第六章 御前ヶ崎悠真は妹に恋してる 6
そうこうしているうちに、観覧車はあっという間に地上へと辿り着いてしまった。
ヴィヴィカはオレンジジュースを口にした時みたいに、ここでもさも何事もなかったかのように振る舞って見せた。
……女の子は強いな。
変わり身の早さ、気持ちの切り替えの早さが尋常ではない。
女子の恋は「上書き保存」、男子の恋は「名前を付けて保存」というのは本当なのだろうか。
俺はすぐにヴィヴィカへの恋心を忘れられるだろうか。
無かったことにできるだろうか……。
やはりこればかりは、どれだけ時間を巻き戻そうとも消えることのない痛みなのだ。
過去に戻ったところで、「失恋した」という未来を経験した事実までは覆せない。
「二人はどうだった?」
地上で再会した琴子の台詞が頭に響いた。
その音色を聞いてはじめて、俺は「ああ……俺はいまヴィヴィカに振られたのか」と自覚した。
茫然自失の体になった俺を、せりなが優しく包んでくれる。
「おみやげ屋さん……いこ?」
「……ああ」
せりなの小さな手のひらに包まれた右手が、ヴィヴィカが突き出した現実を優しく包むかのように護ってくれている気がした。
ヴィヴィカはと言えば観覧車に乗る前と同じく琴子へのキツい当たり方で仲良くやっているし、表層的に見れば――はたまた客観視してしまえば、俺とヴィヴィカの関係は何一つ変化ないように思えた。
けれどもただ一つ引っ掛かることがあるとすれば、あのヴィヴィカにおける素直さだ。
俺――つまり自身の兄に当たる人間が妹のことを好いているだなんて知れば、きっとアイツは「はあ? キモすぎなんですけど?」といった具合に俺に罵倒の言葉の一つや二つ、平然と飛ばしてくるものだと思っていた。
だがしかしアイツは「い……妹として?」「ごめんなさい」といった風に至って素直に、もっと言うならばいつものアイツらしくもない返答をしてきやがった。
それは告白に対するある種ナイーブかつ壊れやすい男心を心配しての台詞だったのかさえ、今の俺にはわからなかった。
楽しい時間は去り、俺たちは遊園地の締めくくりとしてランド出入り口すぐそばに敷設されたおみやげ屋さんへ行くことに。
と言ってもそこは、女子たちの買い物だ。
大半はそこで売っている色々な物に対して意見を言い合い、感想を述べ合うということに終始する。
俺は失恋のショックこそ感じていたものの、あまりに観覧車内での出来事が現実感に乏しいものだったので、変な浮遊感に襲われていた。
いま目の前で起きている現実は確かにそこにあるはずなのに、普段と何も変わらない様子でせりなと笑い合っているヴィヴィカのことを見ていると、「俺の告白っていったい何だったんだろう……?」と、思わせられるのであった。
「どうしたの、ゆうくん? もしかして疲れちゃった?」
「ああ、ちょっとな」
その言葉は嘘ではなかったが、おそらく琴子が意図した疲れとは性質の異なる疲労感を身に感じている俺としては、ただただ虚しい問いと答えにならざるを得なかった。
「それとも、たぶんだけど失恋した、とか?」
ギクリ。
だからこいつは、なんでこういう時にだけやたらと鋭いんだよ。
あれですか?
女の子にはみんな恋愛センサーが付いているんですか?
「ああ。まあな」
俺は琴子のことを信頼しているので、そう告げた。
気持ちを隠すことなく、真実を胸の中に押し隠すこともなく、そう告げた。
「それはおつかれー。ヴィヴィカちゃんなんだって?」
「ごめんなさい、だとさ」
「ははは……それはキツいね」
「ああ」
現在、すっかり夜に差し掛かったことでライトアップされた店内にて、ヴィヴィカとせりながデフォルメされたエルフやらドワーフやらティーリエやらのぬいぐるみを見て談笑している。
ヴィヴィカのその、何事もなかったかのように振る舞う仕草が心に痛かった。
俺はこの痛みを、これからも感じ続けなければならないのか。
「あっさりと振られたよ。……まっ、それも当然だよな。兄は妹が好き。妹も兄が好き。そんなおかしな関係、神様が許すはずなかったんだよな……」
恋愛の神様がいたとして。
なんて恋愛は残酷なんだろうって、そう思うのは罪だろうか。
そもそも、兄が妹に恋をしている時点でおかしかったのだ。
そもそも、前提からして間違っている歪な恋。
ほぼ一年前に一目惚れしたという事実を、脳内物質の「恋愛ホルモン」のせいだけにできたらどれだけ良かっただろうか。
なれどもこの一年間の中で交わした言葉が――やり取りが――俺がヴィヴィカのことを好きなんだという気持ちに気づかせてゆく――。
「あれ……?」
気づけば涙を流していた。
そのときになって、どうしてあのときヴィヴィカは泣いていたんだろう……と、ふとそんな風に思った。
「ちょっと夜風に当たろうか?」
琴子が店内では人目につくと思ったのか、涙を流す俺の背を撫でて、優しく出口へと案内してくれる。
「……悪い」
「いいよいいよ、ゆうくんを支えるのも、幼馴染みの役目だからねっ!」
今ばかりは、琴子の優しさが胸に沁みるように嬉しかった。
「うるせー。男を惚れさせるような台詞を簡単に吐くなよ。バカ琴子」
「え? えっ?」
琴子はいくつもあるおみやげ屋さんの片隅で涙を流す俺なんかより、ずっとあわてて俺の台詞に驚いていた。
それからしばらく泣き疲れるまで傍で支えていてくれた琴子は、長いながい女の子たちの買い物が終わるその時まで、俺の弱音をただただ聞き続けた。
その時の「うん、うん……わかるよ、その気持ち」「そうだよね、ゆうくんがんばったんだもんね……」「大丈夫だよ。いつまでも変わらず琴子がずっと一緒にいるからね」という俺の言葉に対する頷き、リアクションが嬉しくて、少しずつ俺を安心させていった琴子。
すっかり失恋を実感することになった俺は、ようやく帰る段になって、ヴィヴィカと再び言葉を交わす。
「あの……さっきは気持ち伝えてくれて、あ……ありがとね。そ……それじゃ!」
琴子と並んで帰り道を行く俺は、少し前で並んで歩く二人の妹の背中を、どこか懐かしむように眺めていた。