第四章 緑野琴子はあきらめない 7
「実はうちのお父さんが会社の新入社員歓迎パーティーのビンゴで当てたんだよねー。でもお父さん部下を指導するのに忙しいって言って家族で出掛けられないからって琴子にこれをくれたの。だからゆうくんがあたしと一日デートしてくれたら、さっきの写真は消すよ」
「なんだ、そんなことでいいのか」
琴子に女子トイレにいるところを写真に撮られた時は正直焦ったが、こいつと二人でデートすることくらい、俺にとっては何でもないことだった。
琴子とはこれまでも何度も二人きりでお出かけしたことがあるし、件の遊園地にだって、何回か行ったことがある。
今さら「デートをしよう」と誘われたとて、さして珍しいことではないのである。
「……あっ、……せりながずっと行きたかったとこだ!」
琴子の脅迫まがいの行動が、俺が思っているほど彼女が深刻に捉えていないことに安心して返事をしようとした矢先、ちょうどその場に居合わせたせりなが立候補した。
「えっ、せりなちゃんこの場所知ってんの?」
「……うん。異世界ランド、せりなもずっと行きたかったの……」
「そうだったんだね!」
妹の台詞を聞いた琴子は、思いのほか嬉しそうだった。てっきり俺と二人きりのほうが良いと琴子は思っていると考えていたが、どうやら俺の思い上がりだったか。
「それにしても異世界ランドって! なんだよその一度転生しなければ行けそうにない夢の世界!」
「ゆうくん、実はその通りなんだよ。この遊園地はストレス社会に疲れ切った日本人たちが行く、最後のフロンティア。死なずに行ける異世界なんだよ!」
「……な、なんだってー……」
せりなが琴子の口調に合わせ、ノリノリで受け答える。
「いやなにせりなも琴子に乗っ掛ってるわけ? 日本人異世界に憧れ抱きすぎだろっ! 世の中に疲れすぎだろっ!」
いやはや、実にその通りなのであるから仕方ない。
異世界ランドは三年ほど前に出来た大型テーマパークで、あたかも某小説投稿サイトの読者を取り込むかのように来場者数を稼ぎに稼ぎ、あっという間に急成長を遂げた日本でも珍しいタイプの遊園地だ。
お客は日本国から異世界に転生したという体でランド内を巡り、「俺ツエー」やら「神様転生」やら「Sランクチート」やらを体感できるアトラクションに乗り、楽しめるようになっている。
「せりな、まだ中学一年生でしょ!? この世界に生を受けてたった十二年足らずで、もう死んだ後のことまで考えてるの!?」
「うん……!」
「即答!?」
マジで日本大丈夫か?
「せりな……異世界転生したい……!」
「妹がいつになく乗り気……!? 普段は外にすら出たがらないというのにっ!」
「……余生だね」
「まだ生きて! せりなにはまだきっと明るい未来が待っているから!」
「……寄生だね」
「お兄ちゃんのスネをかじる気満々!? せりながお兄ちゃんをエサに明るい未来を謳歌しようとしている……!?」
「……後生だね」
「だからその年齢でどんだけ死後のこと考えてるの!? 十二歳で異世界転生を希望する妹って今では珍しくもないの……!?」
はあっ、はあっ、はあ……っ。妹の転生希望にお兄ちゃん全力でツッコミ入れちゃったよ……。
「それじゃあ家族三人で行きましょうか! ねっ、妹ちゃん?」
「……うん、琴子さん……」
「琴子もさりげなく御前ヶ崎家の一員として振る舞うなっ! 家族三人でって、勝手に籍入れようとすんなよッ!」
「え、琴子びっくり! まだあたしとゆうくん籍入れてなかったの?」
「入れてないわ! いつから俺とお前が結婚している体で話進めてたの!?」
「せりなちゃんをあたしが産んだ時から?」
「けっこう前だな! ていうかせりなはお前の腹から産まれてないから!」
「あたしがせりなちゃんを産んで、もうかれこれ十二年になります」
「そっかー、せりなもおっきくなったなあ。……って、お前が産んだわけじゃないからな?」
「ゆうくん、お腹の子の名前、なににしよっか? あたしは断然……――」
「おいこのやり取りどっかで聞いたことあるぞ!? ビッチ琴子との子どもなんて俺は知らないぞ!?」
「やだ……ゆうくん、もしかして認知しないつもり……? この最低男!」
「いやなんで俺責められてるの!? ぜんっぜん身に覚えがないんですけど!?」
「やだ……ゆうくん、あの夜はあたしが一番だって抱きしめてくれたのにっ! もう忘れちゃったの……? この最低男!」
「どの夜だよ! 百億の昼と千億の夜を思い出しても、俺はお前を抱きしめた覚えはない!」
「やだ……ゆうくん、あたしたちの子どもの前で夫婦ゲンカなんてしたら、せりなの教育に悪いわ。とりあえずこの場所を出ましょう」
「そ……そうだな。この場所で長話もアレだしな。せりな、手ぇ洗ったか?」
「……うん」
「そんじゃ人よけの立て看板もどけて、早いところ外に出よう」
「せりな、お母さんに付いて来なさい」
「まだ続けるつもりなのこのやり取り!?」
俺はせりなに加えて琴子へのツッコミで息を荒らげつつも、できるだけ素早く女子トイレから退散した。
その甲斐あって廊下を歩いている人たちからこれと言って奇異な目を向けられずに済んだが、俺はどうしても恋する幼馴染みと籍を入れようとする琴子からの提案に、やはり首肯せざるを得なかった。
琴子は女子トイレから廊下へ戻って来るや否や手にしていた二枚のチケットを横にスライドさせ、もう二枚の券を俺に見せてきた。
「実は最初から脅迫するつもりなんてなかったよー! あんなのただのお遊び。未来でゆうくんのお嫁さんになるあたしが、ゆうくんやその家族にひどいことするわけないじゃないのさー! ほれっ、ほれっ」
琴子は俺とせりなの二人に遊園地のチケットを少し強引な感じで手渡すと、手元に残った二枚の券のうち一枚の受け取り予定先を明らかにした。
「最後の一枚はヴィヴィカちゃんに渡してよ。お兄ちゃんかせりなちゃん、どっちが渡してもいいから」
そう言ったきり、琴子はだいぶ満足した様子で俺たち兄妹の前から去って行った。きっとまた自分のクラスへと戻ったのだろう。
琴子が合計四枚持っていた遊園地のチケットのうち二枚を俺、一枚をせりな、一枚を琴子が持っている。
「って言われても、アイツが俺たちと遊園地来るかなあ」
たぶん気の強い妹は行く気満々だったせりなと違って「異世界ランド」になんて興味ないんじゃないかなあ。
それでもまあ、誘うだけ誘ってみてもいいか。
「悪いけどせりな、俺から頼むより良いと思うから、お前のほうから誘ってみてくれないか?」
俺はせりなにそう言っては、妹にたった今しがた受け取ったチケットを手渡す。
「りょーかいだよ、おにいちゃん……。……せりなにまかせて」
「頼んだぞ」
それから俺たちはせりなが疲れるまで文化祭を堪能し、楽しい思い出を兄妹二人で共有した。