90 シャープネス・オイル3
「なあ、師匠。本当にコイツのこと信用していいのか? シャープネス・オイルだって言ってるけど、偽物じゃないのか?」
俺たちを取り囲むドワーフの中の一人が疑問を投げかけてきた。
「心配してくれるのはありがたいが、その心配は無用だ」
リンドワースさんがそう言うと、みんなの視線が俺に集まる。半信半疑な視線がほとんどだ。
「この少年、アルは短い期間ではあるが、エノラ師の元で鍛冶を学んだ者だ。弟子筋でいうとお前らの叔父にあたる者だぞ」
その言葉に場がシーンと静かになる。
やがて、「マジか?」「嘘だろ」「でも、師匠がそう言ってるなら」といった言葉が聞こえてくる。
「アル、お前がエノラ師のもとで、どんな修行をしたか教えてやれ」
「エノラ師に師事したのはたったの一ヶ月ですが、魔ならしをきちんとマスターできるよう、それだけを叩きこまれました」
「魔ならしだ?」
魔ならしは魔鍛冶の基礎中の基礎。
それだけかと不満を感じるたのだろう。
だから、俺は自信を持って、自分のやり遂げたことを伝える。
「ええ、魔ならしです。それだけです」
「それじゃあ、大したこと教わってねえじゃねえか」
「一万回です。一ヶ月で一万回。魔ならしだけをひたすら繰り返しました」
「一万回…………」
質問してきたドワーフが絶句する。
後ろの方で、「お前出来るか?」「いや、ムリだろ」「なんだよ一万回って…………」「千回だって相当つらいぞ」そんな声が聞こえてくる。
俺はここでダメ押しをする。
「これがその時、俺が12歳の頃の作品です」
【虚空庫】から俺が初めて作った愛用のミスリルナイフを取り出す。
彼らの一人に渡すと、その男はミスリルナイフに魔力を込め――刀身が青い光に包まれる。
「すげえ」
「なんてスムーズなんだ」
「これを12歳で?」
「1万回ってのも本当だな」
順番に彼らの手を回るミスリルナイフ。
皆、感嘆の表情を浮かべながら、ナイフを手にとる。
どうやら、信じてもらえたようだ。
そこでリンドワースさんが質問を投げかけてきた。
「しかし、本当に5千万ゴルなのか?」
「ええ、高すぎましたか」
「逆だよ、安すぎる」
ニーシャの鑑定と相場の知識からすると、1本1億ゴルでも買い手がつく値段だそうだ。
しかし、その半額にまで抑えたのには、理由がある。
その理由とは――。
「リンドワースさんは脱初心者向けに武器を作ってますよね?」
「ああ、そうだが、それがどうした?」
「これはニーシャとも話したのですが、これをリンドワースさんにお譲りするのは、脱初心者のみんなに【切味上昇】付きの武器を広めてもらいたいのです」
「ほう。なるほど」
「だから、そのために、付与された武器をあまり高値にしないで欲しいんです。脱初心者に手が届く値段で販売して欲しいのです」
「なるほど、そういう目的があるから、安くしてくれたのか」
「ええ、ダンジョン攻略が活性化するのは、俺たちの店にとっても望ましいことですから」
もし俺たちが1億ゴルでシャープ・オイルを売った場合、ファンドーラ商会が元をとるためには、倍近くの値段をつけなればならず、とても脱初心者が気軽に手を出せる値段ではなくなってしまう。
それでは意味がない。
「リンドワースさんは中級回復ポーションのことは聞いてますか?」
「ああ、中層辺りは大騒ぎみたいだな」
「実はあれ、俺がやったんですよ」
「本当かっ!?」
「ええ、王都の本店に卸したのはウチの商会です」
「やっぱり、アルは只者じゃないな」
「ともかく、あれのおかげで中層攻略が活性化しましたよね」
「ああ、そうだな」
「俺はシャープネス・オイルで低層の攻略を活性化させてもらいたいんですよ。そのために適任なのはリンドワースさん。あなたしかいないんです」
「そうか」
「5層のセーフティー・エリアで他の冒険者に言われましたよ『一日でも早くリンドワース製の武器を買え』ってね。それだけこの街でリンドワースさんの武器は評価を得ているわけです」
「おう。そうか」
リンドワースさんは少し照れくさそうな素振りをしている。
「だからこそ、リンドワースさんにはシャープネス・オイルで【切味上昇】を付与した鋼鉄の武具を量産して、低層攻略も活性化させて欲しいんですよ」
「なるほど、よく分かった」
「そのオイルは1,000ccです。鋼鉄製のナイフなら、0.5cc、直剣なら2ccで済みます」
「そんな少量でいいのか?」
「ええ、ミスリルだとその十倍必要ですがね。卑金属の素材の場合はそれだけで済むようです。ですので、これで【切味上昇】付与武器を量産してもらいたいのです」
「分かった。値段も私に売ってくれる理由も、すべて分かった。それだったら、喜んで引き受けよう」
「お待たせしました」
ちょうど良い所でアイリーンさんが戻ってきた。
あれ? 店長を呼びに行ってんじゃ?
「ファンドーラ武具店、店長のアイリーンです。この度は興味深い商談だそうで」
「おう。店長、アルに五千万ゴルを支払ってくれ」
「ええ、そういう話でしたね」
「こちらになります。ご確認ください」
まさか、アイリーンさんが店長だったとは…………。
若くて店長を任されるとは相当優秀なんだろうな。
そのアイリーンさんが入ってきた瞬間、今までざわついていたギャラリーが急に静かになり、皆ピンと背筋を伸ばしている。
そんなギャラリーを気にした様子もなく、アイリーンさんはずっしりと思い小袋を渡してきた。
俺は手近にあったテーブルの上に中身を広げる。
白金貨の小さな山が出来上がる。
俺はそれを数えていく。
――――48、49、50っと。
「確かに50枚、5千万ゴルですね。受け取ります」
ギャラリーがドッと沸く。
俺はニーシャと出会ってから、高額の取引に慣れたけど、彼らにしてみれば、これほど高額な取引は見たことがないのだろう。
一等地に構えたウチの店舗兼住宅と同じ値段だもんな。
「領収書必要ですか?」
「ああ、お願いする」
ニーシャに習って、領収書の書き方はマスターした。
【虚空庫】から取り出した、領収書用の紙切れを取り出し、さらさらと必要事項を書きつけていく。
仕上げに魔インクを親指の先につけ、押し付ける。
これで公的に通用する領収書の完成だ。
それをアイリーンさんに手渡す。
「では、こちらを」
「これで取引完了ですね。これからも良いお付き合いをよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそお願いします」
無事取引完了だ。
俺は早速【虚空庫】に大金を仕舞い込む。
リンドワースさんは嬉しそうにシャープネス・オイルの瓶を優しく撫でている。
アイリーンさんがギャラリーに向かって話しかける。
「皆のもの、この方はノヴァエラ商会のアル殿だ。当店だけでなく、ファンドーラ商会全体としても、良好な関係を築いていきたい相手だ。決して失礼のないように」
「マジかよ」
「そんな凄い人なのか」
「まだ子どもなのに」
アイリーンさんがいるからか、小声で囁くギャラリー。
「いいか?」
「「「「「「はいっ」」」」」」
ギャラリーみんなの声が重なった。
「では、アル殿、私は先に失礼させていただきます」
そう残して、アイリーンさんは外へ出て行った。