猫の声
「では。ふたつめの、約束だ。できうる限り、どのような状況でも、知識と教養は、貪欲に得るのだ。万が一、なにも持てぬときがきても、記憶したものは、なくならないのだから。王立の、図書館もある」
「はい。わかりました。できると思いますわ。御本は大好きです」
私が言うとお父様の顔から、ようやく心配そうな表情が消える。
「よし。では、肝心の、最後のお願いだ。シャーリー。お前はこれから、人のいるところでは……ハティと同じに、猫の鳴き声しか、口に出してはいけない」
「──え? 猫の鳴き声?」
目をぱちくりする私に、お父様は言う。
「そうだ。独り言、あるいは、ハティに話しかけるとき以外。……十四歳の、社交界デビューのその日まで。人がいる場所で、人に対して、人の言葉を話すことを禁じる。わかったかい?」
「……お父様……」
私はポカンとして、お父様の顔を見てしまった。
もしかして、死の淵で、妄想でも見ているのかもしれない、と思ったからだ。
けれどお父様は、不思議なくらい澄んだ瞳で、私を真っすぐに見つめて言う。
「約束しておくれ、シャーリー。……可愛い、私のシャーリー」
何度も大きな手が、弱々しく、私の髪を撫でる。
「わかったわ」
大好きなお父様の、人生最後のお願いかもしれない。
もしもこれが、苦痛のためのうわ言だったとしても、私に拒絶は、できなかった。
「約束します、お父様。十四歳になるまで、私は誰と会っても、猫の鳴き声しか出しません。復讐も、考えません! 人だって殺さない。いつか必ず、ヴラーギの楽園で待つ、お父様と、お母様のお傍に行くわ」
きっぱり言うと、お父様の表情に、ふっと安堵の色が浮かんだ。
そして満足したようにうなずくと、私を撫でていた手が、ぱたりと落ちる。
「お父様? お父様……!」
いや、いや、いや、と私は泣いた。
いかないで、寂しい、怖い、ひとりぼっちにしないで。
大好きなの、愛しているの、もっとずっと傍にいて。
泣いて泣いて泣き叫んで、声が枯れ、真っ赤に私は目をはらす。
そして、異変に気付いたお医者様が部屋に入ってきた、そのときから。
私は人の言葉を話すことを、やめたのだった。
♦♦♦
街の大きな教会でとり行われた、翌々日の葬儀には、大勢の人々がやってきた。
「シャーリー嬢をご覧になって。お可哀想に、まだお小さいのに、ひとりぼっちになってしまって」
「棺の傍に、ぴったりと寄り添って。小さな喪服が痛々しいわ」
「なんと信じられない不幸が、レイランド侯爵家を襲ったのだろう。悲劇としか言いようがない」
黒尽くめの貴族たちは、あちこちで囁きを交わしている。
私は泣き疲れて呆然としながら、それを聞くともなく聞いていた。
「ジェイムスは普通の死に方ではないと、医師が」
「レイランド家のご親族にも、急死が相次いでいるとうかがいましたわ」
「パトリシア夫人も確か、昨年亡くなったばかりでございましょ?」
「普通ではありませんわよね。わたくし、思うのですが、おそらくなにものかの手で」
黒いヴェールをかぶった貴婦人の言葉を、紳士がさえぎる。
「しっ。ご令嬢に聞こえるぞ。ショックで口もきけなくなっているそうだ」
「治ればいいが。あの器量であれば、数年もすれば花嫁に欲しいというものなど、いくらでもいるだろうになあ」
ひそひそと、参列者たちは耳打ちを交わし続ける。
「うむ、いずれうちの息子の嫁にいいかもしれん、と思っていた」
「きみの次男か。もう三十歳を過ぎていただろう?」
「あれくらいの年齢から、理想的な花嫁に育てるのも、悪くない案ですぞ」
教会の鐘が鳴り、棺にお別れをするため列が動き出しても、まだ人々は憶測と噂を口にしていた。
「気の毒な、残されたご令嬢に引き換え、見たまえ。あの弟嫁の嬉しそうなこと」
「サイモン卿か。レイランド家の、出来の悪い次男一家」
「あの妻を娶ってから、死者が出始めたという噂も」
参列者たちの注目を集めたのは、豪華にすら見える立派な喪服に身を包んだ、三人家族の姿だった。
「あれでは先代の、老レイランド侯爵ご夫妻も、墓の下で不安でたまらぬでしょうなあ」
「御覧になって。喪服だというのに、あんなにデコルテの開いたドレスを着て、非常識ですわ」
「しかし実質、レイランド侯爵家の領地は、彼らが治めることになるでしょう」
飛び交う噂話と、魔除けのために焚かれた香の中。
私は召し使いに着せられた喪服に身を包み、しっかりとハティを抱いて、お父様の棺にくっついていた。
そこに、噂の中心になっていた人物たちが、一応喪服の体裁はとっているものの、ごてごてした飾りの多い格好をして、近づいて来る。