第二章 ヴィヴィカ・ホットクールは腹黒ぶりっ娘 6
「琴子、人生相談に乗ってくれ」
俺が読書部の部長を務めるビッチ女子こと緑野琴子に悩みを聞いてもらおうとお願いすると、彼女はいつもの明るい調子で返事をしてきた。
「まーた妹ちゃんのことで悩んでんのー? ほんとーにゆうくんはシスコンだねー」
「シスコンじゃねーから。ただアイツのことが気になるだけで」
「それをシスコンと言うのだよ!」
俺はそう力強く宣言した琴子の背後に「どん!」という文字を幻視した。なんともはっきり言ってくれやがるぜ。
「どうせゆうくんがあの子にまたキツいこと言っちゃったんでしょー。いつものことじゃん」
「でもよー」
読書部は平和ボケした部活だ。
青春の汗を流すこともなければ、大会やコンクールのためにみんなで一致団結して努力するわけでもない。
ただグラウンドが見える一階の小さな部室で静かに本を読むという、ほんとうになんでもない部活なんだ。
部員は俺と琴子の二名。
一応顧問の先生もいるが、滅多にこの部屋に訪れることはない。
「それとこの紙、朝の時は何も知らずに受け取っちまったけど、こんなもの受け取れるわけねーだろ。ほらっ、返すよ琴子」
琴子は窓側で普段は掛けない眼鏡を掛けながらブックカバーに包まれた本を読んでいる。
そこに俺が声をかけたことで、ちらっ、と視線を上げ、俺に抗議の目を向けてくる。
「せっかくあたしが勇気を持ってゆうくんのためだけを思って渡したのに、その日のうちに返すなんてひどいと思わない? ゆうくん、あたしの身体に興味ないの?」
琴子は本を片手にもう一方の手を取って胸元が開いた制服に手を伸ばすと、さも自然な感じでブラチラを敢行してきやがった。
「おいっ! 変なふうに質問するな! 彼氏付きの女に手を出すほど、俺は落ちぶれてもいなければ飢えてもいない! ブラを見せんなブラを!」
ビッチといるとやたらとおかしな言動に巻き込まれるから毎日ヒヤヒヤさせられる。
ちなみに琴子のブラジャーの色は清純そうなピンクだった。似合わねー。
「ほらっ、早く受け取れよ」
眼鏡姿の琴子に例の「マッサージ券」を差し出すも、琴子はなかなか受け取ろうとはしない。
しばらくしてようやく受け取る気になったかと思うと、琴子は俺から受け取った「マッサージ券」の裏になにやら書き込み、再度それを俺に差し出してきた。
「なんだぁー?」
『超絶美少女、緑野琴子ちゃんが彼女になってあげる券(ゆうくん限定だよ!)』
「二股じゃねえか!」
俺は今日何度目になるのかわからないドン引きをした。
琴子は彼氏がいる分際で、俺にこんな紙切れを渡してきたのだ。
こいつに倫理観ってもんはないのか!
誰かこいつに正しい男女交際の仕方を教えてやってくれ!
「やだなぁー。二股じゃないよー。琴子はゆうくん一筋だよー!」
「彼氏のいるやつが発言していい台詞じゃねえ!」
「ゆうくん、あたしの身体が気になるなら、いつでもその券使っていいんだからねっ? 有効期限はないからっ!」
「俺の中の琴子像がどんどんビッチ色に染まっていく……! ……ああ、元からビッチだったな、しょうがない」
「だからひどいなっ! ゆうくんは何もわかってないよ!」
めずらしく琴子が怒って見せると、オレンジ髪の少女は夕日を背にしたまま本を閉じ、何事かを決心した様子で立ち上がった。
「ゆうくん!」
「な……なんだ? 改まって」
琴子は真剣な表情で俺の目を見つめてくる。
俺は上下に動いたことで、ぽよんっ、ぽよんっ、と跳ね上がってはやがて静止した琴子のましゅまろおっぱいから目を離し、彼女の台詞を聞いてやることにした。
「あたし、ゆうくんのことが好きだから!」
琴子はいきなり何を言い出したのだろう。
またいつものおふざけ台詞だろうか。
俺は唐突な発言に何と答えてあげたらいいものか考えたものの、ついぞわからずに生返事をしてしまった。
「はあ……っ」
「あたしはゆうくんのことが好きなの!」
「そうか……」
「あたしが付き合いたいのはゆうくんただ一人で、その他の人なんて興味がないのっ! だからお願い! あたしと付き合って!」
「なるほどな」
「…………って、ちゃんと聞いてる、ゆうくん?」
「聞いてる聞いてる。……で、昨日の晩飯がなんだって?」
「ぜんぜん聞いてくれてないじゃんっ! 琴子、かなしい! だからぁー」
琴子は俺の瞳を見つめつつ、対面に座っていた俺のほうへ歩いてくると、そのはだけた制服の下に隠れた巨乳を使って、俺の頭の上にのしかかってきた。
「あの……琴子、重いんだが……」
「女子に重いとか、失礼すぎっ!」
「あー、すまん。琴子って女子だったのか」
「だから、ひどいってばぁー! あたしは女子だよ! 恋する乙女だよ! ゆうくんのことを世界で一番愛してるただ一人の女の子だよ!」
「サンクス」
「かるっ! 調子かるいよ! こうして抱き着いてるんだから、少しはシリアス感じてよ!」
「お前といると、シリアスだなんて思わないからな。で、なんの話だっけ?」
「ひっどいなぁー、もうっ! だから何度も言うように緑野琴子は御前ヶ崎悠真が好きで、恋していて、付き合いたいって思ってるの。ねー、だめ?」
「またいつもの冗談だろー?」
頭の上に感じる重量は確かなものだ。
正直俺は琴子のおっぱいの重さに衝撃を受けすぎて、琴子本人の言葉なんてまるで耳に入っちゃいなかった。
いったい何カップあるんだろう?
「冗談じゃないってば! ゆうくん何か勘違いしてない?」
琴子は一度俺の身体から離れると、窓際のほうへ歩いて行った。細めた目をして夕日を見つめているその姿は、清純乙女そのものだ。だが俺は騙されんぞ。ビッチはいつも男に思わせぶりな発言や態度を取るからなっ。
「ゆうくんが言ってたウワサって、誰から聞いたの?」
「ウワサ?」
俺はころころと話を変える琴子の調子に付いていけず、彼女に問い返してしまった。
「ゆうくんが朝言ってたウワサだよぉ! ゆうくん、あたしに彼氏ができたって……」
「あー、その話か!」
なるほど、こいつが何を言いたいのかようやく理解できたぞ。
たしかにそんな話を通学中にしていた気がするな。
正直そのあと渡された「マッサージ券」のインパクトが強すぎて、全然憶えてなかったわ。
「ゆうくん勘違いしてるみたいだけど、あたしに彼氏なんていないよ? いたこともない。だって……」
――は?
このビッチは何を言ってるわけ?
こいつに彼氏がいない?
朝の時点では散々思わせぶりな態度取ってたじゃねえか。
彼氏とあんなことやこんなことをしてるっつって、俺を落ち込ませにきてたじゃねえか。
「……だって、あたしは幼稚園の頃から、ゆうくんのことが好きだったんだもんっ!」
「は……はあ!?」
――……う、うそだろ!?
今まで俺たちはただの友達で、これまでこいつの人生相談やら恋愛相談やらを何度も聞いてきた俺だぞ!?
俺がラノベ主人公みたいな鈍感系高校生のわけがない。
断じて違うぞっ!
「この本……」
すると今度は琴子は、俺に今まで彼女が読んでいた本を見せてきた。
「あたし、ゆうくんに勧められたライトノベル全部読んで、ゆうくんが好きなキャラもみんな研究して、がんばったんだよ?」
琴子が本のブックカバーを取り去り自分の胸の前に持ってくると、表紙をこちら側にしたラノベが俺の瞳に映り、なんとも言えない気持ちになった。
そこには主人公に恋をする、ヒロインの姿が描かれている。
「ゆうくん、あたしがゆうくんのヒロインじゃだめかな? 琴子、ゆうくんのこと、好きなんだ」
その瞬間、夕日を背にした琴子の頬に、一筋のしずくが流れているのが見て取れた。
まるでその涙が琴子の真意を告げているようで、俺は瞬く間に怖じ気づいた。
有り体に言うならば、キョドった。
「でもお前、いつもはあんなにふざけて……。さっきだって……」
俺はどうにか言い訳をしようと、琴子の問いかけには答えずに取り繕った。
琴子はあたかも「自分にシリアスは似合わない」ことを本能的に知っているように、自分の涙を拭って笑顔を見せた。
「全部本音に決まってんじゃーん! ゆうくん専用ビッチの、緑野琴子でっす!」
「は……ははは……」
俺は彼女になんて返してあげたらいいんだろう。
「そんなの突然言われても、困るだけっていうか……」
俺はラノベの主人公とかじゃないんだ。
女の子から告白されて、平気でいられるわけじゃない。
今までふざけて愛を告げてきた女子の本音を聞かされたところで、うまく受け答えできるわけないじゃないか。
「そうだよね! ごめんねっ、ゆうくん! でも好きぃー!」
琴子は陽の落ちてゆく二人きりの部室にて、もう一度俺の後ろに回って、彼女ご自慢のましゅまろおっぱいを押しつけてきた。
「だから重いって……」
「あたしはゆうくんとあんなことやこんなことができて、毎日が幸せだよっ! ……ゆうくんはどう?」
「俺は……」
たしかに幸せ、かもしれない。
なんてったって琴子は俺の唯一の友達だからな。
そう……友達。
好きであっても、その性質が恋とは限らない。
「付き合おうよ、あたしと」
何度も――なんども――琴子が聞き飽きるくらいに何度も告げてくるその言葉が、「彼氏がいない」という条件の下、俺の心を襲いにくる。
「…………ごめん。俺、琴子のことが好きだけど……」
「付き合えない?」
「……ああ。ごめんな、琴子」
俺が今までビッチだと思っていた幼馴染みが実は純情な女の子だったなんて。
――ねえっ、これなんてラノベ?
「そっかー」
琴子は俺からの返事を受け取ると、胸置きにしていた俺の頭部から身を離し、シリアスになりきるでもなく言った。
「じゃあまた明日告白するねっ!」
……………………。
……えっとー、こいつ、俺の話聞いてた?
「おいっ、琴子。いま俺、お前のこと振ったよな? きっぱりお断りしたはずだよな?」
「まあねー」
「じゃあなんでそんなことが平然と言えるんだよ! さすがに立ち直り早すぎるだろ……」
琴子は手にしたラノベにブックカバーを取り付けながら、なんとも気軽な感じで返事をしてきた。
「だって別に振られたからって、あたしがゆうくんのことを好きな気持ちには変わりないもんっ!」
「じ……自己中だな、その発想は」
「なんとでも言えばー? それに、ぼっちでシスコンなゆうくんなら、すぐには彼女もできないだろうし」
「お前こそひでえな! たしかに事実だから何も言い返せないけどもっ!」
「でしょ? ……なら、話は簡単だ。あたしがゆうくんの彼女になるまで、告白し続ければいい」
「発想が斬新! 琴子お前はあきらめることを知らない女なの!? あきらめることを知らない純情ビッチなの!?」
「そう! あたしはゆうくん限定の純情ビッチなのですっ! えへんっ」
「やべーやつやん……」
「目の前の壁は叩いて壊す! 目標があれば一直線! あたしは、そういう女だよ。知らなかった?」
「知ってたけど、いざ目の前にするとドン引きだわー」
「ふはははははっ、あたしはまだ二回の変身を残しているー! 緑野琴子は何度でも復活するのだぁー!」
「さいですか」
「サイなのだ! パオーンッ!」
――やれやれ、先が思いやられる。
明日から俺、大丈夫だろうか。
琴子に変なことされないだろうか。
とはいえ。
とはいえ琴子が他の男ではなく俺のことを好きだと言ってくれたことも嬉しかったわけで。
振られても笑顔で俺に接してきてくれることが嬉しかった。
そして俺は自身の初恋相手――ヴィヴィカ・ホットクールのあの、絶対に兄のことなんか好きにならないであろう妹の顔を思い浮かべて、なんとも悲しい気持ちになるのであった。