嵐の始まり
もう食料のほどこしはいらないと断り、きっぱり叔父一家と縁を切るべきだろう。
そんなことを考えつつ、私はアルフレッドが造ってくれた立派な門を開いた。そのとき。
「シャーリー! 聞いてくれ、話があるんだ」
馬車のほろの中から、ぞろぞろと男たちが降りてきた。
その先頭にいて、飛び出してきたのはルイスだ。
びっくりして、咄嗟に動けなかった私の手を、強引に握る。
「い、いきなりなんのご用なの。あっ、やめて、勝手に入らないで!」
ルイスに手をつかまれている間に、衛兵らしき人たちが、開いたドアから無断でドカドカと屋敷の中に入っていく。
私はますます驚愕し、怖くなった。
「ルイス、いったいこれはなんのつもりなの! 帰って下さい!」
叫ぶ私に、ルイスは真剣な目をして言う。
「落ち着いて聞いてくれ、シャーリー。きみのために、ぼくは来たんだ。トレザの屋敷に、怪しい男が出入りしているだろう?」
え? と私は一瞬考えて、すぐに気が付く。
おそらく、アルフレッドのことを言っているに違いない。
「あの男のことは、社交界でも噂になっているんだ。あれきり、きみは誰のサロンにも姿を見せないし」
「あなたには関係ないでしょう!」
手を振りほどこうとしているのに、ルイスの力は、それを許してくれない。
「あるさ。元とはいえ婚約者だ。いいかい、シャーリー。君はだまされているんだ!」
ルイスは私に噛みつくようにして、重大な御告げでもあるかのように、厳かな声で伝える。
「フレイセイ王国の、フィクトス公爵などというものは存在しない! あれからきみの叔父上たちが中心になって、調べたんだよ。番兵も、なぜかあのときは不思議に思わなかったらしい。なにか暗示にかけられていたんだろう、というのが王室の魔道使いたちの推測だ」
(だったら、なんだって言うの)
そんなこと、私はとうに知っている。
彼は妖霊島の、魔王アルフレッドだ。
しかしここで彼は魔王だ、などと言ったら、ますます怪しまれるだけだろう。
「そ……そうなの。でも、それとあなたが今日押しかけていらっしゃったことと、なんの関係がおありなの?」
「とぼけても無駄だ」
ルイスは怖い顔で、私を見つめる。
「村の農家の人々に話を聞いて、もう調べはついている。この家に、妙に派手な男が大きな馬車で、何度も乗りつけているそうじゃないか。それがフィクトスだろう?」
「誰がここへ来ても、あなたには関係ないわ!」
怒る私に、ルイスも怒った顔をする。
「きみのその返事は、男がここへ来た、と認めているようなものだ」
「だとしても、あなたにそれを非難されるいわれはありません。わたくしが自分の家にどんなお客様を招き入れるかは、わたくしが決めることですわ」
言い返すと、ルイスは溜め息をついて首を左右に振った。
そして、勝手に部屋の中に入った、衛兵と使用人たちに声をかける。
「おい、いたか!」
「はい、ハリソン子爵! つかまえました!」
まさか、いつの間にかアルフレッドが訪ねてきていてつかまったのでは、とギクリとした私だったが、そうではなかった。
「なにすんのよ、痛い、痛い、離しなさいよ!」
ルイスの使用人がつかまえ、首ねっこをつかんでいたのは、ハティだったのだ。
「なにしてるの! やめて、乱暴しないで!その子から手を離しなさい!」
悲鳴のような声で言う私の腕をつかんだまま、ルイスが制止する。
「きみが法廷で正直に言えば、あの猫は解放するよ」
「法廷?」
なにが起きているのかわからない私をよそに、ハティは用意されていたバスケットに入れられてしまった。
ハティは泣きながら、ばりばりとバスケットをひっかいている。
「出して! シャーリー、助けて!」
「大丈夫よ、ハティ! 絶対に助けてあげるから、暴れて怪我をしないようにして!」
私はキッと涙目でルイスを睨む。
「いい加減にして! どういうつもりなの!」
こちらの激怒が伝わったらしく、急にルイスは態度を軟化させた。
「そ、そんなに怒らないでくれ、シャーリー。きみがあの男に、たぶらかされているのはわかっているんだ。あいつをおびき出して、裁きを受けさせる段取りがついたら、ちゃんと猫は解放するよ」
私はつかまれていない方の手で、口を押さえる。
「無関係のハティを盾にして、なんてひどいことを……! あなたは卑怯だわ、ルイス!」
「先に婚約者のぼくを裏切ったのは、きみのほうじゃないか!」
ルイスも涙を浮かべ、顔を真っ赤にして悔しそうに言う。
「きみは爵位をいただき、社交界にデビューした、ぼくの一世一代の晴れ舞台で婚約破棄をするなどという、卑劣きわまりないことをしてくれた。ぼくとその家名に泥を塗り、ひどい恥をかかせ、そして得体の知れない男を家に招き入れている。どう考えても、責められるのはきみだろう?」
「あなたがオリバーと、恋を語っていても?」
なにを調子のいいことを、と私は怒りに震える声で言う。
「知っていたわ。あなたが爵位目当てで、人形のような私でも、妻にしようとしたことを。だから婚約を破棄したのよ。当たり前じゃないの」
「そ、それくらいのこと、社交界では普通だ!」
ルイスは興奮し、開き直って叫んだ。
「きみはこんな田舎暮らしだから知らないんだ。浮気のひとつふたつで、あれこれ言っていたら、社交界になんていられないよ」
「なんでもいいわ。とにかく、ハティを早く返して! 小さな猫に、いったいなんの罪があるっていうの?」
「猫にはないさ。他国の貴族だとみなを騙して、公爵邸に入り込んだあの男。あいつさえ、つき出せばいいと言っている。できないのかい? それではきみがあの男と、グルになっていると思われても仕方ないぞ!」
「グルって……」
いったい、どうすればいいのだろう。
私は呆然として、立ち竦んでしまっていた。
アルフレッドは、私にはとてつもなく優しい。が、なんといっても魔王なのだ。
(駄目だわ。国に差し出すなんて、絶対にできない。このことがフレッドにバレただけでも、怒り狂って国そのものを滅ぼしてしまうかも)
「し、しばらく、考えさせて下さらない?」
私は焦りと不安を感じながら、ルイスに言う。
「すぐには無理よ。私があの方と会って、説得してみます」
「では、連絡がとれるのだな? 早く所在を教えろ。ぼくたちがひっとらえに行く! ぼくはきみのせいで傷ついた名誉を、回復しなくてはならないんだ!」
(そんなことになったら、あなたも使用人も、仕事をしているだけの衛兵さんたちも、一瞬で殺されてしまうかもしれないわ。彼らにだって、家族もいるでしょうに。第一、フレッドに人殺しなんてさせたくない)
私は無言で首を振り、ハティの入っているバスケットに、猫の鳴き声で囁いた。
「ハティ。ごめんなさい、しばらく我慢していてね。危害を加えられないように、おとなしくしていて」
「……うん。シャーリーが言うなら、信じる」
その言葉を聞いて、私はルイスに向き直った。
「ハティを返してもらうまでは、私が絶対に逃げないと、あなたも確信しているのではなくて? だからお願い、時間を下さい」
「まさか、自分ではなく男を逃がす気じゃないだろうな? そんなことになったら、猫はバスケットごと、燃やされると思ってくれ」
「なんてひどいことを……!」
「まあともかく、きみに対する絶対の担保となったわけだ。猫を確保したのは正解だったみたいだね」
しばらくルイスは思案していたが、やがて溜め息をついた。
「わかった。だが、そんなには待てない。期日は明日の夜までだ。もう一度ここに来るから、そのとき、あの男を突き出すか、住処に案内してくれ。ぼくとしては、本当はあまり手荒な真似をしたくないんだ」
(ハティをバスケットに押し込んでおいて、なにを言ってるのよ!)
私は思ったが、黙っていた。
あまり刺激して、ハティの扱いが雑になったら困ると思ったからだ。
「それに……」
ルイスは私の手を離し、複雑な顔になる。
「この前の公爵邸で、きみを見直して、改めて心を動かされたのは本当だよ、シャーリー。できたらあの妙な男の呪縛から目を覚まして、ぼくを見て欲しい。考えておいてくれ」
そう言うとルイスは、従者たちにバスケットを持たせ、馬車に乗った。
「シャーリー! 迎えに来てね、必ずよ!」
「ええ、待っていてね!」
バスケットからのハティの叫びに、私は答える。
遠くなっていく馬車を見つめながら、私は腹立たしいのと悲しいのとで、どうにかなってしまいそうだった。
(やっとここで、静かな暮らしを手に入れたはずだったのに)
復讐を考えた自分も、よくなかったのだとは思う。
けれど、あのままルイスと結婚していたら、もっと悲惨なことになっていたはずだ。
私は振り向き、アルフレッドの魔力で、すっかり立派になった屋敷を見上げる。
(フレッドは悪くない。それだけは確かだわ。でも彼を人界の揉め事に、巻き込んではいけない。万が一、私のせいで魔王と人間が戦うようなことになってしまったら、おそらく関係ない人にまで、被害が出てしまう。……彼を遠ざけて、私だけでハティを守らなくては)
私は胸に決意を秘め、ハティのいない、静かすぎる屋敷へ戻った。