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人間不信

(嘘が嫌いと言った私に、絶対にありえない魔王だと名乗るなんて、バカにしてるわ! やっぱり人間なんかより、リスやキツネのほうが、ずっと好き。あの子たち、嘘はつかないもの)


 こちらは真面目に話していたのに、冗談にもほどがある、と思ったのだ。


 慌てたようなフィクトス、もといアルフレッドの声が、背中から追いかけてくる。


「シャーリー! 待ってくれ、なぜ逃げる」

「逃げるのではありませんわ。帰るのです」

「どうして。俺はもっと、きみと話がしたい」


 私は真っすぐに正面を見たまま、振り向きもしない。


「家で猫が待っておりますの。閣下の愉快なお話は、他のご令嬢たちとされるといいと思います」

「きみでなくては駄目だ。シャーリー、聞いてくれ」


 この日、社交界で人の言葉を話す決意をした私は、オリバーたちをやり込めた。


 だがそこに至るまで、神経を張り詰め、実は緊張で、どうにかなってしまいそうだったのだ。

 その社交界デビューがようやく終わり、今はぐったりと、心も身体も疲れている。


「ごめんなさい。本当に疲れていますの」


 言いながら広間の壁伝いに、出口へ向かう。

 すると急いでフィクトスだけでなく、従者も私のあとを追って来た。


「お待ちください、シャーリー様」

「シャーリー。頼む、待ってくれ。では、せめて馬車で家まで送ろう」

「結構ですわ」


 すげなく断った私だったが、すぐ隣にまで汗だくになった従者が走ってきて、耳に囁く。


「シャ、シャーリー様。それでは、私も困るのです。お願いです、魔お……閣下を怒らせないでください」

「知りません」

「でないと私が罰せられます。あの方が怒ると、本当に手が付けられないのです」

「そんなことを言われても」

「お願いします、お願いします」


 まだ若い従者が、あまりに必死な形相で懇願するので、ようやく私は足を止めた。

 本当に彼が罰されたら、気の毒だと思ったのだ。


「では……本当に送っていただくだけでしたら、わたくしも助かりますけれど」


 すると従者は、ホーッと安堵の息をつき、アルフレッドは嬉しそうな笑みを浮かべた。


「本当に送るだけだ。嘘はつかない。俺はきみに、嫌われたくない」

「では、すぐに馬車を用意いたしますので、邸宅前の馬車回しでお待ち下さいませ」


 いそいそと、従者が先に外へ駆け出していく。


(なんだか、妙な成り行きになったわ)


 ともあれ、私はこうして彼らにトレザの屋敷まで、馬車に乗せてもらうことになったのだった。


♦♦♦


「シャーリー。本当にひとりだけなのか。侍女も小姓もいないとは」


 正面に座ったアルフレッドは、不思議そうに言う。

 馬車の中のわずかな灯りと、窓からの月明りが、その端正な顔を照らしていた。


 先刻、アルフレッドに見惚れていた令嬢たちならわからないが、人間不信に陥っている私には、その美貌も意味をなさない。


「おりません。あなたには関係ないことですわ」

「それにトレザのような辺鄙な農村に、なぜ住んでいるのだ。貴族たちの住まう、城壁の内のほうがずっと便利だろう」


 冷たい声と表情で返事をしても、アルフレッドはなおも心配そうに聞いてくる。


「そうですけれど、どうか、お気になされずに」

「そうは言うが……ドレス一枚でショールもなく、寒くはないか」


 言いながらアルフレッドは、自分のマントを肩から外した。


「かけているといい。夜は冷える」

「お構いなく。送っていただくだけ、というお約束ですもの」


 アルフレッドはなおも、私にマントを差し出してきた。


「馬車の中でマントをかけるのも、送るうちだ。さあ」


 その声があんまり優しいので、断るのが申し訳なくなってしまう。

 けれど私はかたくなに、受け取らずにいた。


「ご遠慮します。どうか、放っておいて」


(だまされちゃ駄目。ルイスだって、最初に会ったときは、とても優しそうに見えたんだもの)


 警戒心のかたまりになったような私にも、アルフレッドは怒った様子は見せなかった。


「そうか。寒くなければいいんだが」


 もしかして、心からの本当の優しさを拒んでしまったのならどうしよう、と私は罪悪感を覚える。


 両手の拳を、膝の上でぎゅっと握ってうつむき、私は言った。


「……ごめんなさい。でも、あなたはご自分を、魔王だなんておっしゃるし。よくわからない方だと思えてしまうの」

「なるほど。無理もないが」


 顔を上げると、アルフレッドは真っすぐに、私を見ている。


「フレイセイ王国の、公爵だというのも嘘だったんですの?」

「まあ、そうだ。番兵たちに、軽く暗示をかけた」


 私は眉をひそめる。


「なぜそんな、嘘をついて公爵邸にやって来られたのです。もし、本当に魔王だと言うならば、目的はなんですの?」

「それはもちろん。きみに会いたかったからだ。きみを探すために、人界に来た」


 青い月の光に照らされたアルフレッドは、確かに、どこか普通の人間でないような雰囲気を放っている。

 しかしもちろん、まだ信じられるわけがない。

 魔王が人の姿をして社交界に現れたなど、本で読んだことも聞いたこともなかったからだ。


「昨日、人界を訪れたんだが。前に出会った場所に気配がなかったから、随分とあちこち探し回ったぞ。そうしたら、あの公爵邸に、きみの存在を感じた」

「いったい、なぜそこまでして、わたくしを」


 なにか悪だくみに利用されるのではないか。あるいは生贄にするつもりだろうか。

 そういぶかしんでいるうちに、馬車はトレザに着いてしまった。


「送ってくださるだけ、という約束でしたわね?」


 魔王だというのが、もし本当だったとしても。

 いや、本当ならばなおさら、いきなり家に来られたら困る。


 念を押すように言うと、アルフレッドは穏やかに微笑んだ。


「ああ。もちろん。おやすみ、シャーリー。会えて嬉しかった」


 そう言うとアルフレッドは、御者に馬車を出させ、あっという間に視界から消えてしまった。

 なんだか夢でも見ていたようだ、としばし私はぽつんとひとりで、道端にたたずむ。


(どういうことなのかしら。優しくて親切な魔王っていうだけでも、空を飛ぶ魚、っていうくらいに、頭がこんがらがりそうなのに。それがなぜ、私に会って喜ぶの?)


 私は何度も首を傾げながら、屋敷のガタガタした古い扉に手をかける。


(よくわからないことだらけだけれど。ともかく今日、やるべきことはやったわ。それに、お母様の形見が、ひとつだけでも返ってきてよかった)


 かつての生家で、嫌な思いをしながら支度をし、初めての社交界デビューでくたびれて、魔王と名乗る奇妙な相手に送ってもらうという、長い一日だった。


 私が扉を開くと同時に、ハティが駆け寄って、足に飛びついてくる。

 当たり前だが、ハティは明かりをつけられないため、屋敷の中は真っ暗だ。

 私はその小さな身体を、両手ですくうようにして抱き上げた。


「おかえりなさい、シャーリー! 遅かったじゃないの!」

「ただいま、ハティ。すごく会いたかったわ」


 ふわふわの、柔らかいハティを抱きしめると、心の疲れと汚れがすーっと吸い取られていくような、そんな安心感がある。


「大好きよ、ハティ。やっぱり、人間は嫌い。今日、人の集団の中にいて、改めて思ったわ」

「あたしは人間、嫌いじゃないよ。だって、優しいシャーリーが、大好きだもん」


 私はハティの、やわらかな首元に、鼻をうずめた。


「……いい子ね、ハティ。でも私はそんなに、優しくなんてないのよ。ひどいことも、できてしまうの」

 

 ハティのぬくもりを感じながら、なぜだか私の目には、涙がじんわりと浮かんでしまっていた。


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