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デビューの日

(優しい笑顔だった。声も落ち着いて、動きも紳士で。みすぼらしい服をまとった私を、まったくさげすまなかった)


 彼らが帰宅してから、私は乾燥させた根菜の一種でお茶を淹れ、ひびの入ったカップで飲みながら考える。


(私たちはもう、婚約者。社交の場にデビューしたら、正式にあちらのおうちに移り住むことになる、と言っていたけれど)


 食糧事情や、力仕事、寒暖の問題は、ずっと今より状況がよくなるだろう。


 しかしそうなったらもう、小動物たちとの楽しい時間は、持てないに違いない。


(でもせめてハティだけなら、大丈夫よね。宝石商の夫人としての暮らしがどんなものなのか、私には想像もできないけれど)


 溜め息をつき、私はルイスの肖像画を見た。

 優しそうな表情。優しそうな声。優しそうな物腰。

 なによりも、そうあって欲しいと強く願う。


「絶対、駄目! あんな男、シャーリーには、合わない」


 きっぱり言ったのは、テーブルの上で箱座りしているハティだ。


「顔は、笑った形をしていたけれど。とっても冷たい匂いがしたもん」


 言ってハティは、ピンク色の鼻を、ひくひくと動かした。


「そう? 私には、優しそうに見えたわ。もちろんあんな短い時間しか会わずに、そこまで詳しくはわからないけれど」

「わからないなら、シャーリーはあの人、好きじゃないんでしょう?」


 ええ、と私は正直にうなずいた。


「ただ、好きになりたい、とは思うわ。だって、私の夫になる人だから」


 ハティは不機嫌なときのクセで、パタパタと尻尾を揺らした。


「そんなのって変よ。好きな人だから夫にしたい、ならわかるけど」

「でも人間……特に貴族の結婚は、好き嫌いより、身分や条件で、親が決めることが普通なのよ」

「シャーリーに、親はいないじゃない!」


 ハティは遠慮なく言う。


「それなのに、誰のために結婚するの? あのイヤな、お屋敷を乗っ取った人たちのため? そんなの、おかしいよ」


 言われて私は、ハッとする。


 憎いかたきである、悪魔のような叔父夫妻の都合がいいように、自分の人生が決められる。

 それをなぜ、私は受け入れようとしたのだろう。


 多分それは、毎日の水汲みや薪割り、畑の世話、ひとりで暮らすことの厳しさから、逃げたい気持ちが原因に違いなかった。


(愚かだわ、そんなの! ルイスと本当の恋に落ちるのでなければ、結婚なんてするべきじゃない。婚約はしてしまったけれど、まだ結婚はしたわけじゃないし。遅いってことは、ないはずよ。せめて彼がどんな人なのか、もう少し知らなくては駄目!)


 私は大きくうなずいて、ハティを抱き寄せた。

 考えてみれば、従者がハティをはらいのけたときに、とがめる言葉も、謝罪もなかったではないか。


 そんな人を、本当に優しいと言えるだろうか。


「ありがとう、ハティ。毎日の生活にくたびれちゃって、大切なことを、間違えるところだった」

「だって、シャーリーが大変な苦労をしているのを、あの人だって知ってるはずでしょ。それなら薪割りくらい、手伝うべきよ。服だってぼろぼろだし、食べ物もろくにないのに。ちょっとくらい、美味しいものを持ってきてくれたっていいじゃない」


 むくれるハティに、私は苦笑した。


「言われてみれば、そうかもしれないわね。あなたのおかげで、気が付いた」


 そう? とハティは嬉しそうに身体をくねらせ、甘えるように私を見上げる。


「だったらお礼に、ハープシコードを弾いてちょうだい。私、あの音、わりと好きなの」


 そこで私はハティのリクエストにこたえ、半分は音のでない、鍵盤を優しく叩いた。


 途切れ途切れの旋律。

 不格好に、跳ねる音。

 それはなんだか、自分の人生のようだと、十四歳直前の私は思ったのだった。


♦♦♦


「あら、久しぶり。猫憑き令嬢さん」


 この国の貴族たちには、十四歳になると、社交界デビューのお披露目パーティがある。


 会場は大抵の場合、貴族たちのとりまとめでもある、王家の血を引いた公爵家が、主催することになっていた。


 そして先日十四歳になったばかりの私も、今日のパーティで、正式なデビューをすることになっている。


 今日はそのための支度があるので、早朝から数年ぶりに懐かしい、生まれ育った屋敷へと、呼び戻されていたのだった。


 だが懐かしい広間は、調度も絵画も、かなり入れ替えされて、まるで知らない家に来たようだ。


(お母様のお気に入りの花瓶が、なくなっているわ。よく家族三人でくつろいでいた家具も、モスグリーンから赤に布を張り替えたのね。……同じなのは、シャンデリアとロウソク立てくらいかしら。それに、なにより。私が生まれて間もなく、記念に描いてもらったという、親子三人の家族の肖像画が、なくなっている)


 しょんぼりしながら、縮こまって居間の隅に立っている私に、近づいて来るものがいる。


「ねえ、シャーリー。なんだか随分と、髪が日に焼けて、ぼさぼさになったのじゃない? 手もひどく荒れてるわ。まるで農民の娘みたい」

「……にゃうー」

「猫憑きのままで、相変わらず、気持ち悪いわね」


 ずけずけと言うのは、すっかりこの屋敷の令嬢として振る舞っている、オリバーだ。


 彼女も今年十四歳のため、もちろんパーティに参加する。


 随分と背が高くなり、顔つきはだいぶおとなびていたが、意地悪なところは相変わらずのようだ。


 そのときドアが開き、細身のドレスを身に着けた、母親のブリジットが入って来る。


「さあ、そろそろハワード公爵邸へ向かう時間よ。オリバー、いらっしゃい。少し髪飾りが、曲がっているわ」

「はぁい、お母様」


 オリバーは、白に近い水色のドレスを着ていた。

 ドレスは繊細に編まれたレースと刺繍で、ぎっしりと装飾が施されている。


 袖にも胸元にも、小さなリボンが宝石でとめつけられ、イヤリングとチョーカーは、すべて銀とダイヤだった。


 高々と結い上げられた髪にも、髪飾りがきらきらしている。


「まるで、雪の女王様みたいだわ、オリバー。とても豪華だけれど、上品。こんな美しい令嬢は、公爵家にだっていないはずよ」

「そう言って下さると、嬉しいわ、お母様」

「引き立て役も、傍にいることだし」

「そうね、きっと目立つわね」


 言いながら親子は楽しそうに、こちらを見て、くすくす笑った。


 侯爵家の総力をあげて着飾ったオリバーと対照的に、私はベージュ色の、簡素なドレスを渡されていた。


 ノースリーブで首元がV字に開いたこのドレスには、まったくなにひとつとして、装飾品はついていない。


 ただ、お母様の形見であるパールの一粒ネックレスだけは、叔父から渡された、と従者がつけてくれていた。

 多少は良心の呵責があるのだろう。


 けれどもちろん、お母様を過失とはいえ殺した相手を許す気は、私にはまったくなかった。


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