第三章 ラブコメ妖精と選択肢タイム 5
ヴィヴィカに声を発したのち、すぐに壁掛け時計に目を遣ると、平常通りその秒針が時を刻み始めたことに気づく俺。
対してヴィヴィカのほうはといえば、動き始めた時計の針とは打って変わって、驚いた様子で口をあんぐりと開けたまま固まっている。
「おいっ、すぅ、相変わらず時間が止まったままじゃねえか!」
俺が時間停止能力を持つAI妖精に抗議の声を上げると、すぅはなんだか喜ばしげに言うのだった。
「ちがいますよ。ちゃんと時は元に戻ってます! ほらっ、ご主人サマの発言を受けてカチンコチンに固まってしまったヴィヴィカさんを見てください!」
俺はイヤホン越しに聞こえてくる声に従って、自分の妹に目を向けてみた。
「え? あの……え? えっと……うそっ……」
ヴィヴィカの目尻は今やひくひくとピクつきながらも、たったいま兄から言われた言葉を正しく認識できていないような素振りをしている。
そんなふうに驚いているヴィヴィカを見ると、俺としても今この瞬間――AI妖精の能力のおかげとはいえ――とんでもないことを妹に言ってしまったのではないかとヒヤヒヤする。
「えっと……今のはだな……、つい口がすべったというだけで、別に他意はなくてだな……。……ってこれじゃ本音みたいだけど違くてだな……ええっと……その……」
俺が口ごもりつつ、つい先刻口にしてしまった失言の言い訳をしていると、ヴィヴィカの小さな口が開いていき……俺に、一つの告白をしてきた。
「私も……好き。アンタのこと、好き」
――――え?
いまコイツなんて言った?
「あの……ヴィヴィカ? 無理して俺に合わせなくたっていいんだぞ? 俺は別にヴィヴィカのことが嫌いとか本当は全然思ってなくてだな……なんというか……その、本当はいま言ったとおりヴィヴィカのことが好きでだな…………って、なに口走ってんだ俺はぁぁぁああああああああああああッ!?」
いつものツンデレ属性はどこにいったんだよ!
なに「好き」ってヴィヴィカに一回言えたくらいで舞い上がってんだよ!
普段の俺ならここらへんで妹とケンカする頃合いだろっ! なんでちゃっかりヴィヴィカも俺のこと「好き」とか言ってるわけ!? なにこれハッピーエンドなの!? 俺の恋という名の人生ゲーム、ここでめでたく終了!?
「無理して合わせてなんかない! 私もアンタのことずっと好きだったの! 一目惚れだったの! アンタの顔見るといつも胸がキュンキュンして、毎回キツいこと言っちゃうの! 私はキモオタ兄貴のことが好きなのっ!」
「――すぅ、時間を巻き戻してくれ!」
「りょーかいです!」
パチンッ、とすぅが指を鳴らすと、またしても時間が止まり、今度は暗転した時間の中で俺と妖精だけを残して周囲の景色が目まぐるしく逆再生していった。気づけば先ほど時間が停止した午後二時五〇分に戻っており、再び目の前に三つの選択肢が出現した。
「はあ……っ、はあ……ッ、はあッ……今のは、いまのヴィヴィカはやばかった……! 俺を萌え死にさせる気か……!」
今までラノベやアニメなんかで「萌え」というものを学び、理解していたつもりの俺だったが、いざ目の前の現実でそれが実現してしまうと、今まで俺が経験してきた「萌え体験」は何だったのかと自分自身に問い質したくなるほどだった。
ヴィヴィカは可愛い!
ヴィヴィカは最高!
……でもそれは、俺の脳内だけの話であって、実際は兄のことが嫌いな典型的な妹ではなかったか?
どうして動き始めた時間の中で、ヴィヴィカは俺の告白に対して「好き」だなんて言ってきたんだ?
てっきり俺は、
「はあッ!? ……キモ。兄貴に恋する妹とか、現実にいると本気で思ってるわけ? マジありえないんですけど。ほんっとラノベの読みすぎっ!」
とでも言われるのかと思っていたが、なぜか現実世界のヴィヴィカは俺のことを「好き」と言った。
……聞き間違えじゃないよな?
いや、聞き間違えじゃないからこそ、俺は今すぅに頼んで時間を巻き戻してもらったんだ。
「それより良かったんですかー? あのままいけば、お互いに両想いでハッピーエンド。すぅなんてウェディングドレス姿のヴィヴィカさんすら想像したっていうのに、ご主人サマ彼女から好意を向けられたことにチキってすぅに時間を巻き戻せって言うんですもんっ。例えるなら、目の前に金銀財宝を見つけたのにお金持ちになるのが恐くて逃げ出す貧乏。はたまたテスト用紙にあらかじめ答えが書かれているのに、わざわざ消して間違った答えを書き込む万年赤点学生くらいひねくれてます」
「仕方ないだろっ!? あんなに可愛い顔でヴィヴィカに見つめられたことないんだからっ! お風呂上がりの軽装に加えて白い肌に紅い頬、ヴィヴィカはこの世のものとは思えないほど可愛いんだぞっ!? 意味がわからないだろっ!」
「いや、意味はわからなくないですけど」
「いいや意味がわからない! なにが一番意味がわからないって、ヴィヴィカが俺を罵倒しないことだッ!」
「いや、罵倒することは必ずしも普通のことではないような気も……。ご主人サマ、普段からヴィヴィカさんに罵倒されるのに慣れすぎですよ」
「そうだよ! ヴィヴィカにとって俺を罵倒することは彼女のアイデンティティーなのっ! クラスメイトにはぶりっ娘モードでデレデレしているも、家に帰って来て俺と会えば腹黒モードで兄を罵倒し始めるのっ! そこが可愛いの! 大好きなの! クラスの男子どもには愛想が良いのに俺の前だけではキツいこと言ってくんの! なにこの理不尽! 毎日モヤモヤしっぱなしだよ! 好きな人が他の男とイチャイチャしている姿を散々見せられた上、自分に対してだけは明らかな嫌悪感を向けてくる! 俺は日々頭がおかしくなりそうなんだよ!」
「いや、変態ですか? ご主人サマはドMの変態なんですか!? よくその調子で今まで耐えてきましたね。ご主人サマがご主人サマなら、ヴィヴィカさんもヴィヴィカさんです。恋は人をおかしくさせるとは言いますけれど、あなたの想い人のせいで自分の性格がひねくれてしまったという自覚はありますか!?」
「ふう……っ、ふう……っ、ふう……っ」
俺はすぅの言葉を聞いて、たしかに今までの俺たちの関係は大分おかしかったと自覚した。
俺もかなりヴィヴィカの小悪魔ぶりに、知らず知らずのうちにやられていたんだな。
――腹黒ぶりっ娘、畏るべしっ!
「とにかくいったん落ち着きましょう。ご主人サマがシスコンなのはよくわかりました。よーくわかりました」
「シスコン? いや……俺はごく普通に妹を愛しているだけだが?」
「ごく普通に!? いやいや、思いっきりシスコン全開でしたよ! 学校の屋上でおこなわれる未成年の主張、青少年の叫びでももう少しみんな抑えてましたよ!」
なんでそんな昔のネタを知っているんだ。いやまあ、そういう俺もだけど。
「重度のシスコンのご主人サマ、略してシスコンさん」
「ぜんっぜん略せてないけど。思いっきり俺への評価が胸中からダダ洩れなんですけど」
「おいシスコン、妹に恋して恥ずかしくないんですか?」
「俺いま、人工知能に説教されてる!? ……いいだろ別に、血がつながっているわけでもないんだしっ!」
「血がつながっているいない以前の問題です! 兄は妹が好き。妹も兄が好き。法律上はヴィヴィカさんが御前ヶ崎家の養子に入っていないかぎり、いつでも結婚できますっ! ……しかしですね、仮にも妹と名の付くものに性的感情を向けるとは、兄として恥ずかしくないんですかっ!?」
「いや全然?」
「即答!? 恋愛サポートAIの頭脳をもってしても愛の前には無力というのでしょうか!? ……もう仕方ありませんっ! すぅの第一目標はご主人サマの恋を成就させること! さっさと先ほどと同じ選択肢を選んで、ハッピーエンドに一直線といきましょう!」
「でも、俺としては本当に時間を戻せるとわかったんだ。ここは普段面と向かって言えないことを、ぜひとも言ってみることにしよう! 何事も挑戦あるのみだっ!」
「あのぉー、先ほどと言ってることが真逆なんですけど……」
俺は時間が巻き戻った世界で、今度はヴィヴィカに異なる告白をすることにした!
「さぁーて、脱衣所に行ってヴィヴィカの脱いだ下着見てこよーっと」
すると瞬く間に時間が動き出した。
壁掛け時計の針もばっちり己の仕事を再開させている。
今度もヴィヴィカは自分一人だけフリーズしたかと思った矢先、俺の言葉に劇的な反応を見せてきた。
「こ……この変態キモオタ童貞兄貴……。あ……あれほど私が忠告したっていうのに、妹の下着を見ようだなんて良い度胸ね……。義理の父さんの元に逝く準備はいいかしら……?」
「あ、あれ……?」
てっきり妹は俺と両想いだから、ヴィヴィカのパンツを見に行っても笑顔で許してくれると思ってたのに……。これじゃあ普段と変わらないじゃないか!
「ヴィヴィカ、今日は何色の下着を穿いてたんだ? 赤? 青? 白? もしかして黒色?」
「ぐ……ッ、こ……このバカ兄貴ぃーっ。そんなに私の下着が見たいわけっ!? アンタは妹の下着を見て興奮するわけっ!?」
「見たい! 妹の下着見て興奮する!」
「な……な、な、な……ッ」
すると妹が肩をプルプルさせて下を向き、両手を握りしめたタイミングで俺はすぅに言葉を発することにした。
これは……あれだ。ヴィヴィカ火山が噴火する寸前の予兆に違いない。屋上で殴られた時のように人間太鼓でドドンがドンされたら堪らない。……さっさと逃げるべしっ!
「すぅ、時間ループよろしくっ!」
「……はあっ。りょーかいです!」
パチンッ、というすぅの合図とともにまたしても時が止まり、薄暗がりの世界が逆戻りしていく。
俺は二回目ということもあって、先ほどよりも余裕を持って周囲の景色を眺めることができたが、やはりこの空間には慣れない。
俺は三たび選択肢空間へやって来ては、とうとう最後の決断といくことにした。
「なんか愛や性癖の告白をしたあとだと、ヴィヴィカの肌を褒めるくらい何ともないような気がしてきたな。よしっ、次は1番を選ぶぞ!」
「ご主人サマが本当にご自身の性癖を暴露するとは思いませんでした……。もしもこれがラノベだったら、すぅはこの瞬間にページを閉じます」
「まあそう言うなって。これから本当にヴィヴィカが自分のパンツの色を教えてくれる日がくるかもしれないだろ?」
「それはどうでしょうね。ご主人サマの性癖をあのヴィヴィカさんが受け止めてくれるとは、すぅには思えません」
「ははっ、まあそうかもしれん」
俺は一つ息を吸って呼吸を整えると、最後に残った台詞を口にした。
「あと一つ言い忘れてたけど、ヴィヴィカって肌きれいだな」
たちまちにして脈動していく空間。
壁掛け時計の針が、まるで心臓の鼓動のように正確な時を打ち鳴らす。
「あ……アンタ、なに言ってんのよ……。…………バカ」
そうして俺の言葉を聞いたヴィヴィカも動き出し、お風呂上がりで火照った顔がさらに赤くなったのがわかった。
なんだコイツ、もしかして照れてんのか?
……チクショウ、可愛いじゃねえか。
「……まあ、それだけだ。ごはんが出来たら呼びに行く。じゃあな」
俺は選択肢の中から1番の答えを選んでは、ヴィヴィカにそれだけ言って台所のほうへ向かっていく。
ヴィヴィカもヴィヴィカで俺の珍しい台詞に戸惑いこそしていたもののすぐにいつもの調子に戻り、階段を上って自分の部屋へと歩いていった。
「……ふうっ。なんとか無事に乗り切ったな」
「まあ、すぅ的には最初の3番を選んでいれば全部解決! 初手でハッピーエンドまで見えていたんですが、まあこれでも良いでしょう! よくがんばりました、ご主人サマ!」
「へいへい。ねぎらいの言葉ありがたく頂戴いたしますよ」
「もうっ、素直じゃないんですからっ!」
「はは……」
こうして俺とヴィヴィカの関係は、なんとか一歩前に進んだような気がする。
でも本当に驚くべきことが起こったのは、これからだったんだ――。