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最後のお願い


「もう、私はまもなく死ぬだろう。父の言葉を、よく聞いておくのだ、シャーリー」

「いやです! お父様、死ぬなんて、言わないで」

「私も、シャーリーを残していくのは、辛いのだよ。お前はまだやっと、八歳になったばかりだというのに」

 

 レイランド侯爵家の、当主の寝室。

 そこは豪華ではあるが嘆きに満ち、今にも死神が現れそうな様子だった。


 立派なベッドに横たわっているのは、私のお父様、ジェイムズ・レイランド侯爵。

 背後の壁際にはすすり泣く、長いこと仕えてきた忠実な召し使いたち。

 

 そして枕元でお父様にすがる私の隣には、白髪のお医者様。

 足元では、白い小さな愛猫が、心配そうにこちらを見上げていた。


「どうして、お父様を治してくれないの?」


 私は頬にポロポロと涙をこぼしながら、お医者様を見て訴える。

 お医者様は、気の毒そうに答えた。


「申し訳ございません、お嬢様。レイランド閣下は、ご病気とは違うのです。ですから、もう私には、どうにもできませぬ。できるだけの手は、打ったのですが……」

「ご病気では、ないの?」

「きみは、もう下がっていいぞ」


 お父様はお医者様に、すべてをあきらめているような目を向けた。


「もう、手のほどこしようがなければ、仕方ない。我が娘とふたりきりで、ゆっくり話を、させてくれないか」


 苦しそうな息をつき、汗を額ににじませて、真っ白な顔で途切れ途切れにお父様が言う。


「わ、わかりました。では、控えの間で、待機させていただきますので。なにかありましたら、すぐにお呼びください」


 すると召し使いたちも含めて、全員こちらに深く頭を下げると、ぞろぞろと寝室の外へ出て行った。


 私はお父様が死んでしまうということが、どうしてもまだ信じられない。

 先日まで、どこもどうもなく、元気だったのだ。


「お、お父様。嘘でしょう。きっと、ゆっくりお休みになって、お薬を飲んでいれば治るのよね?」

「シャーリー。レディはそんなに、顔をくしゃくしゃにして、泣いてはいけないよ」


 大きな優しい手が伸びてきて、私の頭を優しく撫でる。


「ふさふさと豊かで、艶やかな栗色で、綺麗な巻き毛だ。パトリシアに、ますます似てきた」

「お、お母様も、いなくなってしまったのに、お父様までいなくなるなんて。そんなの、いや。私も、一緒に、連れて行って」


 お母様が突然の事故で亡くなったのは、つい昨年のことだ。

 まだ私の心は、その悲しみから立ち直っていない。


「それは駄目だ、シャーリー。お前には、ハティがいる。馬も、犬も、小鳥も、大好きなものが、この世にたくさんいるだろう? お菓子やドレスより、夢中になっているものたちが」


 ハティというのは、私の大事な子猫の名前だ。

 そして私は確かに、なによりも動物が好きだった。


「だ、だって、可愛いんだもの」


 ぐすぐすと、鼻をすすりながら私は言う。

 お父様は、白い顔に微笑みを浮かべた。


「レディになったときのことを思うと、心配だったが。こうなってみると、その性格は、幸いなのかもしれないな」

「でも、お父様は、お父様よ。動物たちでは、代わりがきかないわ」

「それは、わかっているよ」


 お父様は涙で濡れている私の頬を、手の甲で、そっと撫でた。


「しかし私は、いかねばならない。私を愛しているならば……これからいくつか、約束をして欲しいんだ」

「いやよ、いや」

「シャーリー!」


 お父様は蒼白な顔で、けれど威厳をにじませた声で言った。


「お父様からの、命をかけた一生のお願いだ。それをきけないほど、お前は我儘な娘ではないだろう?」

「……う。うう」


 お父様の目があまりに真剣で、ひたむきで、そして優しかったので、私は泣きながらうなずいた。


「わ、わかったわ。約束します。お父様の、お願いをききます」

「うん。いい子だ。……まず一つ目のお願いだが。いいかい、シャーリー。もしもこれから、私についてどんな噂を聞いても、真実を知ったとしても、知らないふりをしなくてはいけないよ」

「どういうこと?」


 私は首を傾げる。

 お父様は、辛そうに眉を寄せた。


「いずれ、医者か身内のものから、事情を聞くかもしれぬ。だから……私から言ってしまおう。私が急に、このような身体になったのは。誰かが私に、毒を盛ったのだ」


 えっ、と私は息を飲んだ。

 怒りで目の前が、真っ赤になる。


「じゃあ、だ、誰かが、お父様を、殺そうとしたのね? ……許せない! 私、私、かたきをとるわ。絶対に、復讐をする!」

 

 泣きながら、怒って握った小さな拳を、お父様はそっと握った。

 その手は氷のように、悲しいほど冷たかった。


「それが、駄目だと言っているのだ、シャーリー」


 ぜいぜいと、苦しそうな息をつきながら、お父様は必死に言う。


「決して、仕返しをしよう、かたきをとろう、などと考えてはいけない。そんなことをしても、お父様は、帰らない。復讐をすれば、復讐をやり返される。お前は、お前のための人生を、楽しく生きるのだ」


 イヤ! と反射的に拒絶を口にしようとした私だったが、お父様の目に涙が浮かんでいるのを見て、それをこらえた。


「お父様のお願いを、なるべくかなえたいけれど。……でも難しいわ。私、その相手を、とても許せない」


 お父様は、ゆっくりとうなずく。


「では、理由を話そう。お前は、やっと八つになったところだ。かたきなど討とうとしたら、逆にその身に、危険が及ぶ。……私はなにより、それが心配で、恐ろしいのだよ。自分の死など、それに比べたら、なんでもないほどに」

「お父様……」


 まだ納得できない顔をしている私に、お父様は説得を続ける。


「お前がかたきをとるなどと言って、人を殺めたら、決して神のみもとへは行けぬ。唯一神、ヴラーギの楽園。……お父様と、お母様は、虹のかかる、星が瞬く神の花園で、お前のことを待っている。罪を犯したものは、そこへは行けない。シャーリーと再会することが、永遠にできなくなってしまう。私たちを待ちぼうけに、させないでおくれ」


 お父様はますます苦しそうに、肩で息をし始めていた。

 死んでからもお父様たちと会えないなんて、絶対にいやだ。

 私の目からはまた、ポロポロと涙がこぼれてしまう。


「わ、わかりました。決して、人は殺しません」

「よし、いい子だ。それから、あとふたつ、約束して欲しい」

「なんですの、お父様。なんでも言って」


 うん、とお父様はうなずいて、苦痛の汗がにじむ顔に、笑みを浮かべてみせた。


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