心臓が、ほっかほか (魔王視点)
「その様子だと、知らないようだが。きみたち人間は罪人を、懲罰として小舟で妖霊島へ流刑している。国王と以前、そういう取り決めをした」
「あなたと、国王陛下が……」
感心した様子のシャーリーに、俺は急いで勘違いを訂正する。
「ああ。だが今の国王ではないぞ。はるかいにしえの昔、妖魔と人との、領土争いの大戦争の挙句の話だ。互いに領分を侵さない、島へはむやみに近づかない、来たものは帰さない、という約束を交わしたんだ」
「それで、罪人だけが島へ?」
うん、と俺はうなずく。
「ちょうどいい罰だと考えたんだろう。我々も、仲間が増えるのは歓迎だ。生きて島へたどり着いた罪人連中は、そこで姿が妖魔と化す。島で凶悪なのものには、元人間の連中が多い」
「ねえねえ。じゃあ、最初からいる、島の生き物は、凶悪じゃないっていうの?」
横から口を挟んでくる、ちっぽけな猫の問いになど、普段であれば答えることなどありえない。
が、シャーリーの愛する猫であれば、話は別だ。
俺にとっても、貴重な宝石以上の価値があるので、親切に受け答えをする。
「凶悪というより、弱肉強食の世界だからな。自然界のことわりの中で生きている、という意味では、人界の野生の獣と同じだ」
「そ、そうそう。悪いのもいるけど、少なくとも善良な妖魔もいるよ。俺みたいに」
「ふーん。そうなの」
必死の様子で、俺の背後に立っているカークが補足を付け加えるが、ハティは眠くなったのか、くああ、と大きなあくびをした。
だいたいわかったわ、とシャーリーは納得した顔で言う。
「つまり、あなたは島から竜の姿になって飛んで、妖気の幕を出てから人の住む領域に入って、雷に打たれて弱っていたのね?」
そうだ、と俺は心からの感謝と敬意を込め、シャーリーに言った。
「そこをきみが、助けてくれた。パンというものを食べたのは、初めてだった。誰かに毛布をかけてもらったことも、水を飲ませてもらったことも、人のぬくもりに触れたことも。想像したこともない、出来事だった。……とても癒されて、心が安らいだ。俺は、嬉しかったぞ」
俺の言葉に、シャーリーは頬を赤くする。
「そ、そうだったの。あのときの翼の傷は、よくなった?」
「ああ。きみのおかげで。治療をしてもらう、ということも初めてだったな。……どうだ、シャーリー」
俺はシャーリーに、ぐいと顔を近づけた。
「もう俺を、嘘つきとは思わないでくれるか?」
「──ええ。私が竜を治療したと知っている人は、いないはずだもの。それに竜も、魔王も、人間より信用できるわ」
それならば、と俺はシャーリーに右手を差し出す。
「俺たちは、親しくなれるな?」
「なれる、と思いたいわ。フレッド」
シャーリーはわずかだが、はにかんだ笑みを浮かべ、握手をしてくれる。
(おおおお、可愛い! ものすごく笑顔が可愛いぞ、シャーリー! それになんて小さな、やわらかい、華奢な手だ)
俺は心の中で、歓喜していた。
(素晴らしい! こんな愛らしい笑みを見ていると、なんだろうな、凍てついて氷のようだったはずの俺の、魔物の心臓が、湯につかっているようにほかほかしてくる。妖霊島では……いや、今まで生きてきて、覚えたことのない感覚だ)
ようやくシャーリーの表情と態度から、猜疑心と警戒心が消えたのを感じ、俺は上機嫌になっていた。
いっぽうカークも、なんとかハティに、抱っこしてもいいと許可を貰ったらしい。
腕の中から首を伸ばし、鼻に鼻をくっつけてきたハティに、だらしなくにやけている。
「言っておくけど。これは単なる挨拶よ。別にあたし、あんたが好きってわけじゃないんだから」
「あ、ああ。わかってるよ」
「でも、ちょっとなら、撫でてもいいわよ」
「本当に? 背中がいいかな」
「顎の下がいいわ。優しくね」
カークがよしよしと言われた場所を撫でてやると、ぐるる、とハティの喉が鳴った。
ばつが悪そうに、その耳がイカのように、ぺたりと伏せられる。
「こ、これはなんていうか、反射的にでちゃった音っていうだけよ」
「それも、わかってる」
「まだ会ったばかりだし。私そんな、安っぽい猫じゃないもの」
「ハティさんは、誇り高い猫なんだね」
俺としてはどうでもよかったが、シャーリーが彼らを見る目が慈愛に満ちていたので、その表情を見せてくれたカークたちに感謝をする。
「では、今度はきみ自身についての、話が聞きたい」
俺は割れた窓と、転がった石を見て言った。
「とにもかくにも、この屋敷のありさまには驚いたが。順を追って、話してもらおう。最初の質問だ。なぜきみは、獣の言葉がわかるのかな?」
すると、以前に小鳥を埋葬した際、光が頭に入ったという説明を、シャーリーと猫がかわるがわるする。
「なるほど。それはフェネクスだな」
「フェネクス? 書物では知ってるわ。ええと、死ぬと燃えて、また生まれ変わる鳥じゃないの? どうしよう、私、埋めてしまったわ」
ほう、と俺はシャーリーの知識の豊富さに感心する。
「フェネクスを知っているとは、さすがシャーリー、勤勉なのだな」
「本はたくさん、読んでいるの」
「そうか。だが、現実と書物の記載というのは、必ずしも正しいとは限らん。特に人外の世界に関しては」
シャーリーの聡明さを誉めつつ、俺は説明をした。
「人の書物ではそう書かれていても、実際にはやつらは死なぬし、燃えない。感情の変化で、赤く発光することはあるがな。鳥の姿をした、精霊の一種だ」
「えっ。だけど、動かなかったし、死んでいるようだったのに」
「精霊は、邪悪な気に当たって硬直することや、眠りにつくこともある。特にフェネクスは、友好や和平、円満をつかさどる精霊だからな。なにか思い当たることは?」
シャーリーは、ハッとした顔になる。
「あのころレイランド家の屋敷の中は、邪悪な気配に満ちていた、と思うわ……」
「そうか。では屋敷に迷い込んでから、窓から飛び立とうとしたきに、落ちたのかもしれない。埋葬したとき、なにか祈ったか?」
「え、ええ。ヴラーギの永遠の楽園で、幸せになるように、って」
「それは素敵な御祈りだ。土中で目覚めたフェネクスは祈りで浄化され、きみを気に入って古い身体を捨て、シャーリーの魂に同化したのだろう」
私の魂に、と不思議そうにシャーリーは自分の胸に手を当てる。
「精霊を身体に受け入れられるのは、清浄な心の持ち主だけだ。誰にでも起こる出来事ではない」
俺は自分の女性を見る目が、正しかったと満足しつつ、説明を続ける。
「悪さはしないから、心配しなくていい。動物と話せるのは、フェネクスの力の影響だろう。さて、きみのことが少しわかったところで、次の質問だ。屋敷の現状について教えて欲しい。……外の木が燃えて、窓が割れているのは、いったいなぜかな?」
それは、とシャーリーは口ごもり、ハティと目を見交わしてから、気まずそうに言う。
「意趣返しの、意趣返し。だと思うの」
「意趣返し?」
シャーリーはうつむき、悲しそうな目をして話し出した。