第七章 ヴィヴィカの秘密 1
『第七章 ヴィヴィカの秘密』
「キモオタ兄貴が私の下着勝手に洗わないでくれないっ!?」
私、ヴィヴィカ・ホットクールは、兄が嫌いだ。
恋愛感情があるかと問われれば、もちろんない……そのはずだった。
でも私は、遅ればせながら気づくことになったのだ。
アイツと目を合わせた瞬間、心の奥が、きゅん……っ、ってなって、自分でも意味わかんない感情が芽生えることに。
そう――私とアイツは血のつながらない兄妹同士なのに。
こんな気持ちがモヤモヤするとか、わけわかんないっ!
アイツと初めて出会ったのは約一年前――片親で私を育ててくれたママが事故で亡くなり、直前に再婚した御前ヶ崎悠希の妹にあたる叔母、御前ヶ崎綾さんに引き取られたのがきっかけだった。
ほんっとサイアクって、当時は思ってた。
だって小学校に入ってすぐにパパと会えなくなった私は、唯一の肉親であったママとも会えなくなってしまったのだから。
さらには見知らぬ家族と同じ家に住むって……そんなの普通は耐えられないっ!
それでも恋愛の神様は確かにいたんだなって私はその当時思わされた。
綾さんと一緒に初めて御前ヶ崎家の門扉をくぐり抜けたとき、絶望の淵に秘められたエルピスみたいに、私は初めての恋を見つけたのだ。
御前ヶ崎悠真。
それが、私に意味わかんない感情を植え付けたキモオタ兄貴の名前だ。
運動ダメ、勉強そこそこ、家事が超得意なほんと意味わかんないやつ。
でも私は、不思議と悠真と出会ったそのとき、安心した気持ちになったことを憶えている。
やっぱり遺伝なのかな。
ママが新しいお父さんに惹かれたように、私も悠真に惹かれたのだ。
……あっ、アイツのことを「悠真」って心の中で呼んでいるのは秘密ね。
「悠真」だなんて呼んであげたりしたら、きっとあのバカ兄貴はいつもみたいにツンデレ属性を発揮して、私を拒絶してくるに決まっている。
好きな人に――いやいや、私をおかしくさせる人に否定されること、拒絶されること、受け入れられないことを、私は何よりも恐れていた。
こわいのだ……いつも。
パパがいなくなり、ママもいなくなり、誰にも縋ることができなくて、いつだって不安で仕方なかった。
孤独が恐い。
ひとりぼっちがおそろしい。
それほど私は強くなんかない。
ある日の朝練後、水泳部の練習が終わって帰宅してきた私の元に、一通の手紙がきていた。
差出人は見たことも聞いたこともない、「フェアリーテイル研究所」というもの。
私は変な広告が来たもんだなあと何日かは取り合わずにいたものの、勉強が一段落した隙間時間に、ふとその封筒を開けてみることにしたのだ。
魔が差した――と言えば言い方は悪いが、その時は単なる休憩の一環でしかなかったのだ。
中を覗くと、「好きな人がいるあなたに……」という文言が見つかり、私は、どきっ、としてしまった。
すぐさま脳裏に浮かんできた悠真の顔を、頭をぶんぶんと振ることで打ち消し、詳しく手紙の中身に目を通していく。
それにしたって変な手紙だったから、私はそれからもしばらく郵便物を放置していた。
そうして私は喜ばしいことに、ほんの少しだけ胸が大きくなったことで中学時代から続けて今まで使っていた水着を新調しに、家族三人でお買い物へ行くことになった。
「キモ! キモ! アンタいま絶対私がこれ着てるとこ想像して興奮したでしょ! 私がこんな際どい水着を着ると、本当に思ってるわけっ!?」
せりなが私にえっち極まりない水着を提案してきたりと、その日の午前は色々なことがあったが、午後、私はその二人とは別れて一人ある場所へと足を運ぶことに。
それがあの――それから私の人生の歯車を動かすことになる、フェアリーテイル研究所であった。
私はそこで、木村さんという人からよくわからない説明を受けたのち、中高生のコミュニケーションをサポートするという名目で製造されたと言う人工知能付きAI妖精を紹介された。
その面談室内で私は、全身ピンクのチアガール姿をした「ちぃ」を選ぶと、研究所がランダムに決めた一〇〇人の学生の中に選ばれたことを知るのだった。
本題に戻るけれど、私とアイツ――悠真の仲は、一年ほど経った共同生活の中でも、なかなか進展していなかった。
それもそのはず。
私たちはある一面において似た者同士、口を開けばすぐケンカしてしまう俗に言う「ツンデレ」というやつなのだった。
悠真が日頃から読んでいるライトノベルに描かれたえっちでおっぱいがおっきなヒロインの一人が、そのツンデレというやつなのだとは知っていたけれど、私はえっちじゃないし、おっぱいも大きくないから、きっと悠真からは好かれない。
まさに好きな人の前では絶対に自分の本心を見せないから、私はたぶんアイツに誤解されたままなのだ。
――本当はアイツのことが好きで好きでたまらないのにっ!
妖精は、そうした私の気持ちをサポートしてくれるらしい。
なんでも、時を止める機能があるそうだ。
私は早速、その能力を自分の恋のために使ってみることにした。
「それにしても、ヴィヴィカはまだ起きてこないのか……」
その日私たちは、兄の友人である隣の家の人と一緒に遊園地へ行くことになっていた。悠真にやたらとちょっかいをかけているあの女……緑野琴子とかいう同級生がくれたチケットを用いて、せりなを含む四人で遊びに行くのだ。
「なに? なんか言った?」
朝の八時出発とのことだったから、その一時間ほど前に起きたのだったが、早起きの悠真と体内時計がぐちゃぐちゃになっているせりなは、私よりもずっと早くに起きていた。
私は決して遅く起きたわけでもないのに悠真から起床早々溜め息を吐かれ、ついついキツい口調で返事をしてしまう。
「うおっ! いたのか、ヴィヴィカ……」
「起きちゃ悪いの?」
こんな言い方をしている私だが、本当は好きな人の前で可愛く振る舞えない自分を殴ってやりたかった。
「ヴィヴィカのおちゃめさんっ!」なんてアイツの前でやったら、絶対キラわれるに決まってる……!
クラスの男子たちならまだそれで通用するものの、私の普段の生活を知っている唯一の男の子の前でそんなことをすれば、憎き同級生の女子たちが向ける目を、アイツも私に向けてくるに違いない。
私は悠真からキラわれたくはないけれど、同時に可愛くも振る舞えないことが常日頃からの悩みだった。
よって――
「ちっ、なんだよその言い方。もっと他に言い方あんだろうが。俺は別にそういうつもりで言ったんじゃ……」
――そう、私の初恋相手に言われてしまうのだ。
その台詞はまさしく、私を否定し、拒絶し、傷つけるものであった。
けれども、全ては自分が蒔いた種なのだ。
「ツンデレ」から”デレ“を除いた性格、決して悠真が好むライトノベルのヒロインにはなれない存在が、私なのだ。
そうして私はステルス機能によって悠真からはまったく視えていないと言う妖精とイヤホンマイクの力を貸りて、拙いラブコメを演じてみる。
「なんだ? お前も髪結んでほしいのか?」
「そ……そういうわけじゃ……!」
そのとき、パチンッ、という指を鳴らす音が聞こえてから、私の周囲の景色が暗転した。
まったくの闇というわけではないが、まるでフィルターが掛けられたかのごとく、自分と妖精ちぃを残して周囲の色が一瞬にして変わったように見受けられたのだ。
「ちぃ、あなたがこの現象を起こしたの?」
「イエス! ちぃの能力です! ちぃはご主人サマの恋愛が成就するよう、一生懸命ご奉仕しますですよ!」
時が静止した空間の中で、私はちぃから一通りの説明を受けた。
「――つまり、この選択肢の中から会話を選べば良いってわけね?」
「ハイです! その選択肢は少なからずご主人サマの深層心理を反映している答えです! ですのでご主人サマはその中から好きな台詞を選ぶと良いです!」
なるほど。
実に私にとっておあつらえ向きの機能だ。
普段面と向かって悠真と話すとき、私はどうしてもアイツに本心を告げられない。
あらかじめ台詞が用意され、なおかつやり直しが利くとあっては、好きな人の前で素直になれない私にうってつけではないか。
私は目の前に出現した三色の選択肢アイコンにそれぞれ目を通してみる。




