至福
さてサービスとはいったいどんなサービスをしてくれるのだろうか。手料理をふるまってくれるのか、湯桶に浸かり背中を流してくれるのだろうか、はてはその日の添い寝までしてくれたりするのだろうか。
期待に胸を膨らませて反応を待てばなんと予想を超える回答が出た。
「なんでもしますからずっと泊まって行ってくださいませ」
なんだと。
今なんて言った。
今なんでもするといったのか。
おかしいこれは夢だ。初対面でいきなりそんな事を言われるのはあまりにもおかしい。そうこれは現実じゃないと自分を騙す何かだと疑った。
「なんでもとは信じがたい。どこまでする気なんだ」
「それはもう。手料理をお作りしますし、旅で汚れたお背中をお流しします。果てはご、ご所望ならベッドも共にさせて頂きます」
なんてこった。
桃源郷はここにあったか。
俺はここに永住する。
というのは冗談で、真面目にそこまでする理由が気になった。
自己紹介がてらどうしてそこまでするのかと俺は聞くことにする。
「この子はクロナで私はエイナと言います。もとは冒険者をしていたのですが、突然母と父が共倒れになりそのまま亡くなってしまいまして、急遽私が継ぐことになったのです。私が継いだ頃にはお客さんがすっかりはなれてしまっていて……」
「なるほど、じゃあ宿が……ボロいのはどうしてだ」
「あ、それは単に老朽化しているだけですね」
「そ、そうか」
冒険者時代の蓄えはあるがとても宿を改装するほどの資金は無いという。
なるほど理解した。
俺は待ちに待った客第一号というわけだ。
そんな客が一ヵ月の長期滞在をするというならばサービスも良くなるということなのだろう。
俺は甘んじてサービスを受ける事にした。
◆
ボロイとはいえ掃除が行き届いた部屋に案内された。
これなら十分に休めるのにやはり、宿の見た目で損をしているなと思った。
上着の埃を落とし、服の替えをチェックしているとコンコンコンとノックの音が聞こえた。
「湯舟の準備が出来ました」
「あぁ、助かる」
待ちに待った時間がやって来た。俺はいつでもスタンバイOKだ。
タオル一枚にすばやくチェンジし、仁王立ちでエイナが入ってくるのを待った。
「きゃっ、じゅ、準備万端ですね」
「あぁさっそく頼んでいいか」
「はい」
それからエイナから少し恥じらう空気を感じながらも、背を流す作業に没頭し始めたエイナの手に背中を預けた。
「湯加減はどうですか?」
「あぁ、問題ない」
「痛かったら言ってくださいね」
「あぁ、気持ちいいぞ」
俺は三日ぶりの体を清める時だと言うのに美少女に背中を流してもらえる状況をこれでもかと満喫していた。
「背中、すごい怪我ですね」
「あぁ気にしないでいい。冒険者なんてやってると生傷が絶えないだろう」
「はい、でもこれの一つ一つが冒険譚の一節を紡いでいると思うと昂ぶりますね」
「冒険者だったと言ってたな」
冒険者の熱はまだ冷めやらぬらしい。
エイナが傷ひとつひとつについて質問してきて俺が答えるのを繰り返す。しばらく背中を流してもらいながらそんなやりとりをした。
アマル村では味わなかった何か充実した時間だった。
「あ、あのそろそろ前を……」
「いや前は自分でやるからいい」
紳士は決して女性に恥を掻かせない。
嫁入り前の女性ならなおさらだ。
充分に堪能したので後は自分で綺麗に洗った。
◆
先に体を清めたから順番は逆になるかもしれないが、夕食にあずかった。
といっても他に客はいないので、むしろクロナとエイナ、そして俺の3人だけの団欒飯となったわけだ。
「いいんですか。私達までご一緒して」
「構わない、俺はこう見えても独りが多いんだ。一緒に食事をとってもらえるとむしろ助かる」
「あ、なんかわかります」
「おにいちゃん、おめめこわいもんねー」
「? そうか」
特に言われた覚えは無いが子供は純粋なのだからそうなのかもしれない。少し気を付けてみるか。
そういえばエイナが冒険者稼業について色々聞いてきたことを思い出した。
興味が湧いたので少し聞いてみる。
「エイナは冒険者としてはどこまでいったんだ?」
「Dランクです。ホクトさんと同じですね」
「同じか。続けたいとは思わなかったのか?」
「未練が無いと言ったら嘘になりますが、クロナもいますし、なにより安全ですもの」
「そうか、そうだな」
冒険者稼業は常に死と隣合わせだ。ましてや女性では身に降り掛かる危険にも対処しないといけない。安全はなによりも得難いものだろう。
守るものがあればなおさら危険に晒すわけにはいくまい。
そんなことを考えながら勝手に納得した俺は最後に残ったソーセージを突き刺し、口許に運んだ。
「うまかった。ご馳走様」
「お粗末様です」
エールが無かったのが少し物足りなかったが、上手い料理とサービスでとても満足した。
◆
シュペルリングの囀りを耳にして重たい目をこすると辺りはすっかり朝になっていた。昨日はぐっすりと眠れた。何日ぶりかのまとまった睡眠に満足し起き上がろうとすると。お腹に何か柔らかい重みを感じる。
あぁそうだったかと思い俺は、優しく起こさないように彼女をそっと横に寝かせた。
「んんー」
そして反対側からも規則正しく寝息が聞こえる。
そちらに振り向くと、金色の髪がちょうど口許にあたり優しい香りがした。
「んぅ」
彼女が寝返りを打つ。寝巻の隙間から確かな膨らみが見えて少しドキッとした。俺は布団を掛けてやろうとしたが、暑がって跳ねのけてしまいもっと大胆に胸元が開いた。少しの間彼女を眺めていたが、そろそろ起こさねばと優しく肩を揺すると彼女はゆっくりと目を開けた。
「おはよう」
「おはよ……う、ございます?」
「あぁ」
覚醒していくごとにエイナの頬はみるみるうちに赤く染まった。
「きゃああああ」
幸いな事に頬に紅葉型の痕は出来なかった。
◆
3人で川の字になって寝てから何事もなく起床する。
朝食は昨日に引き続きクロナとエイナが作ってくれた。
黒パンとシチューに簡単なサラダをつけたものを出してもらった。
黒パンをシチューにつけ齧っているとエイナが今朝の事を謝ってきた。
「その、大声出してすいませんでした」
「いや、気にしてない。俺も軽率に起こして悪かった」
「そんな……いえ」
気まずいやりとりをして朝食に戻るとクロナが無邪気に声を上げた。
「おねーちゃんとホクトは新婚さんみたいだね!」
「なっ……」
エイナが赤面する俺も胸中穏やかじゃない。
まさかこの世の春が来てしまったのか、俺は天にも昇る気持ちになった。
だが、その後は特に何事もなく、朝食後にコーヒーを頂いて宿を出発するのだった。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
「いってらっしゃいませ」
二人の声を聞いてなぜか我が家においていく二人の妻と子を幻視した。
◆
俺は適当な依頼を探そうと思いギルドに訪れた。
宿のお代は前払いで払っているものの、だからといって怠惰に過ごすほど甘い考えは持ち合わせてはいない。
Dランクの賞金モンスターが張られた掲示板を眺めて吟味し始めた。
キリングバット、シルバーウルフ、ジャイアントトードなどのモンスターを眺めて充分な安全マージンを取れるモンスターを選んでいたら突然後ろから声を掛けられた。
「やあ、もしかして君はホクトであってるかな?」
「? あぁ」
俺を呼んだのは、なんと先日見た『千剣の風』のリーダーらしい男だった。