第二章 ヴィヴィカ・ホットクールは腹黒ぶりっ娘 5
「チッ、あーうぜえ。あいつらマジ死なねーかな、ほんとに」
――お兄ちゃんドン引きだよ。
昼休み。
四時限目が終わりを迎え、手にお気に入りのぬいぐるみを持ったヴィヴィカの後を追って学校の屋上に来てみると、そこにはテディベアの腹めがけて強烈なパンチを繰り出している妹の姿があった。
「ヴィヴィカ」
俺が額に「米」印を浮かべている義妹に呼びかけると、ヴィヴィカは一瞬、ビクッ、として連続パンチを取りやめ、すぐにいつもの猫撫で声でこちらに振り向いた。
「いやーんっ。ヴィヴィカ、だぁーいすきなクマさんと遊んでたのっ…………って、アンタかよ、キモオタ」
「えらい変わりようだな」
さすがにクラスメイトに対する接し方とこうも俺への扱いが違うと、お兄ちゃん少しばかり傷ついちゃうよ。
「ヴィヴィカ、何に怒ってるんだ? もし何か悩んでるなら、お兄ちゃんが人生相談に乗ってやらなくもない」
「はあっ!?」
――出た! ヴィヴィカの口癖。
「なんで私がアンタみたいなぼっち野郎に相談なんかしなくちゃなんないわけ? 私はただクラスの女子どもがムカついてただけで、何も悩んでなんかないんだけど」
「そーかよ。お前、女子からはとことんキラわれてるもんな」
俺はふぅー、と溜め息を吐き、あらかじめ持って来ておいたメロンパンにかじりついた。
「そーゆーこと。まっ、友達のいないアンタになんか最初から何も期待してないんだから、軽々しく人生相談に乗ってあげるだなんて口にしないことね」
ヴィヴィカは俺から目線を外すと、またしてもお気に入りのテディベアを給水塔下の壁に押しつけ、その腹を何度もなんども殴り始めた。
この行為が彼女のストレス発散法なのだ。
猫かぶりを続けるには鉄のハートが必須となるが、日常生活で溜まった鬱憤をこうしてガス抜きすることで、午後からもまたあのぶりっ娘のままでいられるってわけ。
「そーまでして可愛く思われたいのかねえ」
俺は独り言のようにつぶやくと、思いのほかヴィヴィカが兄の言葉に乗ってきて、受け答える。
「とーぜんでしょ? 女の子は可愛くなりたくて当たり前なの。可愛くない女の子なんて存在価値が無いでしょ? だから可愛く在ることは私が生きる上で必要条件なの」
「そこまで言うか。俺は普段のままでも十分可愛いと思うがなあ」
俺がいつもらしからぬ失言に気づいた時には、もう遅かった。
ヴィヴィカは俺の褒め言葉に顔を真っ赤にしたかと思うと、すぐさま怒りの矛先をぬいぐるみから俺のほうへと向けてきた。
「キモすぎ! なに妹のこと口説いてんのっ! 友達がいないからって、私と仲良くしたいだなんて考えてるんだったら大間違いなんだから!」
「ちッ。思ってないことなんて、言うんじゃなかったわ。前言撤回。やっぱお前、全然可愛くねーわ。兄貴にキモいだのうざいだのいつもいつも……。あのぶりっ娘が本当に可愛いと思ってるわけ? お前をチヤホヤしている男子たちだって、お前の本性を知ったらヴィヴィカのこと嫌いになるに決まってらあな?」
「うるさいっ! なにも私のこと知らないくせに勝手なこと言うな! ぐうぅう……、もっと私は格好良いお兄ちゃんが欲しかった!」
「格好良い兄じゃなくて悪うござんした。俺もこんな腹黒妹じゃなくて、もっと優しい妹が欲しかったよ」
「ばかあっ!」
ヴィヴィカは何を思ったのかテディベアの腹に向けていたこぶしを俺へと直撃させ、あからさまな敵意をぶつけてきた。
「いってえ……ッ、なにすんだよ暴力女!」
――まったく、せりなとはえらい違いだ。
こんなガチで腹パンしてくる「暴力ヒロイン」となんて、今後ぜってー関わり合いたくねえ。
しっかり腹部にダメージが与えられ、ヒットポイントが著しく低下する俺。
「サンドバッグはしゃべらないで」
――ひどすぎだろっ!
くそっ、でもどうしてだろう。
ラノベでは「暴力ヒロイン」なんて絶対ないと思ってたのに、ちっちゃいくせに男勝りでツンツンしているヴィヴィカを見ていると、自然とヴィヴィカのことも許せてくる。
これがヴィヴィカの兄へ対するスキンシップなのだとすると、お兄ちゃんいくらでも耐えられる気がしてくる。
……あっ、でもやっぱ痛いのはナシで。
「それよりアンタ、どうして私に付いて来てるわけ? もしかしてストーカー?」
「なわけねえだろ! お前のことが心ぱ……いやいや、おそらくお前がメイド喫茶が選ばれなくてキレている頃だと思ったから、こうしてからかいに来ただけだよ」
「はあ? ……うっざ」
そう言うと今度は俺の脚に瞬速のローキックをかましてくる。
「いってッ! だから暴力はやめろって言ってんだろ。暴力ヒロインは嫌われるぞ!」
「だから? なんで私がキモオタに嫌われることにビクビク恐怖しなくちゃなんないわけ? アンタが言ってるのって、もしかしていつものラノベのことでしょ? 友達がいないアンタにはお似合いね」
「ぐ……ッ、こいつ、言わせておけば……!」
――ラノベなめんなマジ!
ヴィヴィカの台詞に悔しくなった俺は、たまらず言い返してやった。
「貧乳」
「な」
ヴィヴィカは「こいつ、言ってはならないことを……」といったような目で俺のことを見つめる。
「どこ見てんの変態! アンタ妹の胸見て欲情してんじゃないわよね!? うーわっ、キモ! キモ! 想像しただけで鳥肌立ってきたんだけど!」
そっちがその気なら、何度だって鳥肌立たせてやるぜ!
「ちび」
「……ぅぐ」
あきらかにヴィヴィカの表情が崩れてきているのがわかる。
俺はこいつの部屋に自分の身長を測るためのポスターが貼られているのを知っている。
そこを突いてやったのだ。
「女の子なんだもんっ! 少しくらい背が低くたって、可愛いからいいの! あーもーうざい! ほんっとうざい。なんでイライラしてんのにさらに苛立たせてくるのかなあ。これだからキモオタ兄貴は」
「黒いすけすけ下着」
「……あ、……あ、あ、あ……?」
妹はこれまでにないくらい赤面すると、俺のことをパンチングマシーンか何かのように扱い、羞恥心をごまかしながら言い訳してきた。
ちなみに黒いすけすけ下着とは、一度だけヴィヴィカの入浴後に脱衣カゴに入っていたいやらしいパンツのことだ。
「なんでアンタがそのこと知ってんのよー! キモい、キモい、キモい! うざい、うざい、うざい! しんで、しんで、しんで!」
「ちょっ、落ち着けヴィヴィカ! あれはたまたま洗濯する時に見ちまっただけで、別に変な意味があってそのことを言ったわけではない! 本当だ!」
まさかこんなに爆発するとは思わなかった。
ヴィヴィカは自身の秘密を大嫌いな兄に知られていたことがそんなに嫌だったのか、これまでにないほど俺に殴りかかってくる。
「きらい、きらい、きらい! だいきらい! こんな変態兄貴と一緒の家に住んでるとか、ほんっと死にたくなるっ! あとあの下着は試しに買ってみただけっていうか、一回しか穿いたことないし、私はえっちな女の子じゃないんだからねっ! 勘違いしないでくれるっ!?」
「その割にはすげえいやらしいデザインで、お兄ちゃん妹がこんなもの穿いてるのかと心配になっちゃったよ」
「なぁーにまじまじと観察してんだバカ兄貴ぃー! 変態、ヘンタイ、へんたい! 莫迦、馬鹿、バカ! ばかぁーーーーっ!」
ヴィヴィカはそう言うと俺に殴りかかる行為をやめ、真っ赤な顔をしたまま逃げるかのごとく俺の前から去っていった。
「なんだかなあ……」
正直、妹がどんなパンツ穿いてたって俺は良いと思うけどなあ。
白も黒も、ヴィヴィカにはとっても似合うと思うし。
こうしてまた一つ妹から嫌われてしまった俺は、好きな相手に対して失言してしまった自分自身に落ち込み、元居た教室に戻って行くのであった。