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知りたくなかった

「シャーリーも支度はできているわね? 今日は子爵家に取り立てられたルイスも、やってくるのよ。その場で正式に、婚約を発表するわ。ただし」


 オリバーの母、ブリジットはつかつかと寄って来て、私の顎に指をかけ、ぐいと上を向かせた。


 にゃっ! と私が顔を背けると、ブリジットの眉が吊り上がる。


「それよ! 今夜は決して、一言もニャーなどと、言っては駄目よ! そんなことになったら、そのネックレスを暖炉に投げ込んでやるわ。わたくしたち一家に、恥をかかせないで頂戴」


 言うとくるりと身をひるがえし、ブリジットは言う。


 私は触られた顎をはらうようにしながら、その背中を睨んだ。

 オリバーが唇に、嘲笑を浮かべる。


「あんなの放っておいて、勝手に恥をかかせればいいのよ。私たち一家には関係ないわ。もう馬車に乗りましょう、お母様。遅れたら、大変だわ」

「シャーリー! 行くつもりがあるのなら、さっさと来なさい!」


 私は悔しく思いながらも、彼女たちの後について退室した。

 そして廊下を歩きながら、改めて変わり果てた屋敷の中を見回す。


 捨てられ、塗り替えられ、作り変えられてしまった屋敷は、まるで思い出の残骸のようだ。


 ハティはここに連れてくると、なにをされるかわからないので、トレザの屋敷に置いてきている。

 友達になった動物もたくさんいるので、あそこにいれば安心だろう。


 私は顔を上げ、胸を張り、心の中で決心していた。


(ブリジット叔母様は、私をオリバーの引き立て役にしたいみたいね。でもそんなこと、どうだっていいわ。今日、私がやるべきことは、ルイスがどんな人なのか、ちゃんと見極めること。そして、それから……)


 叔父一家とは別に用意された、小型の馬車にひとりで乗りながら、私は両の拳をきつく握っていた。


♦♦♦


 王弟でもあるハワード公爵の屋敷は、宮殿かと見まごうほどの、大きく豪華なものだった。


 舞踏会の会場もすばらしく、日が暮れてもシャンデリアが眩しいほどだ。


 巨大なヴラーギ神が描かれた、天井の壁画の美しさに、私は見惚れそうになってしまう。


(なぜお父様が、十四歳まで猫の鳴き声以外を禁じたのか、今ならわかる気がするわ)


 私は集まっている、きらびやかな高位の大貴族たちを眺め、そう思った。


(たった八つの子供では、この人たちと対等に、話なんてできるわけがない。叔父夫妻に少しばかり危害を与えても、私が罰せられるだけ)


 それだけではない。事実を知った厄介者として、口を封じられていたに違いない。


(お父様は、そこまで先を見越していたのね。おかげで私は猫の鳴き真似しかしない、奇妙な、でも無害な子供として、飼い殺しにされるだけで済んだんだわ。そして……今日からは違う)


 簡単な祝辞があった後、しばらく歓談の時間が設けられ、人々は立ったまま背の高いテーブルに用意された軽食や、甘い酒を口にする。


 透きとおった蜜の酒。薄桃色の、綺麗な果実酒。琥珀色の、辛くて強い、穀物の酒。


 スパイスがふりかけられた各種のチーズ、オレンジ色のソースのかかった焼いた野菜。薄切りの冷たい肉や、壺で煮込んだ肉。あぶられた分厚い肉に、大きな腸詰め。


 何年も口にしたことのないご馳走が、綺麗な絵皿に乗ってずらりと並んでいる。

 けれど私はそれらに、目もくれなかった。


 私はなるべく人のいない場所で、人々がざわざわと移動し、場が盛り上がるまで、じっと気配を殺していたのだ。


(お酒にもお食事にも、興味はないわ。ルイスはどこかしら。彼の様子が知りたい)


 しばらくして会場がにぎやかになってくると、そっと巨大な彫像や柱の影に身をひそめつつ、私は婚約者の姿を探した。


 体格が小柄でドレスが地味なことは、そうするためには都合がいい。


 と、大量の花々が飾られ、デザートが乗ったテーブルの一角に、ようやく彼の姿を見つける。


(いたわ。随分と、おめかしして。そうよね。これは彼が上流社会の仲間入りを果たす、大事な機会なんだもの)


 ルイスは襟の高い、重そうなほどに刺繍の入った、立派な上着を着ていた。

 髪もびしっと撫でつけて、緊張した顔をしている。


 そのテーブルの後ろ、ちょうど生けられた大きな花々と、柱の影になって見えないところに、私は佇む。


 するとそこにやってきたのは、意外な人物だった。オリバーだ。


「こんばんは、ルイス。ご機嫌はいかがかしら」

「これは、ご機嫌麗しく、オリバー様」


 ルイスが満面の笑みを浮かべると、オリバーも妖艶に笑ってみせた。


「この前のお茶会は、楽しかったわね」

「ええ。伯爵閣下たちを紹介していただいて助かりました。これもすべて、オリバー様のおかげです」

「あの指輪のお礼としては、安いものだわ」

「オリバー様の御手を飾るには、寂しいくらいのものですよ」


 意外なほど、ふたりが親し気に会話をするのを聞き、私は驚いていた。


「でもいよいよ、婚約したのでしょ? あの猫憑き娘と。あの子は……地味な格好だから、会場のどこにいるのかわからないわね」

「ええ。挨拶くらいしようと思ったのですが、見つからなくって」


 何か思いついたように、くくっ、とオリバーが肩を震わせて笑った。


「まさか猫みたいに、テーブルの下や庭先を、うろちょろしていないといいけれど。床に落ちた食べ物を、ぺろぺろ舐めていたりしてね」

「まさか、そこまではしないでしょう」


 どうかしら、とオリバーは首を傾げる。


「わからないわよ。粗相でもしたら、大騒ぎになるわ。ルイスも先が思いやられるわね」

「確かに婚約は、するにはしましたけれど。あくまでも、形だけですよ」


 ルイスも笑いを含んだ声で言う。


「ですからいずれあなたとは、義理の姉弟だ。いや、兄妹になるのかな。シャーリーとは同い年でしたよね」

「腹の立つことに、あっちが二か月年上よ」


「では、あなたが義理の妹になるのですね。こんな美しい義妹を持てるとは、光栄なことです。堂々とお会いできるのだから、これはこれでいいではないですか」

「ええ。わたくしは、嫁ぐのであれば公爵家と、親に命じられておりますけれど。愛する心は、いつまでも自由ですもの」


 オリバーが、とろんとした流し目を送り、ルイスは赤面する。


「オリバー様……」

「様なんて、仰々しいわ。オリバーと呼んで」

「ここでは、駄目です。誰の耳があるか、わからない」

「怖がりなのね、ルイスったら」


 オリバーはくすくす笑い、私は愕然として突っ立っていた。


「でも、あなたはこれで、本当にいいの? 形だけとはいえ、あの猫憑きが妻だなんて」

「もちろん、妻としてはいいわけはないですよ。けれど、置物の人形と思えば、なにも困らない。子爵の地位をいただけたのですから、充分です」


 さーっと顔が青ざめていくのが、自分でもわかる。

 別に、ルイスが好きなわけではない。

 しかし一時期は、希望の光のように思えていた相手だ。


 それがここまで露骨に利用され、バカにされていたのだと思うと、怒りを通り越し、強烈な悲しみに襲われた。


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