「さよなら、シャーリー」
アルフレッドは言って、馬車へと歩み寄る。
怒りに顔を赤くしているカークも、馬車に戻って手綱をとった。
馬車に乗り込む寸前。
振り向いたアルフレッドが、思いつめた目をして言った。
「俺はシャーリーに、恋をしていた」
えっ、と私は硬直する。
「正直、はっきりとはわからない。というか知らなかった感覚なのだが。おそらく、これがそうなのだと思う。……好きだという感情を、人の心を、教えてくれたのはきみだ。ありがとう」
そう言うと、アルフレッドは馬車の扉を閉めた。
胸がいっぱいになってしまい、なにも答えられず、私は唇を噛む。
はいっ、とカークが馬に鞭を入れ、馬車が走り出した。
本当はそれを追いかけて、走り出したかった。
けれど私は、動けない。
(私も……私も好きだったわ。そうよ、私、あなたが好きだったのよ、フレッド!)
馬車が見えなくなると、とめどなく涙がこぼれた。
ようやく自分の気持ちにはっきりと気が付いたのに、そしてアルフレッドの気持ちも知ることができたのに、応えることができない。
胸が、引き裂かれたように痛かった。
そして私は屋敷に入り、夜になってルイスたちが来るまで、ベッドに倒れ込んで、思い切り泣いたのだった。
──どうして、こんなことになってしまったの。お父様、お母様。どうか私に、力を貸してください……!